まだビザは取れていないものの、とりあえずこの地でしばらく生きるという決意をしたので、ドイツ語を学ぶことにした。というか、英語オンリーで生活できるという前評判だったのに、蓋を開けてみれば、ドイツ語が必須という圧を感じてのことである。
これまでにヘブライ語、アラビア語、インドネシア語などをかじってきたが、住む先々で新しい言語を学ぶのも面倒だな・・・と思いつつも、今回ばかりはやると決意したのでやるしかない。
ベルリンの語学学校
ベルリンには語学学校がごまんとある。提供するコースも豊富で、オンライン、対面、集中コースから社会人向けの夜間コース、週末限定コースなど、個々のニーズに合わせて選べるようになっている。私が調べた印象だと、集中コースは基本的に午前中のものが多い。夜間や週末コースは数が少なく、受講者も多いためか、予約がすでに埋まっているものも多い。
その中でも私が選んだのは、Kapitel Zweiという学校。ベルリン在住の日本人ブログでも紹介されており、私の住むミッテから電車で30分ほどとアクセスが良い。また、午前中はフリーランスとして働いているので、集中コースが午後にあるということと、レビューの評価も上々だったことも選んだ理由だ。
集中コースは、月曜から木曜の4日間、午後の1時から始まり、毎日3時間の授業がある。コースの開始は、1ヶ月おきで、開始2日前の週末に申し込んだものの、何とか受講できることになった。ちなみにクラスメイトの1人は飛び入りで当日に申し込んだという。
授業料は1ヶ月で319ユーロ。高いのか安いのかよくわからないが、韓国からワーホリで来たクラスメイトの1人は、最安値だったからここにしたという。
先生とクラスメイト
ドキドキしながら教室に入ると、すでに先生と他のクラスメイトがいた。
お葬式か・・・!
と思うぐらい、なぜかみんなうつむいてシンとしている。語学学校=ワイワイというイメージしかなかったので、拍子抜けである。生徒の構成は、ボリビア人2名(うち1名はスペインから)、韓国人2名、シリア人1名である。最後のシリア人の彼は、人生のほとんどをドバイで過ごしており、マレーシアにも留学していたという、私のパスと丸かぶりな人であった。
韓国からやってきたハナは、風貌からして立派なベルリナーであった。本国で出会った韓国人とは何やら異質な雰囲気を放ち、ほとんど笑顔を見せない。
てっきりベルリンに住んで長いのかと思いきやまだ1ヶ月だという。
「韓国が嫌いで、ドイツに住みたくて。来年ドイツの大学に行くの」
という。日が経つにつれハナの笑顔を見るようになり、初日はどうやら緊張していたのだろう。
オバマ似の先生ことマーセルは、ドイツ語しか話さない。ちょっとぐらい英語で説明してくれや、と思うのだが、徹底してドイツ語オンリーである。初日の授業の初めには、教室で食べ物を食べてはいけない、ゴミはゴミ箱に捨てる、スマホは授業中いじらない、などルールを逐一説明される。日本か・・・!
最年長の生徒
まさか年齢の話題が初日で飛び出すと思わなかった。が、出てしまった以上しょうがない。授業の休憩中、生徒同士で外でだべっていると年齢の話題になった。あまり意識していなかったが、みんな随分と若いぞ・・・!
そしてなんと私が最年長!
へえ
随分と月日が経っていたらしい。自分ではあまり意識していなかったのだが、自分が最年長になる日が来るとは・・・
彼らの年齢を知って以来、どこか過去の自分を見ているような気がした。初めての海外で、新しい語学を学ぶ。あの時の自分は、ずいぶん固かったもんだな・・・日本人とつるまないようにしよう、とよくわからないポリシーを立ててみたり、英語がわからなくてコミュニケーションが億劫になったり。
自分が最年長ということで、最近読んだ光浦靖子の『ようやくカナダに行きまして』という本を思い出した。彼女もまた語学学校で最年長。そして日本の芸能人というセレブという肩書きを持っている。年齢や肩書きゆえに、孤立してしまったり、周りとの付き合いに悩んだり、ということが書かれていた。
大学時代にイスラエルで語学学校に通っていた時、明らかな年上の人たちも少数だがいた。同世代の学生よりも落ち着いているので、どちらかというと私は彼らと仲良くなりたかったのだが、彼らはそれなりに忙しい身分だったらしい。今、自分が彼らの立場になっているのか・・・
そんなノスタルジーを感じながら、再び学生生活が始まるのであった。