命の価格リストに衝撃。娯楽の狩猟「トロフィーハンティング」の世界

トロフィーハンティングという言葉を知ったのは、偶然だ。

UAEの首都アブダビで開かれた「狩猟&馬術展示会」に参加した時のこと。展示会の目玉となっていたのが、銃の即売会である。

そこには、世界各国の狩猟、射撃用のスナイパーライフルや拳銃などが売られていた。

命に値段をつけられた野生動物たち

銃の即売会コーナーから外れて、会場を練り歩いていると、旅行コーナーに入っていた。主にアフリカのサファリツアーを紹介しているらしい。

へえ、どんなツアーなんだろ、と何気なくその辺にあったパンフレットを手に取った。

「え?何これ?」

目に飛び込んできたのは、うずくまる野生動物とライフルを手にした旅行者の記念写真だった。

猿、バッファロー、インパラ。動物園の人気者、象やキリン、シマウマもいるではないか。

トロフィーハンティング

パンフレットに入っていたのは小さなリーフレット。そこには、動物の名前とその横に価格が書かれていた。インパラ500ドル、ダチョウ800ドル、シマウマ1,700ドル、キリン2500ドルといったように。


トロフィー(=動物)価格リスト

これは一体・・・

立ちすくんでいると、運営者らしき白人男が現れた。そして、男を見るなりすぐさまこいつはやべえ、と直感的に思った。

こちらの常識が通用しなさそうな、冷徹な男。ここ10年の中で数人あったかあわないかぐらいの、アングラなやばさを醸し出している。部類でいうと、ヤクザとか薬物とか、そっちの領域の人々である。

サイコパス的な男を前に、私はアホにも「これって動物を殺すんですか?」と直球で聞いた。今考えれば、狩猟とかもっといいようがあっただろうに。

しかし男はうつろな表情で、こちらの質問にも、要領よく答えない。

ここはもう逃げるしかねえ。

なんだか怖くなってその場を後にした。

トロフィーハンティングとは

日本であまりなじみはないが、トロフィーハンティングとは、娯楽で野生動物を狩猟することである。動物を食料のために狩猟をするのではない。

仕留めた動物は、剥製や毛皮として、ハンターたちのトロフィーになる。それは、誇らしい狩猟の成功を象徴している。

現在、トロフィーハンティングはアフリカでは24カ国で合法となっている。先ほど私が遭遇したツアー会社がある南アフリカは、そのうちの1つだ。

富裕層向けの高額ツアー

ツアーに参加するには、ばく大な費用がかかる。先の会社が提供するパッケージ料金表によると、こんな感じだ。

5日間サファリ・パッケージ 3,900ドル(約42万円)
パケージ内容:1インパラ、1オグロヌー、1イボイノシシ、1スタインボック

7日サファリ・パッケージ  9,900ドル(約110万円)
パケージ内容:1インパラ、1シマウマ、1イボイノシシ、1スタインボック、1赤ハーテビースト、1オグロヌー、1クーズー

一番高いプランは、バッファロー1 頭のみで、10日間のパッケージ。すべて込み込みで16,500ドル(約180万円)である。

値段にしろ、パッケージ内容が動物であることにしろ、いろいろとツッコミどころがある。いや、ツッコミどころしかないのだ。

トロフィーハンティングのツアー費用は、サファリツアーにやってくる普通の観光客が使う何倍もの値段である。

これだけのお金を払う余裕があるのは、富裕層ぐらいだ。実際にハンティングにやってくる人間の多くは、アフリカの旧宗主国の富裕層だという。

ハンターたちの言い分

いかにして、トロフィーハンティングは行われているのか。

その疑問にこたえるのが、オーストリア人のウルリヒ・ザイドルによる「サファリ」というドキュメンタリー。

ハンターたちに密着し、狩猟の様子から、動物が生き絶える瞬間、記念撮影、仕留められた動物の解体といった一連の流れを映し出している。

映画に出てくるハンターたちは、なぜ野生動物を殺すのか、という問いにこう答えている。

「殺すというのは狩猟の一面に過ぎない。管理された環境での狩猟は、合法的で有益だ」

「普通の観光客が2ヶ月で使うお金を、ハンターは7日で使う。発展途上国の収入源になる」

「殺すというのは聞こえが悪いわねえ。殺すではなく、仕留めるといって欲しい」

実際にハントしている様子を見ると、大金を払ってきている割に、みなリアクションがうっすいのだ。

ハントが成功した瞬間。ガッツポーズでよっしゃあ!とでもいうのかと思いきや、「よし、やった」「おめでとう」とヒソヒソ声で話すだけである。そんなに嬉しそうでもない。

こんな薄いリアクションのために、殺された動物が無念でならない。

とりわけハントされた巨大なキリンが解体されていくシーンは、心が痛む。

さらに心が痛くなるのは、それを解体している人々である。みな、黒人だ。そして、解体された肉を食べるのは、彼らとその家族である。

ハントする人々は、現地の収入になるだとか、人々が豊かになるというが、画面に映し出されている黒人の人々は、一様に貧しい(意図的にそうした構図にしたのかもしれないが)。

映画はアマゾンのプライムビデオで見ることが可能。内容が内容なだけに、上映禁止になっている地域もある。

簡単に批判できる行為なのだろうか?

すでに多くの動物保護団体などが、批判の声をあげている。私も当初は、批判的だった。

しかし、考えてみるほど、トロフィーハンティングは、さまざまな疑問を投げかけてくる。

なぜ野生動物を殺してはいけないのだろうか。

食べる目的であれば、許されるのか。

同じ生き物でもなぜゾウ、キリン、ライオンなどはダメで、にわとり、豚、牛などはいいのか。

我々日本人だって、同じようなことに加担しているのではないか。

クジラ漁に関しては、「世界最大の哺乳類で、知能が高いクジラを食べるなんて、マジありえんし」などと海外からブーイングをあびている。

さらには象牙の問題もある。

最近では、「牙: アフリカゾウの「密猟組織」を追って」という本が出版された。象牙のためだけに、ゾウが残忍な方法で密猟されていく様子を追ったルポである。

日本も無関係ではない。今でこそ下火になっているが、象牙の国際取引が禁止される1989年までは、日本は多くの象牙を輸入していた。

ゴルゴ13の「アイボリー・コレクション」でも取り上げられている。ゴルゴ13が香港の売人を装い、象牙の密輸組織に潜入するストーリーだ。

この話が描かれたのは、1978年。70~80年代は、日本で象牙取引が盛んだった時代。それほど、長らく続いている問題なのだ。

私も含めて多くの人は、どのような形で象たちが殺されているかを知らないだろう。しかし、象牙の印鑑をありがたがったり、自らの権威を誇るために床の間に象牙を飾ったりすることは、直接自らの手で殺めてはいないものの、間接的に象の密猟に関わっているのではないか。

善良な市民のふりをして、トロフィーハンティングは悪だ、と声高に叫ぶことはできない。

おすすめ本

ゴルゴ13は40年以上続く人気漫画。単なるドンパチやる暗殺系の話かと思いきや、世界中で起こっている実際の政治、社会問題をテーマにしている。大変ためになる漫画なのだ。いや、もはや漫画というよりも、公民や世界史の副教材にすべきだと個人的には思う。

小学館ノンフィクション大賞にも選ばれた作品。よくぞ追ってくれたと思う。トロフィーハンティングのツアー会社の男に恐怖を感じたあたり、あれは一筋縄で取材できるテーマではないと思う。

20代後半から海外で生活。ドバイで5年暮らした後、イスラーム圏を2年に渡り旅する。その後マレーシアで生活。大学では社会科学を専攻。イスラエル・パレスチナの大学に留学し、ジャーナリズム、国際政治を学ぶ。読売新聞ニューヨーク支局でインターンを行った後、10年以上に渡りWPPやHavasなどの外資系広告代理店を通じて、マーケティング業界に携わる。

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