SNS疲れした人間の末路。SNSに疲れたので辞めました

自分でも知らないうちにSNS疲れに陥ってしまい、何も手につかなくなる状況になってしまった。

数ヶ月前は、仕事もプライベートも含めて、1日3~5時間ほどSNSに張り付いていた。その結果、SNSを見るのが非常にしんどくなってしまった。何をしていても楽しくない。

うう。でも無意識に手が動いて、アプリをタップしてしまう。完全な依存症だ。

もはや日々の行動が、SNS中心なのである。これやったらSNSでもっといいねつくかな・・・など、すべてはSNS様中心に動いていた。自分が本当にやりたいのか、SNSにアップするためなのか。よくわからなくなっていた。その当時は、なぜ自分が苦しいのかわからなくなった。

けれども、理由はちゃんとあった。『スマホ脳』という本を読むと、人間の脳がそもそもSNS向きではないということがわかる。テクノロジーは果てしなく進化したが、人間の脳はその進化について行っていない。だから、SNSをやりすぎると頭が疲労するのは当然のことらしい。

SNSの中毒症状にもがいている間、「このやろーSNSめ」とひたすら、アンチSNSな情報を探したり、ドキュメンタリーを見たりした。というわけで、以下にまとめたのがSNSをやらない理由である。完全にSNSを否定するわけではない。けれども、やるべきではない理由だって知っておくべきなのだ。

フォロワー数が多くても意味なくね?

SNS界において数字は絶対だ。フォロワー数やいいね数が多い=すごい人、みたいな図式が出来上がっている。フォロワー数が多いとなんかいいことがあるのかと思っていたが、少なくとも私の場合はそうではなかった。

ツイッターのフォロワー数が7,000人ほどいるが、それが実生活において何かいいことをもたらしたかというとそうでもない。SNS上で共通の趣味を話せる友達ができたわけでもないし、仕事につながったということもない。

私は常に一人でいたいというソリタリー人間なので、SNS上でもほとんど人と絡むことはなかった。むしろ、見知らぬ人にあれこれ言われたり、ブロックされたりと、意味もなく消耗することの方が多かったと思う。

SNSはギャンブル?

アンチSNSの人々の間でささやかれているのが、SNSはスロットマシーンと同じ原理を使っており、中毒性を引き起こすものだと言われている。

確かに。バズった時は気持ちいい。またあのバズりの感覚を味わいたいと、ひたすらつぶやいたり、写真をアップしたりする。バズった投稿を見て、同じような投稿をしてみる。

しかし、バズりは必ずしも狙って起こるわけではない。スロットマシーンのように、いつ出てくるかわからないから、SNS上にずっとへばりついているのだ。

ツイッターやFB、インスタの運営者にとって何が重要かというと、いかに長い時間ユーザーに使ってもらうかということである。

だからこそ、あなただけのおすすめコンテンツや、トレンドなどをあちこちに巡らせることで、「え?これなんやろ?見てみよ」という気にさせるのである。そして、ついつい我々は時間を忘れて、SNSで時間を過ごすのである。

元グーグル社員が告発…スマホ中毒者を量産するための「ヤバい手口」

ビルゲイツやジョブスは自分の子どもにスマホを使わせない

ビル・ゲイツは自分の子供が14歳になるまでスマホを持たせなかった。スティーブ・ジョブスは、自分の子供にデータ制限をかけてiPadやiPhoneをあまり使わせなかったという話がある。

フェイスブックのザッカーバーグも今年の公聴会にて、「あ〜た、自分の子どもにフェイスブックを使わせているの?」という議員の質問に対し、「一応、FBメッセンジャーぐらいは使わせてますけど・・」という曖昧な回答をした。

テクノロジー業界のトップほど、SNSはあまり良くない、ということを知っている。だったら、他人にすすめんなよと思うが、それがビジネスになってしまうのでやるしかない。

台湾のIT担当大臣オードリー・タン(ハンターハンターのセンリツに似ていると思うのは私だけだろうか)は、スマホのスクロール機能は依存症になる危険があるという理由でスマホを使っていないという。

ネットフリックスのドキュメンタリー映画『監視資本主義社会』では、フェイスブックのいいねボタンを作った開発者本人が登場し、「あれは・・・本当に良くない機能だと思ってたんです・・」などと、まるで罪人が懺悔するかのようにSNSの舞台裏について赤裸々に当事者たちが語っている。

SNSは本当に無料のツールなのか?

ギャンブルは明らかに目に見える、お金というものが増減するので、ハマるのはやばいと客観的に理解できる。一方で、SNSは基本的に無料。

けれどもユーザーは、己の時間と個人情報を提供している。個人情報は名前や電話番号だけではない。どんなつぶやきをしたか、どんな投稿にいいねしたのかというデーターも含まれる。基本的に、ツイッターやFB、グーグルはこうしたデータを広告主に提供し、広告収入を得ているのである。

SNSの投稿にどれだけ時間を費やしたことか・・・仮に1日に1時間だとすると、月に30時間。年間で360時間。それを3年間続けたら1,080時間。時給1,000円のバイトに換算すれば、100万円以上のお金に等しい。社会人の時給で換算したら、3~5倍はあるだろう。

お金だけでない。それだけの時間があれば、別の技術を習得するなり、学位すら取れたはずだ。

さらに悔しいことに、時間をかけて作った投稿は、どんどんと下の方へと流されていく。ツイッターやインスタがサービスを終了した日には、今までの投稿もすべて無と化すのである。

こう考えると、ボランティアで企業の売り上げ貢献しているようなもんである。

アルゴリズムは真の価値を分かっている?

いいね数やリツイート数を伸ばすには、ある程度の公式がある。フォロワー数の多い人にいいねされると、拡散されやすいだとか、トレンドのハッシュタグを入れて拡散機会を増やすだとか、コメントやいいねがつきやすいコンテンツを作るとかいったものである。

先の話に通じるが、結局ツイッターやインスタとしては、結局フォロワー数が多い影響力の高いユーザーの投稿にいいね数がつきやすくなる。けれども、一方でいいね数が少ない投稿は本当に意味がないのか?

せっかく投稿しても、いいねが少なかったら、それだけでやる気が失せる。自分の投稿自体に価値がないとさえ思えてくる。

でも、本当にいいね数が多い投稿ってすごい投稿なのだろうか?

価値がある投稿なのだろうか?

もしも、ゴッホや金子みすゞが現代でインスタをやっていたら、彼らは本当にインフルエンサーみたく評価されるのだろうか。

そう。なんだかインスタやツイッターが決めたルールで、自分の投稿や自分の感性さえも判断されるのが、気に食わない。

気づいたら、いいね数やリツイート数で、投稿を判断する自分になっていた。そんなんじゃ、己の感性は鈍っていくばかりだ。SNSのアルゴリズムよりも、自分の価値基準を持って、何が面白くて、カッコいいかを判断できる人間でありたい。

何が本当かわからん

特にインスタには、己を良く見せるキラキラ投稿がメインである。ある意味でディズニーランドみたいな場所である。

美ボディや美しいマッチョ投稿を見ながら、「ああ、自分ってダメねえ」と思う。けれども、ほとんどの写真や修正やフィルターを使って、良さげに見せている。

フィルターだけならまだいいが、ちょっとした修正ならいいが、最近では実在しないAIモデルや本人と見間違うぐらいに精巧なハリウッド俳優そっくりさんの動画なんかも出てきている。

う〜ん。もはや何がホンモノか分からん。というか、リアルの方が少ないだろ。イケイケなキャバ嬢やホストの写真が並ぶ歌舞伎町の世界である。

そんな作り物の価値観に、現実の自分が振り回されるのってどうなんだろう。

SNSから完全に離れることは可能なのか?

とは言っても、SNSをやめるのってどうなのか、と躊躇してしまう。これまで積み上げてきたものを手放すような、惜しい気持ちにもなる。投稿しないと、フォロワー数も減っていく。

SNS上にいなければ、情報が手に入れられないんじゃないかという不安にも陥る。

こういう時は、SNSをやっていない人間を探してみる。ハリウッドでも、ブラピやジョージクルーニー、ダニエルラドクリフはやっていない。作家の佐藤優はSNSを使わない理由についてこう言っている。

20代で捨てるべきことの最たるものがSNSです。とはいえ、連絡手段として使うこともあるでしょうから、それは良しとしましょう。自分で投稿したりSNS上でコミュニケーションをしたりするのは、時間の無駄ですから今すぐやめるべきです。

時間は希少財だということを肝に銘じておくことが大切です。SNSの中には有益な情報もあるかもしれません。しかし重要な1つに辿り着くために、無駄な99も付いてきてしまう。私は私の時間を持っていくものは全部敵だと思っています。

【佐藤優】20代でSNSを捨てるべき理由とは? 時間を奪うものはすべて“敵”と見よ

スマホしか持たない学生とパソコンを使う学生「無視できない学力差」/佐藤優

SNSから離れて感じたこと

私の場合、仕事でほとんどのSNSを使うので、完全にやめたわけではない。むしろ、仕事ではSNSに投稿したり、広告をバンバン配信している立場なので、ソーシャルメディアを運営する会社の人々と立場は同じである。

けれども、プライベートの使用はリンクトインを除き一切やめた。リンクトインは、仕事の依頼というライフラインに関わる連絡が来るので、キープしているのである。

そのほかのSNSアプリはスマホから削除。確実に見る機会は減った。SNS疲れでネットをやること自体に疲れたので、情報収集の代替として、新聞を購読することにした。とりあえず世界の動きと経済に興味があるので、イギリスのファイナンシャルタイムズ(FT)を購読している。

新聞を購読するなんて、時代に逆行している。自分でもそう思う。しかし、これが意外とラクなのだ。とりあえず毎日やってくる新聞に目を通すだけでいい。紙面のレイアウトで、何が重要なニュースなのかが分かる。

正直にいうと、SNSやネットではひたすら自分の気になるニュースを見ていた。それは断片的で、確証があるものかもわからず、偏向的な情報だったと思う。けれども、改めて思うのは新聞を購読すれば、お金こそかかるものの、ネットに惑わされずに済むし、プロの編集者たちがおすすめするニュースだけを読めばいい。

ネットにはなんでも無料で転がっているが、だからこそ何を選ぶのかが問われる。思えば、自分にはそんな千里眼など持ち合わせていなかったのだ。

SNSをやっていた時には、とにかく気が散っていた。どうでもいいことをついつい見てしまう。けれども、SNSをやめ他人の投稿やいいね数と比較することをやめると、もっと自分のやりたいことや生活に集中できるようになる。

SNSに疲れている人へ

SNSは単なるツールとして使えば、便利なツールだ。けれども、そのツールに自分が支配されると、物事がおかしくなってしまう。SNS疲れもその1つなのだと思う。ずっと他人や作られたキラキラ感と比較して、落ち込んだり、常にSNSをチェックして、集中ができなくなったり。

ある程度判別がつく大人でこうなのだから、キッズはいわんやである。もしも自分が10代の時に、SNS漬けになったら・・・ちょっと恐ろしいものがある。実際に、スマホやSNSの普及とともに、アメリカでは10代の自殺率も上がっているという。

完全にやめなくとも、Bufferなどの投稿ツールなどを使えば、タイムラインを見ずに投稿だけできる。SNSをやめるのはちょっと勇気がいるが、特に失うものはない。むしろ、得られるものの方が多いと今では思う。

そして、SNSが自分の人生を豊かにしてくれると思いながらも離れられないと思うのなら、それは単なる幻想だ。SNSは確かに承認欲求を満たしてくれる。けれども、スロットマシーンと同じく確実な豊かさは与えてくれない。

20代後半から海外で生活。ドバイで5年暮らした後、イスラーム圏を2年に渡り旅する。その後マレーシアで生活。大学では社会科学を専攻。イスラエル・パレスチナの大学に留学し、ジャーナリズム、国際政治を学ぶ。読売新聞ニューヨーク支局でインターンを行った後、10年以上に渡りWPPやHavasなどの外資系広告代理店を通じて、マーケティング業界に携わる。

管理人をフォローする
内向型のつぶやき
シェアする
進め!中東探検隊