4年間英語だけで生活した結果。英語力はどれだけ上達するのか?

英語だけで生活したら本当に英語力はあがるのか。そんな疑問に4年半のドバイ生活をもとに答えてみたい。

ドバイ生活前の英語力

まずドバイで生活を始める前にどれぐらいの英語力があったのか。自分で言うのもなんだが、おそらく平均的な日本人よりもやや高めの英語力を備えていたと思う。

と言うのも学生時代にイスラエルに留学(他の留学生の8割がアメリカ人だった・・・)してみたり、YouTubeや海外ドラマなんかをみてせっせと英語を勉強していたからである。

とはいえ英語力に自信があると言うわけでもなく、なぜか外国人と英語を話す度に緊張のあまり、鼻に汗をかいてしまう謎の現象が度々みられた。

英語生活で身についたもの

ドバイではどんな生活を送っていたのか。基本的に仕事は、外国人だらけ(というか私も当地の人間からすれば外人である)で日本人は1人もいない環境である。

そんな状況の中、自分の英語がどれだけ通用するのか。

私は正直ビビっていた。

案の定言われた。最初の会社でセクシー社長に、「あんたさあ、もうちょっと英語頑張ってくんないと」などと言われたり、英語ネイティブでも帰国子女でもない年下のアラブ人に、英語の書類を直される始末である。

英語力に対する自信は地に落ちた。とはいえ、今さら英語を勉強し直す気もあまりない。と言うかもう勉強はしたくないという怠惰により「まあ、いっか」と流していた。

このあたりから、自分の英語力に対するあきらめみたいなのが生まれる。

ドバイでは世界中の人間が寄ってたかって英語で生活しているので、おのずと己の英語力の世界ランキングみたいなものが見えてくる。国の経済力だとか規模だとかは関係なしに、個人の実力でランキングが決まる世界だ。厳しい現実である。

とりあえず英語のみで、サバイバルしなければならない状況になると、英語を聴く耳と主張する口が出来上がる。

ドバイにはいろんな英語がある。イギリス英語、インド英語、フィリピン英語、ヨーロッパ訛りの英語など。耳が慣れていないと、知っている単語や表現なのに、理解不能になることもしばしばだ。

同僚の中にも「こいつの英語全然分かんないな」と言う人も多々いる。けれども、しばらくすると聞き取れるようになるから不思議である。

英語がペラペラな状態とは?

英語で生活するうちに、とある疑問を抱いた。これは英語だけでなく、他の言語にも当てはまるだろう。

一体何を持って、英語がペラペラだと言えるのだろうか。

少なくとも私には、単に英語という言語を、日本語のように話したり聞いたりすることではないように思えた。英語を話すということは、英語の文化を理解し、そのように振る舞うことなんじゃないかという風に考えるようになった。

どういうことか。

例えば、英語圏では職場で同僚と顔を合わせる度に、「調子はどう?」だとか「週末何するの?」だとかいうフレーズが飛び交う。部下だとか上司とかは関係なく、こうした会話が飛び交う。なんでいちいち週末の予定だとか、週末の出来事を報告せなあかんのか。謎は深まるばかりであった。

仮に日本の文化をベースに、英語だけを使ったら、おそらくこのようなことは起こらないだろう。日本の職場において、上司などに「元気でっか?」などといちいち聞いたりはしない。儒教の影響か知らないが、上下関係がはっきりしている日本においては、相手の年齢や役職によって使う言葉も違う。

一方で英語の文化圏では、社長だろうが、新入社員だろうが、とにかく横並びで対応する。人々は、社長の顔を見ても、「ハロ〜マイケル!調子どうよ?」などと、社長も呼び捨てでフレンドリーに声がけをする。そして、相手の目をしっかりと見ないと、無礼者扱いされる。

当初は、英語がペラペラという状態は、豊富な語彙力で持って、気の利いた表現を使いこなす状態だと思っていた。けれども、英語で生活をするにつれて、英語を巧妙に操ることだけでなく、文化を理解した上で、振る舞いも工夫することもまた重要なのではないか、と思うようになった。

英語力を上げるのに重要なのは・・・

というわけで英語力というのは、単にテストで計測できるようなスピーキング力だとか、文法とか語彙力とか言う単純なものではないと思う。

英語話者としての振る舞いや、文化の理解度といったものも含まれてくるのではないだろうか。もちろん、前提としてのコミュニケーション力もある。このコミュニケーション力があると、それほど英語が流暢でなくとも、人々に理解され、愛される存在になることもある。

こうした人々はうらやましい限りだし、希少である。一方で私のようにコミュ力の戦闘値が極端に低い人間は、やはり語彙力やリスニング力などで持って武装しなければ、やっていけない。

4年半の生活を経て、とりあえず英語は日常生活や仕事で使えるレベルにはなった。鼻の上に汗もかかなくなった。喜ばしい限りである。

とはいえ、英語には慣れたが、語彙力と言う点では大きく変わっていないんじゃないかと思う。

と言うのも、とりあえずマーライオンのごとく、英語をアウトプットし続けてきたわけだが、インプットはほとんどしていない。そのため、語彙力や表現力と言う点では、ほとんど向上が見られていない。とりあえずあり合わせのもので、その場をしのげるようになっただけである。

4年以上たった後でも、職場で飛び交うネイティブの表現や単語が分からないことも、しばしばある。義務教育で6年以上も英語を勉強し、独学でもあんなに勉強したのに、まだ分からない表現が・・・この時の絶望と言ったらない。

その点において、英語に慣れることはできるが、語彙力や表現力を高めようと思ったら、勉強し続けるしかないのである。

かと言って、英語を90から100へ引き上げるよりかは、そのほかの言語を0から60ぐらいに引き上げることの方が、大事なんじゃないかと今では思う。

20代後半から海外で生活。ドバイで5年暮らした後、イスラーム圏を2年に渡り旅する。その後マレーシアで生活。大学では社会科学を専攻。イスラエル・パレスチナの大学に留学し、ジャーナリズム、国際政治を学ぶ。読売新聞ニューヨーク支局でインターンを行った後、10年以上に渡りWPPやHavasなどの外資系広告代理店を通じて、マーケティング業界に携わる。

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