どこへ行っても理想と現実には大きなギャップがある。それは日本国内でも海外でも同じだ。というわけで、ヨーロッパに憧れを抱き、移住した人間が感じた無慈悲な現実をご紹介。
物価高
世界中で物価高が叫ばれている。ベルリンでも、皆同じことをいう。8年前に比べて物価が2倍になっているとか、昔は安くて住みやすかったのに、今では物価が高くなりベルリンを去る人も増えているという(ベルリンは、高円寺みたいな場所なので、安く生活できるのがウリの場所)。つまり長い時系列で見れば、一番厄介な時期に移住してしまったらしい。
初めはなんとかなるっしょ、という軽い気持ちでやっていたが、気づけば、家計は自転車操業になっていた。健康保険、所得税、高い家賃、テレビ受信料など、何かと出費がかさみ、お財布はすっからかん。とにかく息をしているだけで、金が飛んでいく状態。よって、人生で初めて「給料日よ、早くきてくれ・・・!」などと願っている自分がいる。
とはいえベルリンはまだマシな方だろう。この間、ロンドンに行った時はベルリンよりも明らかに物価が高かった。ユーロに対してポンドの方が高く、同じ値段ような値段でも、ユーロ払いだと結構きついのである。
コスパという概念はない
これを言ったら元も子もないのだが、値段に対してサービスがしょぼすぎるのを常に痛感している。高い家賃の割に家がボロく、家の修繕費にやたら金がかかったり、ヘアカットは大体50ユーロ(約8,200円)だがこれに5~10%のチップを上乗せしなければならないし、その割に質はイマイチといったところである。
よって常にぼったくられている、という謎の妄想にかられて、精神的にもよろしくない。めちゃくちゃレビューが良い場所でも、え?と思うようなサービスで、「ドイツ人はこのレベルで満足しているのか」とビビることもある。先進国だからといってサービスが優れていると思うのは、盲信だ。
ちなみに筆者はドイツの前にマレーシアに住んでいたせいで、コスパに優れたサービスに慣れてしまっている、というのが原因だろう。比べるのはナンセンスとわかっていても、「マレーシアだったらなあ」などとノスタルジーに浸ってしまうこともしばしば。
住宅難すぎる
物価高よりもきついのがコレ。まじで家が見つからない。見つかったとしても、ほぼ選べるチョイスなし。つまりは自由な住宅の選択権が限られている、と言っても過言ではない。家が見つからなすぎて、己の顔写真やプロフィールをネット上でさらしたり、町中に張り紙を貼って「家を探してます」とお知らせする人も珍しくない。切実感がハンパない。
また新参者にとっては特に無理ゲーである。なぜなら、ベルリンでは昔から契約をしている人ほど、家賃が安めという謎の傾向がある(法律によって基本的な住宅はそこまで値上げすることができない。ただし短期や観光客向けの物件は適用されない。よって短期滞在者や観光客はもろに高い家賃を食らうという”素敵な”仕組み)。
「俺っちの契約は10年前だから家賃は400ユーロだぜ」と言ったように、どれだけ契約が古いかを自慢するスレッドもネット上にある。つまり、私のような新参者はタイムマシーンがない限り、高い賃貸という選択肢しかないのである。ただしWGと呼ばれるルームシェアであれば、家賃はある程度抑えられる。さらに、私のように何も知らない外国人を狙って、高い値段をふっかけてきたりすることもあり、悪意でしかない。
インフラがもろい
移動に欠かせない公共交通機関だが、あまりうまく機能していない。語学学校のクラスメイトたちと、「ドイツのシステムやばいよね」という話を何度したことか。日本の祝日よりも頻繁にあるストライキのせいで、しょっちゅう運行休止になる。ドイツの鉄道網や道路がボロいせいで、頻繁に工事が行われ、路線変更、運行中止を余儀なくされる。そしてごくまれに、運転手がブチギレると電車が止まる。
そして、電車はホームレスの寝床にもなっているため、すごい異臭がする(これは特にベルリン)。イギリスについていえば、ヨーロッパのハブと呼ばれるヒースロー空港に向かう電車が、もはや防空壕かと思うぐらい暗くて狭いのである。もう悲惨としか言いようがない。
デジタル移行が進まない
日本と同じくドイツもDXを頑張っている。しかし、古い制度も引きずっているので、なかなかその移行がうまくいっていないように思う。なのでアナログの方が、確実で早いのである。ただ、これがめちゃくちゃ時間がかかる。お役所の予約を取るのも争奪戦で、数分おきにサイトを更新してなんとか予約をゲットしたり、予約が取れたとしても1~2ヶ月先というのも当たり前。
デジタルで手続きができると言っても、途中でシステムが止まったり、人間が使い方をよくわかっておらず手続きが進まない、とまあ悲惨である。こうしたお役所手続き系は複雑な上、時間がかかり、定期的に発生するので、頭を悩ませるクエストとなっている。
色々疲れてね・・・?
難民を受け入れる・・・なんてヨーロッパは心が広いんだと思ったが、よく見てみると善意で受け入れた難民たちに逆に苦しめられているようにも思える。その証拠がヨーロッパ各国の右傾化だ。
私がドイツにやってきて数ヶ月の間にも、難民がジモティーを殺傷する事件が数件発生した。人によっては、「全体の事件数を考えたら、たかが数件じゃないか」というドイツ人もいるが、事件が起きる度に「またか・・・!」、「もう勘弁してくれ」という声もある。
というか、そうした少数派がスケープゴートになるのは、人々の生活がよろしくないという証拠である。生活に不満がある人々は、問題の根本ではなく、別の方向に敵意をむき出しにする傾向がある。
ベルリン市長ですら「ベルリンはビンボー」というドイツの首都だが、最近さらに金がなくなったらしく、割安な公共交通機関チケットの廃止や、ベルリンのアイデンティティとも言える文化・芸術予算を削ったりして、関係者からは不満の声が上がっている。昔からベルリンにいる人が言うには、「元気がなくなっている」とのこと。
物価が安かった時代は、いろんな意味でもっと元気があったらしい。しかし昨今では有名クラブも次々に閉鎖し、そうした状況を嘆いている人もいる。しかし、”今”しか知らない私からすれば、それでもいろんなクラブやアクティビティがある状態。というわけで、全体的に見れば、ここには明るい未来はなさそうだ。
硬水&乾燥で肌がボロボロ
今まで住んできたドバイやマレーシアも硬水地域だったが、ドイツの硬水具合はさらにひどいような気がする。あくまでも肌実感ではあるが・・・ドイツに引っ越してきた当初から、あまり水が体に合わず、クリスマスマーケットで食あたりになったほどだ。
硬水対策としてシャワーフィルターを買ったり、水を使わない拭き取り化粧水などを使ってみたりしたが、髪の毛は大量に抜けたり、謎の化学反応により、顔の肌がポロポロとむける現象に見舞われている。
また冬だけでなく春先にかけても乾燥しており、いつも肌はゴビ砂漠状態である(どんなにクリームを塗っても翌朝には砂漠になっている)。砂漠地帯のドバイよりも、乾燥しているという悲しい状況。逆に言えば、湿度が低く快適ということでもあるのだが・・・
多様すぎる
多様性があるヨーロッパとはどんなもんや?と思い、のこのこやってきたわけだが、あまりにもおぞましい多様性すぎて、飲み込まれそうになっている自分がいる。いわゆるカルチャーショックだ。
ある程度「へえ〜」で流そうと努めているが、精神が弱っている時は、感じることがある。しかしそれがどういう感情なのかをうまく言語化できない。父親2人でベビーカーを押していたり、ほぼ裸みたいな格好で政治的な演説している人や、ハイヒールを履いているのがトランスジェンダーの人しかいない、といったような見慣れない光景を見続けると、脳はどうなっちまうのか、という不安に駆られる時がある。
本当に豊かなのか?
ヨーロッパ=先進国=豊か、と思っていたが、実際はそうでもなかった。特にベルリンは社会的弱者にあふれている。友達と会うよりも、ホームレス遭遇率の方が高いし、町中で物乞いに声をかけられることも少なくはない。キッズ物乞いの時もある。そのほとんどは、東欧の人々である。同じ場所で同じ物乞いを見かけるので、もはや町中のオブジェと化している。
ホームレス路線と言われるぐらい、ホームレスがたむろしている路線があり、その路線を避けるジモティーもいる。高確率で異臭がするため、なんで金を払ってる人間が異臭を我慢せにゃあかんのだ、と不条理に思うことがしばしばある(ドイツには改札がないので、無銭乗車もできなくはない)。
そう、社会的弱者は決して向こう側の人ではなく、彼らは常に我々の生活圏内にいるのがデフォルトになっている。
憧れるのをやめましょう
ヨーロッパは”あこがれの”だとか”素敵な”といった枕詞とともに語られがちである。とにかく理想化されすぎていないか、と思うのが正直なところ。
「北欧の教育方針は〜」、「技術大国ドイツは〜」、などと無駄に崇められているが、実態はいいことばかりではない。それは逆も然りで、海外の人が「日本は素晴らしい国〜」というのと似ている。お互いに距離が遠いので、リアルがあまり見えないというカラクリである。
そんなに自由でも幸せでもなかったスウェーデン
スウェーデンの危険エリアに潜入。移民問題について考える
もしかしたら、私が現実的すぎるのかも知れない。ヨーロッパは観光だけならいい。しかし、住むとなるともうちょっとよく考えればよかったと思う自分もいる。