キットカットに行こうと言い始め、コロンビア人とブラジル人と私の3人で同盟を組んだのが1ヶ月前。その場のノリで終わるかと思いきや、ガチでキットカットへ行く雰囲気になってきた。というわけで、そろそろ本腰を入れて、キットカットへの準備を始めた。
説明しよう。
キットカットとはチョコではない。ベルリンのクラブである。しかし単なるクラブではない。クラブ内でセックスする人もいるので、セックスクラブとして知られる。厳格なるドレスコードがあり、”普通”の格好では入れず、簡単にいえば、ほぼ裸のような狂ったファッションをせねばならないのだ。そして、行けば入れるというものではなく、クラブの門番こと黒服のバウンサーに、クラブにふさわしくない人間、と判断されたら入場お断りになる。
そう、入場困難かつ、その試練を乗り越えた先には、非現実的な世界が待っている、という大きな期待と謎が、キットカットを無駄に有名にしている。よってクラブに全く興味がない人でも、とりあえず「キットカット」という言葉は知っているというのがベルリンである。
キットカットは、ベルリンでは老舗のクラブなのだが、Googleマップの評価は星5と星1の賛否両論であふれかえっている。よく見ると、星1は、クラブに入れなかった人々による負け犬の遠吠え。星5は、見事クラブに入れた人による賞賛。
そう、たかがクラブだが、そこはベルリンの誇り高きクラブ。その誇りゆえに、キットカットに入れる人間と、入れない人間とに、人々を分断してしまうのである。
同じクラブでも定食のごとく日替わりでテーマが異なるため、ドレスコードも微妙に違う。公式ウェブサイトに記載されているドレスコードは「カラフル、エレガント、ゴシック、グラマー、ファンタジー」といったように、ただ形容詞がずらっと並んでいるだけである。NGな服装としては、ジーパン、Tシャツと明確に表記されているが、重要な項目はただ曖昧。参加者はこうした曖昧な言葉から、最適解を見つけなければならない。
私に与えられたお題はというと、
クレイジー、フェティッシュ、セクシー、クリエイティブ
・・・・・
完全に私の想像の領域を超えている。
というわけで、Googleマップで適当に「クラブ コスチューム」と検索し、ヒットした「Schwarzer Reiter」という店へ。後で知ったが、クラブ衣装を扱う店としては、ベルリンの中でも結構有名な店である。ショーウィンドウには、SMクラブかな?と思うぐらいの、どぎつい格好をしたマネキンたちが通りを見つめている。普段であれば縁もゆかりもないので、絶対スルーしている店である。
何を隠そう、実はこの日のために猛勉強をしてきたのだ。すべては謎に包まれたセックスクラブに入るためである。SNSやYouTubeなどでそれっぽいファッションを頭に叩き込み、どんなコスチュームにするか何度もシミュレーションを繰り返してきたのである。そんな時間があれば、ドイツ語をちょっとでも勉強したら?と自分でも思うのだが、これも立派なベルリン研究の一貫なのだと自分に言い聞かせる。
店内の雰囲気は普通のアパレルショップと変わらず、少し拍子抜け。しかしよく見ると、そこはフェティッシュパラダイス。レザーハーネス、セクシーランジェリー、首輪、ムチ、手錠・・・商品の99%が黒である。
「英語とドイツ語どっちがいい?」
ベルリンでは接客の前に、こうした2択アンケートを行うことが時々ある。他のドイツの都市であれば、ドイツ語一択だろうが、ベルリンは英語フレンドリーな都市(というか英語しか話せない店員もいる)なので、選択肢が与えられるわけだ。
声をかけてきた店員の顔を見て、ハッとした。
アクリル絵の具をまぶしたかのような鮮やかなイエローとグリーンのヘアスタイル。顔面中央に500円玉大の巨大鼻ピアスが鎮座し、全体を大きく印象付けている。強烈な印象をのれんのようにかいくぐると、素朴なキャンバス地が広がっている。過激と穏健の2層構造。
顔がベルリン・・・!
強烈な自己表現というアート。そこには単純な美醜のジャッジなど入る余地はない。なぜならそれはクリエイティビティの産物であり、圧倒的な主張を前にして、ただただその主張を受け止めるしかない。それは、美術館のアートを前に、ただそれを鑑賞する感覚に似ている。どのアートも素晴らしいものだから、良し悪しではなく、画家の個性を読み取ろうとするような所作である。
普通の店員の顔であれば、その日のうちに忘れるものだが、なぜかこの店員の顔は、1週間経っても覚えている。おそらくそれが、凡庸な人の顔ではなく、アートであり、私がその時に考えあぐねていた「ベルリンのスタイルとはなんぞや」という答えを見つけた決定的瞬間だったからだろう。
ベルリンの人々のおしゃれは、私が知る既定路線とは全く違っていた。どういう思想・概念に基づいたら、そんなことになるのだ?その答えを見つけるまでは、ベルリンのおしゃれは全くもってブラックボックス状態。しかし、最近分かったのは、どうやらベルリンの人は、モテだとか他人によく見られたい、という思想がなく、自己表現・主張をしているやつが良い、という世界観で生きているらしい、というのが私の見立てである。
今は空いているが、もう少ししたら客が増えるので、試着は1回につき5着までということ、試着したら所定の位置に服を戻すことなどなど、様々なルールを告げられた。派手な自己表現とは違い、接客はかなり丁寧で、店の商品への愛にあふれていた。
こんな変な店が、客であふれかえるだと・・・?
そう。日本であれば閑古鳥が鳴きそうなニッチな店も、ベルリンでは大盛況なのである。ベルリンにおけるフェティッシュファッションの需要の高さがうかがえる。
店内の客層は、やべえマニアばかりかと思いきや、どこにでもいる凡庸な人々である。カップルや友達がメインで、1人で来ているのは私ぐらいしかいない。中には銀座を歩いてそうな老夫婦もいる。年齢関係なく、フェティッシュファッションを楽しむのがベルリンらしい。
やべえ・・・
どれを選んだらいいかわからない
すべてがエキセントリックすぎて、どうやって着るのかすらも想像がつかない。その横で、他の客たちは次々に試着室へ吸い込まれていく。
30分ぐらい店を回遊した末、思い切ってハーネスを試着してみたが、洋服というより、単なる紐なので、着方がわからない。飼い犬にハーネスを着ける時ですら毎回まごついていたのに、人間用のハーネスはいわんやである。
5分ぐらい試着室でフリーズ
知恵の輪か・・・?
よって、試着室から店員を呼びつけ、ほぼ丸裸の状態で、紐の付け方を教えてもらう。「ここに足を通して〜」などと言われ、まるで幼稚園児になった気分である。店員も慣れているので、そこに他人の裸を見る、見られるという羞恥はない。ドイツサウナを経て、公共の場で裸になることへのハードルが最近どんどん下がっている気がするのは、気のせいだろうか。
気づいたら入店して1時間も経っていた。未知のファッションへの挑戦。何を着たら良いかわからないので、とにかく良さげなものをいくつか購入。
しかし、店を出てふと我に帰る。
”衣装”を買いに来たつもりが、袋の中にあるのは大量の紐。布面積がほぼゼロの衣装で大丈夫なのか・・・?