生き方いろいろ。ドバイ生活に終止符を打った人々の決断

ドバイが他の場所と比べて特質なのは、その流動性だ。人口の8割が外国人という都市では、人がめまぐるしく入れ替わる。

職場で人が辞めるときにも、3人に1人はドバイを離れるため、というのを理由にしている。

ドバイにやってくる理由を聞いても、さして面白みはない。大半が、

1.出稼ぎ目的
2.ドバイで仕事のオファーがあったから
3.一時の海外暮らしを楽しむ(少数派)

といった理由に集約される。多くの人は経済的、政治的理由でやむ得なくやってきているのであって、好き好んで異国、しかもドバイという場所ににやってきているわけではないらしい。

一方で興味深いのが、ドバイを出て行った後の話だ。大半の人は、ドバイを去ることになるのだが、一体なぜ彼らはドバイを去ることを決意したのだろう。

パートナーの都合で

ニューヨークからやってきたバレリアは、ドバイで2年ほど働いたのち、再びニューヨークへと帰って行った。ニューヨークというエキサイティングな都市から、わざわざドバイなどに都落ちする理由が釈然としない。

しかし、その理由を聞いて納得した。ドバイにやってきたのは、もともと婚約者がドバイで仕事を得たため、それについてきたまでだという。そして、ドバイを離れるのも、その婚約者がニューヨークで仕事を見つけたためだ。

なんと軽やかなんだろう。もともと親の世代でメキシコからアメリカへ移住したという背景も絡んでいるのだろうか。

愛する人が仕事をする場所で、自分も仕事をみつけて働く。

あまりにも軽やかなドバイ移住すぎて、一世一代をかけて島国をやっとこさ飛び出したような自分が恥ずかしくなった。

世界をみたい

実際にあったわけではないが、ネットなどを見ているとドバイを飛び出て、母国に帰らず旅をする人もいる。

Against the compassというブログを運営するスペイン人の著者は、ドバイで数年働いたのち、「もう働きたくねえ」と一心発起。数年に渡る旅を今も続けている。

ドバイはどこへ行くにもアクセスがよい。4日もあれば、ヨーロッパやアフリカも十分に見て回れる。

週末旅行で、中央アジアや中東諸国、インド、スリランカなどに行くことも可能だ。だからこそ、時間をかけてもっとその土地を見たくなるのだろう。

それにドバイは生活者にとっては、さして面白みのない場所なので、頻繁に旅行する人が多い。

私も数ヶ月に1度は国外に出ているし、サウジアラビアやイエメンといったアクセスが難しい場所にもささっと行けてしまうのも、やはりドバイにいるおかげなのだ。

自分の夢を追いかけて

外交官の父を持つインド人のカリーナは、かつて日本にも住んでいた。彼女は、ドバイの仕事をやめて、インドに行き数ヶ月ヨガの修行を積む。

その後、はれてヨガインストラクターの資格を取得し、今ではドバイに戻り、ヨガを教えている。

華やかな広告代理店という仕事を捨て、自分の夢に邁進した彼女。自分のやりたいことが見つからないとか、やりたいことがあってもなかなか一歩に動けない、という人が多い中で、なんともいさぎよい決断である。

母国で起業

フィリピン人のジラッドは、ドバイで働いたのち母国に戻る決断をした。

お国の事情的にもフィリピン人は、ドバイにとどまるケースが多い。多くの人は、自国に職がないから外へ出稼ぎに出ている。

だからこそ、母国に戻るという決断を聞いたとき、少し驚いた。

ドバイで働く多くのフィリピン人は、販売員やベビーシッターといった専門スキルを必要としない職についている。

しかし、ジラッドはその例外で専門スキルを持ち、管理職にもついていた。そうした経験とスキルをいかして、母国のフィリピンで起業をするのだという。

さらなるチャンスを求めて

エジプトからやってきたエスラムは、子どもと妻がいる。しかし、彼らはエジプトで暮らし、エスラムは家族のために、ドバイで働き送金を続けている。

ただでさえ、家族との時間や絆を重視するアラブ人たちだ。寂しくないのかと聞くと「それよりも、子どもによい教育を受けさせたいからね」という。

そんな彼が次に向かうのは、ドイツだ。半年以上に渡り、ドイツ企業へ履歴書を送り続け、ようやくドイツでの仕事を見つけた。それまでにコンタクトをとった会社の数は、数え切れないほどだ。

「ドイツに行ったら、家族を呼び寄せるのか」と聞くと、彼はそれも否定した。子のチャンスのために、父親は世界でたくましく働く。

一方で、イギリス人のクリスティーナは悩んでいた。「あたし、もう30歳すぎてんのに、自分が何やってんのかわからなくなる」。いつも陽気な彼女が見せる意外な闇は、思った以上に黒かった。

キャリア的にもやりがいをあまり感じていなかったのかもしれない。彼女は、イギリスでマネージャー職の仕事をゲットし、意気揚々と英国へと帰っていた。

職場にイギリス人の彼氏もいて、多くの仲間もいて、一見すると充実している生活を送っていたように見える。けれども、本当に満ち足りているかどうかは、やはり本人にしかわからないらしい。

夢破れて

一方で、ドバイ就職が叶わずしてドバイを去った人もいる。「地獄のドバイ」で知られた、寿司職人を夢見てやってきた日本人若者の意外すぎる顛末。

ドバイ就職を目指したはずが・・・ドバイで拘置所に入ってしまった男の行く末

日本なんかもうダメだ!これからは世界だぜ!と意気揚々とやってきたものの、ドバイでの職探しがうまく行かず、ヤケになるサトウ氏(仮名)。彼は、誰もが知る外資系金融企業に勤めていた。そして誰もが羨むような学歴や仕事、職歴を持っていた。

ドバイが未曾有の不景気だったということもあったのか、華やかな生活とは一転、彼の生活は地底をさまよっていた。その後、彼がどうなったのかは知らない。

仮にドバイで華々しい仕事を見つけたとしても、それが日本以上のものかはわからない。

腰が重い決断

こうしてドバイを去る人々を見送る一方で、自分の場合は・・・と考えてしまう。自分がドバイを去る時、一体どのような理由になるのだろう。

自分の意思で異国にやってきた場合、去る決断も自分で下さなければいけない。これが結構やっかいである。異国での生活を軌道にのせるのに、いろんな苦難があった。

知人が一人もいない土地で生活を築き上げるのには、それなりの労力が必要で、振り返ればそれは立派なわだちとなっている。

その国を去るということは、そうした積み重ねを捨てることでもある。舐めた辛酸が強いほど、それは捨てがたいものとなる。次の一歩を踏み出すのを躊躇する。

そして目の前の安泰な生活にしがみつく。いや、それを維持するのも大変だし、選択肢がない人は、そこにしがみつくしかない。

一方で、そうした積み重ねは、自信にもなっている。ドバイでできたのだ。じゃあ、他の国であっても同じことができるに違いない。軽やかに生きる大陸の人々の姿は、そうした自信をさらに強めてくれる。

そんなわけで、海外生活の終わりは必ずしも帰国には限らない。その後、世界を放浪したり、別の国へ行ったってよいのだ。日本で働く意欲がない私は、おそらくこうした選択をするだろう。

20代後半から海外で生活。ドバイで5年暮らした後、イスラーム圏を2年に渡り旅する。その後マレーシアで生活。大学では社会科学を専攻。イスラエル・パレスチナの大学に留学し、ジャーナリズム、国際政治を学ぶ。読売新聞ニューヨーク支局でインターンを行った後、10年以上に渡りWPPやHavasなどの外資系広告代理店を通じて、マーケティング業界に携わる。

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