ドバイの街を歩いていると、至るところでさまざまな香りに出くわす。スークだったり、高級ホテルだったり・・・時にはすれ違いざまのUAE人やモスクで礼拝時に隣にいる女性から、その魅惑の香りが漂う。
香水とはちょっと違う、その強烈な香りは、一度香ると忘れられない。
その正体は、「沈香(じんこう)」だ。
ドバイのみならず、カタールやオマーンなどアラビア半島一帯で広く親しまれている。アラブ特有のお香かと思いきやそうでもない。
実は日本に古くから存在した「沈香」
実は日本にとっても関係が深い。沈香について書かれた書物は、「日本書紀」が最古のものとされている。「日本書紀」によると、日本と沈香の出会いは、なんと595年の推古天皇の時代。
日本書紀には、沈香が日本にやってきたときのことを、以下のように記している。
ある日のこと海外で木を拾い、それを薪にくべてみる。おお、なんといい香りがするではないか。この不思議な木をぜひとも朝廷に献上しなければ!
といった具合である。ちなみに、このいい香りがする流木を「沈香じゃね?」と見抜いたのは、聖徳太子だと言われている。
実際に沈香を焚いてみると、この気持ちがよく理解できる。インドちっくなお香やアロマなんて比にならないほど、クセになる香りなのである。嗅げば嗅ぐほど、なぜだか惹かれてしまう。
推古天皇の時代、聖徳太子や蘇我馬子なんかももしかしたらこの香りを楽しんでいたのかもしれない・・・と思うと、悠然とした歴史を感じさせる香りである。
金よりも高いといわれる理由は・・・?
沈香の正式名は、「沈水香木」。水に沈む香る木ということだ。ジンチョウゲ科のアクイラリアという木から取れる。木の一部が、傷がついたり、虫に食われたりすることで樹脂が分泌し、その分泌物が固まったことで生成される、偶然の産物なのだ。
沈香が生成される時間は50年、さらに高い質のものであれば100年以上はかかると言われている。先述したように偶然できるものなので、人工的に作るのは難しい。一方で、その高貴な香りゆえに沈香の需要は高まっている。年々その値段はあがっており、質の良い沈香を手に入れるのが難しくなっているのが現状だ。
中には、1キロあたり3,000万円以上もするものもあり、一時は金1キロあたりよりも高い価値がついたこともある。
ちなみに日本のお香屋などでも沈香は売られている。が、やはり高い。1キロにすれば軽く100万円にはなる。
日本の香木店のオンラインショップより
沈香は主に東南アジアでとれる。ドバイでよく見かけるのは、インドやカンボジア産のものだ。同じ産地でも、質によって香りが異なる。産地によって好みがある人もいるほどだ。ドバイの街中で売られているものは、主に「ウード(Oud)」もしくは「バフール(Bukhoor)」と呼ばれている。
街中で売られている「ウード(Oud)」と「バフール(Bukhoor)」。ウードは40gで45ディラハム(約1,350円)、バフールは、40gで25デイラハム(約750円)ほど。エキゾチックなパッケージにひかれる。
バフールはウードに比べると沈香が含まれている比率が低い。その分、ウードに比べると価格もやや安い。香りもウードに比べるとマイルドだ。個人的には、少々高めであってもウードの方が、香りがはっきりしているので好みである。
バラの香りのウード。
バフール。使用頻度にもよるがこの量で2~3ヶ月はもつ。
神秘の香りを自宅で体験
ウードにしろ、バフールにしろ自宅で楽しむには、それなりのセットをそろえる必要がある。どれも日本では馴染みのないものばかりであるが、ドバイであればスーパーやスークで手に入る。
ウード&バフールを楽しむのに必要な道具
1.ウードもしくはバフール
2.マブカラ(お香台みたいなもの。様々な種類がある)
3.香炭
あるとよいもの
1.大きめのピンセット(バフールや香炭をつかむのに必要。なければ割り箸などでもOK)
2.小型バーナー(キッチンコンロなどでも代用可能)
マブカラ(Mabkhara)と呼ばれる専用のお香台に、香炭を乗せてバーナーでやく。バーナーがなくとも、キッチンのガスコンロなどで5分ほど火に当てて温める方法もある。写真はAisha Al MahriのHow to use Arabian Incense Bakhoorより引用。
香炭がほのかに赤くなってきたら、ウードもしくはバフールを乗せる。
煙がわっと上がり始めると、香りが立ち込める。燃焼時間は10分ほど。
注意点はマブカラを必ず使うこと。当初、「灰皿とかでもいいんじゃね?」と思いガラスの灰皿に入れていたが、香炭の熱で灰皿が真っ二つに割れてしまったことがある。
もともとルームフレグランスなどには一切興味を示さなかったのだが、なぜかこのウードだけはまた焚きたくなる香りなのだ。特に気に入っているのはローズの香り。毎日、就寝前にたきこめるのが習慣になっている。