海外生活が辛いのは”ないない病”が原因かも?日本人が海外で陥りやすい罠

海外生活が辛い・・・と感じる時、その原因の大半が「ないない病」だと私は思う。島国を出た日本人は、海外にてあらゆる種の「ないない」を経験する。

友達がいない。家族がいない。日本料理が手に入らない。日本ではこうだったのに、この国にはない。言わずとも理解してくれる「あ・うん」がない。言葉が通じない、などあらゆる面で、島国と大陸は違うのだということに気づかされる。

もちろん、こういったことは、日本人でなくとも直面することだ思う。けれども日本人は海外生活を送るにおいて、圧倒的に不利なのだ。以前も別の記事で書いたが、日本は世界からみると特殊な国である。

海外生活でストレスを感じている人へ。日本人が海外適応するのに絶対的に不利な理由

 “ないない病”にあらがうことは、労力がかかる

“ないない病”にかかった人間が何をおっぱじめるか。それは”ない”を埋めることである。

手当たり次第に日本人とつるもうとしたり、社交の場に集まるかもしれない。そこで、異国におけるお互いの生活の苦労などを語りあう。

食べ物のケースでいうと、日本食レストランをまわってみたり、アジア系の食材屋で日本の食材を探してみたりする。

“ないない”病患者にとっては、その辺のレストランや地元の食材で満足することはできないのだ。行方不明になった犬の捜索のごとく、必死で街を徘徊し、時には遠方まで足を運んだりする。

イスラーム圏でいえば、公共の場でお酒が飲める場が少ないので、なんとしてでも酒を手に入れようとしたりする。

その結果、酒を手に入れるためにわざわざ別の国まで飛んだり、ビール1杯1,000円以上という狂った価格すらも受け入れて、欲しいものを手に入れようとする。

その結果、ないを埋めるためだけに、多大な時間と労力をかけることになる。気づかないうちに、精神も磨耗する。

海外生活でやめたこと

これはすべて私がドバイ生活の1~2年目で行ってきたことである。3年もたつと少々余裕が出てきたのか、もしくは怠惰なのかわからないが、いろんなことをやめるようになった。

  • 日本からの輸入品を買うのをやめ、近所のスーパーで売っているアジア系食品もどきに置き換えた
  • 酒をやめて、炭酸系の飲料水で済ませるようなった
  • 日本食が食べたい時は、本格日本レストランではなく、その辺のアジア系レストランに行くようになった
  • 日本から持ち込んでいた化粧水や歯磨き粉などは、すべて現地調達にした

意図的にではなく、結果的に無理をしない方向でやっていたら、こうなったという結果である。

こだわりを捨てれば楽になる

そもそも私は、あまり食にこだわらない人間である。旨味がどうのということはよくわからない。大半のものは、うまいと思うお気楽な人間である。

本格的な日本食レストランで食べる日本食はずいぶんと美味しいが、その辺の日本食もどきのレストランでも、まあ美味しいと感じる、といった具合だ。

ただ、本格的な日本食のレストランは、私の生活圏からかなり離れた場所にあるので、片道1時間かけるぐらいだったら、もどきでもええやん、と思ってしまうのである。

実際には日本人がもどきというレストランの方が、日本人以外の間で繁盛していたりするのだ。このぐらいの”ジャパニーズ”料理で満足できれば、だいたい世界のどこへ行っても満足できる。

それに日本料理なんていつでも食べられるじゃないか、ということ。いずれは、日本に戻るのだ。だったら、今しかできないことや、ここでしか食べられないものを食べた方がいいんじゃないか、と思うようになった。

海外生活が退屈な日常と化すと、ついつい異国にいるのだ、という初心を忘れてしまう。

けれども、日本に戻ったらほぼこの暮らしは手に入らないだろう。そう考えると、現地との向き合い方も変わってくる。

ないものを欲しがるのはコストがかかる

こうしていろんなことを変えてみて、ドバイ暮らしの1~2年を考えた時。ずいぶんと無理をしていたなあと思う。

当時の私からすれば、単に飲みたい酒が飲める場所を探していたにすぎない。けれども、酒を飲まなくなった今からすると、その姿は、血眼になって酒を探すヤク中ゾンビである。

我ながらちょっとぞっとする。

酒が飲めないと知ると、不機嫌になったり、酒を飲んでも高いなあと文句をいったり。支離滅裂である。酒を飲んだら飲んだで、いろいろとあるのだ。

求めるものがない状態で、それを求めるのは、コストがかかる。

例えば、砂漠にあるプールでシャンパンを飲みたいといったり、中東で美味しい日本料理を食べたいと言ってみたり。どれもドバイで可能なことだが、無理があるのでコストがかかる。

金銭的なコストだけではない。それを手に入れるまでの、時間や思考、労力なども含めてのコストである。

普通に考えれば、日本から遠く離れた中東に日本と同等のクオリティの料理を期待することは無理があるし、砂漠にプールを作るのも酒を持ち込むのも自然の摂理に反している。

ある状態が当たり前だった人間からすると、無理な要求だとは思わないのだ。

しかも、ネットが高度に発達して、欲しいものが短時間ですぐに手に入る世の中だと余計にである。現代の我々はどうにもアマゾンに甘やかされているように思える。

どうやら当初の私は、必要以上に”ない”ものを埋めようと、必死こいていたらしい。けれども、”ない”状態に慣れる、もしくはより簡単な代替を見つければ、”ないない病”は自然と消滅していく。

同時に”ないない病”によって生じていた、労力や悩みからも解放されるのである。逆に言えば、それは現地生活への適応でもある。

ないない病をもっと早くに克服していたら、暮らしもずいぶん楽だったろうに、と思う。

手放すまでは、ずいぶんと勇気がいる。けれども、いったんそれらを手放して、ない状態に慣れてしまえば、人間はもっと身軽になるのだ。

20代後半から海外で生活。ドバイで5年暮らした後、イスラーム圏を2年に渡り旅する。その後マレーシアで生活。大学では社会科学を専攻。イスラエル・パレスチナの大学に留学し、ジャーナリズム、国際政治を学ぶ。読売新聞ニューヨーク支局でインターンを行った後、10年以上に渡りWPPやHavasなどの外資系広告代理店を通じて、マーケティング業界に携わる。

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