クリスマスに飽きた頃にやってくるのが、ドイツのクリスマスらしい。ドイツでは、クリスマスマーケットが11月後半から始まる。初めてのドイツのクリスマスに浮かれて、早々にマーケットを巡りをし、街中のクリスマスモードに心をときめかせること数週間。
もうよくね・・・?
クリスマス1週間前だというのに、私はすでにクリスマスに飽きていた。店達も飽きてきたのか、クリマス商品を早々に撤去し、新年祝いで使う花火やパーティーグッズを並べる始末である。
ドイツのクリスマスシーズンはとにかくすごかった。何から何までクリスマスモード。日本以上に、あらゆるところにクリスマスがはびこっている。改めてドイツの人々はクリスマスガチ勢だということを思い知らされる。
クリスマスシーズンの花屋はワクワクする
日本ではクリスマスといえばポインセチアが代表格だが、ドイツではリースや花束などがよく売られている
クリスマス前の週末ともなると、少しずつ人が減り始める。人々は帰郷し、首都ベルリンは、東京の年末のようにひっそりとし始める。ドイツに来て初めて知ったが、ここでは24と25日だけでなく、26日も祝日の対象となる。アフタークリスマスも祝うとは・・・
多くの店は、24から26日の3日間閉まる。スーパーやドラッグストアなど日用品を扱う場所は、24日の昼過ぎまで営業をしている。よって24日の午前中は最後の買い出しラッシュでどこも混み合う。たった2日間。しかし2日間でもスーパーが閉まるという事実は、人々にとっては大事件らしい。食い溜めをする人間の生存本能ゆえなのかもしれない。
というわけで、大して買うものもないのに、私も激混みスーパーに吸い寄せられてしまった。スーパーに防弾チョッキを着たイカついポリスたちがいたので、何事かしらんと思っていたが、単に買い物をしていただけだった。ポリスの手にはソーセージ。どのソーセージがいいか、仲間のポリスと話している。そう、ソーセージポリスですらクリスマスの買い物ラッシュに訪れるのがドイツらしい。
とんでもない量の商品を買う人々。ビールのケース買いはドイツではよくある光景。
可愛らしいお菓子の家セットだが、栄養スコアは最低ランクのEがつけられている。健康のためなのか知らないが、不都合な真実で気分も台無しである。
買い物ラッシュの波に飲まれ、卵売り場が惨状と化していた。治安悪過ぎないか?ドイツでは卵が割れていることがよくあるので、事前チェックが欠かせない。
街中で見つけた張り紙。「ベビーカーが盗まれたので探してます。有力情報提供者には100ユーロ進呈」。猫や鳥のパターンはあるが、ベビーカーは初めてである。やっぱり治安悪くないか?というか新しいベビーカーを買った方が安くないか?
買い物の後は淡々とジムに行き、帰宅。人気が少ない帰り道で、寂しさに何度か肩をたたかれた。
ぼっちクリスマスかあ・・・
アメリカや他のヨーロッパ地域でもそうだが、基本的にクリスマスは家族で祝うもの。そして年越しは友達と祝う、というのが通例となっている。ヨーロッパのクリスマスシーズンは、日本の正月に似ている。
テレビでニュースを見ていたら、同じくぼっちアメリカ人が毒を吐いていた。
「クリスマスといったら家族の集まりだしね。あたしゃ家族と疎遠だし、クリスマスほど憂鬱なものはないよ」
クリスマスの孤独は、欧米では日本以上に深刻な問題らしく、いかにしてクリスマスの孤独を回避するかという議論も盛んに行われている。オーストラリア人の3人に1人がクリスマスに孤独を感じている、という赤十字社の調査結果もある。
日本のクリスマスの寂しさは、恋人がいないものからくるが、欧米のクリスマスは家族がいないものから生まれる。恋人はオプションだが、家族は人類の基本構成単位であるため、家族がいないというのはクリティカルな寂しさを生み出す。
今思えば、日本のぼっちクリスマスの寂しさは、軽いジャブ程度だったのだ。別に恋人がいなくても、友達や一人で楽しめるアクティビティがたくさんあるわけで。カラオケをしたり、ショッピングをしたり。しかし、ヨーロッパでは楽しい店は全部閉まるので、ぼっちに残された選択肢はそう多くない。
ぼっちになることは想定内だし、そしてその道を決めたのも自分である。それにぼっちだからと言って、クリスマス鬱になんぞかからないだろうと思っていた。けれども、いいしれぬ寂しさの吐息がまとわりつく。孤独に強いはずの私がなぜ!?
ああ、そうか。これは本能的な寂しさなんだ。
我々ホモサピエンスは生来、集団で生活する生き物なのだった。町から人々がいなくなる姿は、人々が集団の元へ帰巣する姿を連想させる。一方で私は、いつまで経っても親が迎えに来ない幼稚園児のような不安にさらされる。
そう。クリスマスは、AIだのITだの現代人ぶってイキがっていても、我々はしょせん、ホモサピエンスなのだということをリマインドするイベントだったのだ。