あまりにも衝撃的なことだったので書かずにはいられない。
100年遅れてやってきた文春砲とでも言おうか。なにせ学校の教科書にも掲載される有名歌人が、そんなことをしていたとは・・・という驚きである。
現代であれば、週刊文集や実話ナックルズあたりが取り上げていてもおかしくないほどのネタである。
わざわざ公共の場で話すほどの内容でもない。しかし、ひっそりとこの事実を誰かに伝えたいのでここに書くこととする。
江戸川乱歩の代表作の1つに「芋虫」という話がある。エロチックでグロテスクな乱歩ワールドが凝縮された物語である。
簡単に説明すると、こんな感じである。
死んだと思った夫が戦場から帰ってきた。喜び勇んで会いにいったが、それはもはやかつての夫の姿ではなく、四肢を失った、単なる肉塊と成り果てていた。
そんな肉塊となった夫の引き取り、二人の暮らしが始まる。とはいえ、夫は肉塊であり、妻がつきっきりで世話をしなければならない。
次第に、妻は己の中にある残虐性と高ぶる性欲をその肉塊にぶつけるようになるのだが・・・
原作はここまでである。しかし、乱歩の芋虫をテーマにした丸尾末広の漫画では、妻が己の陰部にバナナを入れ込み、翌朝夫に食べさせる、というシーンが描かれている。
・・・
驚くのはそこではない。
後日、見知らぬ男たちが語りあっている。与謝野鉄幹は、晶子のアソコにバナナを入れて、朝になって取り出して食べたそうです・・・いや、それ位どの夫婦もやっている・・・あなたも?・・・うんぬんかんぬんと話しているのだ。
ひえっ!?
「君死にたもうことなかれ」の?あの晶子さんが?
創作の世界から一気に、現実味を帯びた話を持ち出されて、動揺してしまった。教科書にのる歌人とはいえ、みな人間である。
それぞれの営みがあるだろう。
半信半疑で調べてみると、ほぼ事実のようであった。
時を大正時代に戻そう。
大正2年、性を徹底的に研究するぞう!という目的で「相対会」なるものが作られた。主宰者は、小倉清三郎という性研究家。会員たちは、各々の性体験を語る会報誌を読みまわしていたという。
今からすれば発情した中学生の活動か、とでもいいたくなるが、会員の中には芥川龍之介や平塚雷鳥、坪内逍遥といった面々が並んでいるので笑えない。
そんな相対会に入りたいとやってきたのが、与謝野晶子の夫である鉄幹であった。小倉は、ちょっとした面接のつもりで、「これまでに、特異な性体験はされましたか?」と聞いた。
鉄幹は得意気に例の「晶子とバナナ」について語ったが、小倉の答えは意外なものだった。「鉄幹先生、それぐらいならみなやってますよ」と。先に紹介した「芋虫」の漫画には、そんなワンシーンを描いたものだったのだろう(ちなみに原作にはその話は書かれていない)。
改めて私は与謝野晶子の作品や、自伝を読むことになった。まさか、当人もバナナ経由で、自分の作品に興味を持たれたとは夢にも思っていないだろう。
失望だろうか。
保護者からすれば「子どもに教えたくない歌人」になりうるかもしれない。けれども、誰もがいい顔をした聖人君子なのではないのだ。そうした人間の多面性こそが、人間を面白くするのである。