売人もどきが、売上がてら?「美味しいレストランに行きたい」と言い出したので、近所のイタリアンに行くことにした。
入店すると元気な声で「ボナセーラ!」。これだけで嬉しい。ボナセーラの世界に行きたい。何せドイツの店は入っても、挨拶なしか、気の抜けた「ハロー」しか返ってこない。ファミマですら、元気な入店音で迎えてくれるというのに。
売人もどきは、店につくなり早々にエスプレッソを頼んでいた。「昨日からほとんど寝てないからさ」というのが理由。ディナーをエスプレッソから始める人間に初めて遭遇した。
売人もどきは、メニューを一度も開くことなく、「おすすめの品で」と注文。つられて私もミステリーメニューに乗っかる。店員も店員で「御意」の一言。これでは、何が出てくるのか分からない。まあ、とりあえず食べられれば何でもいいか。
レストランのはずだが、マッチョカフェかと思うぐらい、店員がやたらとマッチョ。ピークタイムが終わって暇になったのか、店員は椅子に座ってスマホをいじっている。しかし、客が店に入るとすぐさま「ボナセーラ」に取り掛かる。自衛隊並みに切り替えがすごい。
店は3ヶ国語対応で、イタリア語、ドイツ語、英語が流暢に飛び交っている。イタリア語のおかげか、店内がにぎやかしい。
売人もどきはコロンビア出身なので、気づいたら話がドラッグ中心に。ジャングルにおけるコカインの製造状況、ナルコスマネー、コロンビアの不動産高騰、コカインマーケットの民主化など。麻薬王パブロ・エスコバルの子供と同じ学校に通っていたらしい。日本ではせいぜい芸能人の子供だが、コロンビアだと麻薬王なのか。
麻薬関連の殺人現場を子供の頃に見たことがあるというので、「トラウマにならないのか?」と聞いたら、「トラウマになるのは異常なものを見た時だけ。人が殺される光景は当たり前だったから、特にトラウマにはなっていない」とのことだった。
私が幼少期から各地を転々としているノマドだというと、「大変じゃない?」と言われた。しかし、自分にとっては数年おきに住む場所が変わることは当たり前なので、それをごく普通に捉えていた。先のトラウマ理論と同じである。
兄弟の話になる。親は9人兄弟なのに、自分は1人っ子だという。私に弟がいるとわかると、目を輝かせていた。しかし、それはファンタジーであり、自分が持っていないものはなんでもよく見えるものだと説明した。兄弟がいるからと言って、仲が良いとも限らない。独身者からすれば、既婚者や子持ちが良さげに見えるのも同じ理由である。
前菜が運ばれてから、メインが来る気配がない。店員に聞いたほうがいいかな?と言うと、「the art of doing nothing」という言葉を紹介される。「料理はいずれ来るから、今はこのおしゃべりを楽しむほうがいいさ」と売人もどきはのんきに構えた。
レストランで料理は注文から〇〇分以内に運ばれるべきという概念に囚われていた自分。そして、ただ料理が来なくても、流れに身を任せて今の時間を楽しむことを忘れていた自分と対面。ああ、だから今までレストランは自分にとって堅苦しい場所だったんだよな。そんなことを考えていたら、メインのミステリーメニューがやってきた。牛肉のパスタとトリュフのパスタだった。
持ち帰りを依頼したら、パッケージに詰めてくれた。いい店だ。別のレストランでは、自分で詰めな!とコンテナだけ渡され、ドイツのミニマリストサービスに驚いたことがある。ドイツでは、袋詰めもやってくれないことが多い。イタリア株急上昇。
帰り際、売人もどきが水を注文した。マッチョ店員は、仕事がない時はスマホを見て時間を潰したり、やたらとスプーンやフォークを大きな音を立てて、ガサツに整理しているが、仕事が入るとすぐさま対応。
すぐさま対応しすぎてか、左手には水が入ったコップが置かれたトレー。右手にはサッカーの試合動画が流れているスマホを握っている。そして決め台詞は元気よく「プレーゴ!」。
ああ、イタリアに行きたい。