不浄という理由だけじゃない!イスラム教徒が豚肉を食べない4つの諸説

日本人がイスラム教徒と聞いて、思い浮かべるのが「酒が飲めない、豚が食べられない」といったことだろう。

もっと他にイメージできそうなことがありそうだが、日本人にかかるとなぜかこうなってしまうのである。

日本には、トンカツ、豚の角煮、豚骨ラーメンなどそれはそれはおいしい豚料理にあふれている。

だから、日本人にとっては「豚が食べられないイスラム教徒」というのは、よほど衝撃的なコンセプトだったに違いない。

日本人が愛してやまない豚料理を食べられない、悲劇のイスラム教徒。おお、カミサマ。なぜそんなひどいことをするのデスカ。なぜイスラームの神様は豚を禁じたのか。その理由を考えてみよう。

なぜイスラーム教徒は豚を食べないのか

そもそも、イスラム教徒の行動や考え方に対する、なぜの答えは大体にして、イスラーム教の聖典コーランに書いてある。なぜならコーランこそが、イスラム教徒の行動規範書になるからだ。コーランで見られる豚に関する記述は4箇所。その一部を見てみよう。

かれがあなたがたに、(食べることを)禁じられるものは、死肉、血、豚肉、およびアッラー以外の(名で)供えられたものである。
(2:173)

あなたがたに禁じられたものは、死肉、(流れる)血、豚肉、アッラー以外の名を唱え(殺され)たもの、絞め殺されたもの、打ち殺されたもの、墜死したもの、角で突き刺されたもの、(ただしこの種のものでも)あなたがたがそのとどめを刺したものは別である。また石壇に犠牲とされたもの、籤で分配されたものである。これらは忌まわしいものである
(5:3)

死肉はまだわかるが、なぜ「豚肉」だけが名指しでやり玉にあげられているのか。コーランの中に理由を探してもその根拠は見つからない。謎は深まるばかりである。

これぞ放置プレイ。

神様が答えを書かなかったおかげで、我々人間はいまだ「なぜ豚はダメなんだああ」と頭を悩ませ続けている。

そんな確固たる答えがないものの、一応はこれじゃね?という諸説はいくつかある。ちなみにイスラム教徒に聞いても、理由はバラバラだし、そもそもそんなこと考えたことがない、といった様子である。

豚は病気にかかりやすい

一般的によく言われるのが、豚は病気にかかりやすいという理由。国際政治学者の高橋和夫氏も、「なぜイスラム教徒は豚を禁じられているのか」という問いに対して、この説を挙げている

最近でも養豚場で豚コレラが発生したように、現代の日本の衛生管理水準をもっても豚の衛生管理は難しいという。

それに考えてみてほしい、イスラーム教が生まれたのはアラビア半島。夏には40度を超える日が続く。当時は、冷蔵庫なんてものはないから、肉を長期的に保管するのも難しい。そんな環境で、病気に感染しやすいという豚肉を食べれば、病気にかかる可能性は高いだろう。

豚は反すうしない動物

しかし、豚が病気にかかりやすいという理由だけでは、十分ではない。病気にかかるのは豚だけじゃない。鳥インフルエンザや狂牛病のように、鶏や牛だって病気にかかるのである。ここで、なぜ豚だけがあしらわれるのか・・・という問題が再び浮上する。

そこで考えたいのが、イスラーム教のもとになったユダヤ教。つまりイスラーム教について知るには、ユダヤ教についても知る必要がある。1か月間断食をするラマダンもイスラーム教というイメージが強いが、もともとはユダヤ教の「贖罪の日」に断食をすることからヒントを得たもの。

そのユダヤ教の聖典、旧約聖書のレビ記にはこんな風にかいてある。

動物のうち、すべて蹄(ひづめ)のわかれた、偶蹄のもの、そして反すうするもの、それらは食べることができる。
(レビ記11:1)

反すうとは、一度飲み込んだ食べ物を再び口に戻し、よく噛んでからまた飲み込むことである。

酒も豚もだめなイスラーム教は厳しい宗教と思われがちだが、ユダヤ教の方がさらに気が遠くなるほど食事の規律がある。鱗やヒレがついていない魚は食べてはいけないというルールがあったり、乳製品と肉類を一緒に食べてはいけない、といったものがある。

これにより鱗やヒレがない、タコや貝類は食べるのを禁じられているし、チーズとハンバーグが一緒になったチーズバーガーもユダヤ教徒にとってはNGなのである。

ユダヤ教やイスラーム教だけではない。インドのジャイナ教では、徹底して不殺生を説いているため魚、肉、卵を食べることを禁じている。さらには、レンコンやゴボウといった根菜類も引き抜くときに土の中の生物を殺す可能性がある!といって、食べるのを禁じされているという。

話を戻そう。ユダヤ教が禁じているのは、蹄がわれておらず、反すうしない動物。牛や羊、ヤギは蹄がわれており、反すうする動物なので食べられる。しかし、豚は反すうしない動物である。

これを考えると、なぜ豚だけがやり玉にあげられたのか、というヒントにはなりそうだ。

飼育コストがかかる

けれども、また別の疑問が浮上する。なぜユダヤ教は反すうしない動物を食べることを禁じたのか、ということ。

コーランで豚をわざわざ禁じているということは、イスラーム教が布教する前は、豚がその辺にいたことを示している。実際に、中東各所では約1万年前から豚は家畜として飼育されていた。ヨルダン川西岸のエリコやイラクのジャルモで見つかった新石器時代の集落からは、豚の骨が出土している。

文化人類学者のマーヴィン・ハリスは、「食と文化の謎」でこんな見解を示している。

牛や羊は主に草を食べる草食動物。一方で豚は雑食で、穀物や大麦などを食べる。ユダヤ教やイスラーム教が広まった時代、今のように十分に食糧が手に入らず、人々はもっぱら食糧をどのように確保するかを考えていた時代だろう。

人間が食べない草を牛や羊は食べて、肉やミルクなりで人間に食糧を与えてくれる。一方で豚は、草のみではやせてしまう。だから、人間も食べられる食糧を分け与えてまで、育てる必要がある。つまり、豚を飼育するのには大きなコストがかかるということだ。

果たしてコーランを書いた時代の人間が、そんなコスト計算なんかを気にするのかは疑わしいところではある。それにコストがかかるからといって、豚だけを禁じられては豚も「アンフェアだ!」と思うに違いない。

不潔な動物という文化的な刷り込み

そのほかにも、「豚は汚い動物」という刷り込みによって、豚が嫌えんされることもある。豚は雑食なのでフンでもなんでも食べるから不潔だという人もいる。汚い部屋という意味で「豚小屋」という言葉さえある。

豚は汚い。本当だろうか。それには豚の性質を知らねばならない。

豚には汗腺がないため、体内に溜まった熱をなんとかして発散する必要がある。その方法が、地面などに体を押し付けて、泥を体に塗りたくり、体内の温度を下げるという方法である。もともと豚の祖先は、水場がある谷間や木陰に住んでいたという。

きれいな水たまりがあれば、水浴びをする。しかし、それがなければどうするか。とりあえず身近に落ちてるもの。自分の糞なり尿なりに体を押し付けて、体温を下げるしかない。

その様子を見て、人間様は「まあ、なんて豚は汚い動物なの」と思うのである。豚にしてみれば、体内に溜まってやりきれない暑さを放出するのに、必死なのである。

イスラム教徒が豚を食べたらどうなる?

イスラーム圏であれば、豚を食べてしまう「危険性」は日常にない。そもそも豚肉は売られていないし、売っていたとしても「ハラール・セクション」と呼ばれる異教徒専用の食材売り場に隔離されているからである。

一方で、日本のような非イスラーム圏に住むイスラーム教徒たちは苦労することだろう。日本に住むイスラーム教徒が、知らずに食べた料理が、実は豚肉料理だったということもありえる。

イラン人は面白すぎる! 」という本では、日本に住むイラン人の筆者が、父親に豚肉と知らせずに豚肉を食べさせたときのエピソードを紹介している。

ひと口食べただけで父の表情は至福の光を帯びた。ひと言目に「うまい」、そしてふた言目には「まるでローリング・ストーンズだ」。父が「これ、なんの肉なの?」という言葉を放ち、運命のときは訪れた。

言うんだ、言ってしまえ、お互い楽になって、あのときこばんだ豚丼も食べに行こう。いや、待てよ。父は生まれながらのイスラムだ。これが豚だとわかったら、その場で命を絶つ可能性もある。どうすればいいんだ!

さて、このケース。息子にだまされて豚を食べてしまった父親は、どうなるのだろうか。コーランには、こう書かれている。

言ってやるがいい、「わたしに啓示されたものには、食べたいのに食べることを禁じられたものはない。ただ死肉、流れ出る血、豚肉ーそれらは不浄であるーとアッラー以外の名が唱えられたものは除かれる。だが止むを得ず、また違反の意思なく法を超えないものは、本当にあなたの主は、寛容にして慈悲深くあられる。」
(6:145)

つまり、知らずに食べた場合はおとがめなしということになる。なんと慈悲深き神様なのだろうか。豚を禁じた理由を述べずに放置プレイする神様とは思えない。

豚料理以外に食べるものがなく、どうしても食べなければ死んでしまうという窮地の状態であれば、やむなく豚料理を食べてもよい、という解釈もある。しかし、他に食べ物がないのに豚肉料理だけが、その辺にポンっと転がっている状態が本当にありえるのかは疑問である。

豚肉がなくても豊かな食卓

豚肉が禁止されている・・・というと多くの日本人はこう思うだろう。じゃあ、トンカツも豚骨ラーメンも食べれないんだ。

あんなに美味しいものを禁じられているなんて、なんて可哀そうなんだと。憐みの目さえよこしそうな勢いである。

しかし、そんな心配はご無用。むしろ余計なおせっかいである。

生まれながらにイスラーム教徒の人々は、そもそも豚肉の味を知らない。豚がなくても日常においてなんら支障がないのである。決して可哀そうでもなんでもないのだ。

それに、日本人は生まれつきそうしたものを食べているので、豚肉を美味しいと考える人が多いのだろう。たとえ、豚肉料理がおいしいことが日本人には事実であっても、豚肉になじみのない人が食べたところで、美味しい料理となりえるかは別問題である。

中東のイスラ―ム圏ではラクダ、羊、ヤギ、鶏肉、牛肉などが一般的に食べられている。豚がいなくとも結構バラエティ豊かなのである。スーパーでは、サラミやソーセージだって売っている。もちろん豚ではない。牛肉を使って作られたもどき商品である。


イスラーム圏のスーパーに売っている、牛肉で作られたベーコンやハム

正直に言って、ここまで豚料理に熱心になれる人々は世界を探しても日本ぐらいじゃないか。豚肉を愛してやまない人々。イスラーム教はなぜ豚肉を禁じているのか、という問題も豚を愛する人々ゆえにわきおこる疑問だろう。

作家である中村安希の「愛と憎しみの豚」はその代表とも言えよう。チュニジア、イスラエル、リトアニア、ウクライナ、モルドバ、そして豚肉大好き国家、日本を周り、地域や国によって愛され憎まれる豚と人々の関係を描いたものである。

イスラム教徒たちからすれば、日本人はなぜそんなに豚肉が好きなのか。それこそが、日本人へ向けた最大の疑問になるかもしれない。

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サイゾー

20代後半から海外で生活。ドバイで5年暮らした後、イスラーム圏を2年に渡り旅する。その後マレーシアで生活。大学では社会科学を専攻。イスラエル・パレスチナの大学に留学し、ジャーナリズム、国際政治を学ぶ。読売新聞ニューヨーク支局でインターンを行った後、10年以上に渡りWPPやHavasなどの外資系広告代理店を通じて、マーケティング業界に携わる。

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