スンニ派とシーア派の違いをわかりやすく解説!似ているようで違う!

イスラーム教というとよく耳にするのが、スンニ派とシーア派。

イスラーム教にはこの他にも宗派があるのだが、なにせニュースをみていると、やたらとスンニ派とシーア派が強調され、両者は因縁が深そうな仲である。


果たして、同じイスラームでも宗派が違えばいがみ合うものなのか?そもそもスンニ派とシーア派はどう違うのか?についてご紹介。

シーア派はイスラーム世界では少数派?

18億人近くいるイスラーム教徒の仲でも、シーア派はそのうち10~15%だと言われている。イスラーム圏全体でみると、少数派なのだ。

以下は、イスラーム教徒の宗派の分布を示したもの。緑がスンニ派。オレンジがシーア派である。


Source: Dr. M. Izady, Gulf/2000 Project

イスラーム教徒人口の大半は、インドネシアやパキスタン、インドといったアジアの国が占めている。

一方で、中東の国だけを見てみると、途端にシーア派が多くなる。シーア派人口の割合が多いのが、シーア派の総本山ともいえるイラン、そしてイラク。

以下は中東諸国におけるスンニ派とシーア派の分布図。赤いほど、シーア派の人口率が高いことを示す。バーレーンは、シーア派が多数派を占める国であることはあまり知られていないだろう。

地図上にはないが、アゼルバイジャンもシーア派が多い。国民の96%がシーア派だと言われているが、それは統計上の数値にしか過ぎない。実際の人々は宗教的な生活とはかけはなれた、世俗化した暮らしを送っている。

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スンニ派とシーア派の違いとは?

そもそもイスラーム教が誕生した時には、スンニ派やシーア派という区別は存在しなかった。スンニ派とシーア派という区別ができたのは、預言者ムハンマドの死後のことである。

預言者ムハンマドというのは、イスラーム教の創始者であり、ゆえにイスラーム教徒のカリスマ的存在である。ムハンマドが生きていた時代は、ムハンマドの教えに従えばよかった。しかし、ムハンマドの死後、イスラーム教徒たちは途方にくれる。

「俺たち、今後どうしていけばいいんだ・・・?」

指導者を失ったイスラーム教徒の間で起こったのが、後継者争いである。

シーア派とスンニ派を分けるポイントは、この後継者を「血統」で選ぶか、「実力」で選ぶかにある。

後継者には、ムハンマドの血筋を受け継ぐ人間がふさわしいと考えたのが、シーア派。「血統」派である。彼らが後継者として認めたのは、ムハンマドのいとこであり、ムハンマド唯一の愛娘の夫でもあるアリーであった。

えっ?

自分のいとこが自分の娘と結婚?現代の日本ではありえないシチュエーションだが、アラブ諸国では、こうした身内同士の結婚は当たり前だったのである。

このアリーという男。単なるムハンマドのいとこではない。ムハンマドがイスラーム教を布教し始めて、2番目にイスラーム教徒に改宗した人物なのである。カリスマの側近のようなものである。ちなみに最初の改宗者は、ムハンマドの嫁、ハディージャである。

「シーア」というのはアラビア語で、「党派」を意味し、「アリーの党派」という意味でシーアと呼ばれるようになったのである。

一方でスンニ派は、「とりあえずムハンマドの教えをもとに、みんなで話し合って選べばいいんじゃね?」という人々である。血筋よりも実力主義で指導者を選ぼう、という人々である。

大半の独裁者やカリスマというのは、後継者を育てることや、指名することをしない。預言者ムハンマドもそのケースだった。ムハンマドが、「俺の後釜はこいつや!」だとか、「後継者はこう決めてくれい」と指示すれば、スンニ派やシーア派なんて存在しなかったかもしれない。

日常生活に見るシーア派とスンニ派の違い

この後継者選びが主な違いとしてあげられる。その他は、同じイスラーム教なんだから、だいたい同じだよお、とよく言われる。しかし、日常レベルでみると、ずいぶんと違うのだ。

例えば礼拝の回数。スンニ派は1日5回だが、シーア派は3回である。たった2回の違いじゃん?と思うかもしれないが、2回の差は結構大きいのだ。私が改宗した当初は、「礼拝が3回で済むシーア派にしとけばよかったなあ」と後悔したものである。

礼拝の呼びかけであるアザーンも違う。大半は同じだが、シーア派の場合には、「アリーはアッラーの友であると私は証言する」、「善行のために来れ」といった文言が入る。

聖地の数も違う。同じイスラーム教であっても、シーア派の方が聖地の数が多い。スンニ派では、メッカ、マディーナ、エルサレムの3つが聖地となっている。

一方でシーア派では、この3聖地に加え、イマームと呼ばれる歴代の指導者たちの墓も聖地扱いになる。

中でも有名なのが、イラクのカルバラーやナジャフ。カルバラーには、初代指導者のアリーの霊廟、ナジャフにはアリーの息子であり、3代目指導者のフサインの霊廟がある。

シーア派の人々はこうした場所へ、聖地巡礼を行うのである。スンニ派はこうした聖地に対しては、知らんぷりである。

モスクに見るシーア派とスンニ派の違い

モスクにもその違いがある。ブルーのペルシャモスクをみると、人々はだいたい「シーア派のモスクだ」という。ブルーでないシーア派のモスクもあるので一概には言えないところであるが。


典型的なシーア派モスク。だいたいこの手のタイプはシーア派モスク。


これもシーア派モスク

シーア派のモスクに必ず置いてあるのが、「モフル」と呼ばれるお祈りグッズである。モフルは土の塊を素焼きしたものである。

イスラーム教徒は、礼拝をするときに、おでこを床につけるのだが、シーアの場合は、モフルにおでこをあてがうのである。


モスクで「ご自由にお使いください」と置かれているモフル

モフルの土はその辺の土ではない。シーア派の歴代指導者が眠る、聖なる土地の土を使っているのだ。スンニ派のモスクでは、決して見られないものである。

シーア派特有の祭り、アーシューラー

シーア派の最大の特徴ともいえるのが、アーシューラーと呼ばれる祭りである。通称、自虐祭りである。

悲劇の死をとげたアリーの息子、フサインを悼む祭りだが、ただの祭りではない。その最大の特徴は、鎖や刀剣で己の頭を切り裂き、血まみれになりながら、悼むのである。フセインの痛みを己に召喚させ、故人を悼むという世にも稀なるスタイルをとっている。

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そして、行列を作り、小さな子供から大人まで、フセイン!フセイン!と叫び、左胸をこぶしでたたきながら、街を練り歩くのである。


バーレーンにて街を練り歩くシーア派の人々

こうした一体感を醸し出すアツい祭りは、スンニ派にはないものである。シーア派スピリットを感じる祭りとも言えよう。

ちなみにスンニ派とシーア派は、見た目に違いはないが、名前には特徴がある。シーア派の指導者である「アリー」や「フサイン」という名前はシーア派に多いと言われている。

さらに付け加えると、シーア派はこのようにイベントが盛りだくさんなので、祝日もスンニ派より多いのである。

宗派が違うと仲が悪い?

スンニ派とシーア派というと、宗派が違うだけで仲が悪そうである。中東で起きているいざこざも、宗派対立が原因なんじゃないのと思いがちだ。

けれども、宗派が違うことでいがみ合うことはない。イスラーム教徒でも、「そんな違い気にしないよ。同じイスラーム教徒だ」という人もいれば、「同じイスラーム教というのには無理があるんじゃね?」とシーア派をディスる人もいる。

シーア派とスンニ派が同じモスクで祈っても問題はない。人々もさして、それを気にすることはない。

スンニ派vsシーア派と呼ばれる諸所の問題は、利権問題が絡んでいるケースが多い。例えば、バーレーン。国民の半数以上はシーア派であり、スンニ派は少数。しかし、国の実権を握っているのはスンニ派の王族である。

よって、就職や高い役職につく時、シーア派は不利に立たされやすい。実際にそうした不満からシーア派による反政府デモも度々起こっている。

逆のこともイランで起こっている。シーア派が多数を占めるイランのホルムズ島やゲシュム島には少数派のスンニ派たちが住んでいる。

この島では、本土からの積極的なシーア派化が進められており、バーレーンのシーア派たちと同じような境遇に立たされているスンニ派の人々がいる。

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