友達がいなくて辛い&孤独を感じている人へ。友達ゼロ人間からの提言

世の中には、友達がいなくてつらいとか、絶望を感じている人がいるらしい。

かつての私もそうだった。

「友達なんていて当たり前じゃん?」と、まるでスマホを持っているのが当たり前のごとく、言われる風潮の中では、悩むこともよくあった。

友達がいない=人間としておかしい?

しかし、いま思えばその悩みは、友達がいないことではなかった。友達は別にいらんけど、なんかいなきゃダメという空気とのギャップで生まれたものだったと思う。

友達いない=人間としてどこか欠落している。同じ方程式は、結婚にもあてはまる。いい歳なのに結婚していない=人間的に問題あり、といったように。

個人的には、結婚をできる、できないといった能力にあてはめることに、抵抗がある。

そこには、結婚したくはない人間もいるのだ、という人間を簡単に能力なし、欠如した人間、とおとしめる風潮があるように見えてならない。

今回するのは、結婚の話ではない。友達の話である。

友達がいないライフとは一体どのようなものなのか、という世界観を紹介するのが目的である。

もし、友達がいない寂しさをどう紛らわすか、友達をつくるにはどうすればよいか、という前向きな解決策を求めている方は、離脱されたし。

友達ゼロ人間のスペック

本当に私に友達がいないのかを疑わしく思う人もいるかもしれないので、自己紹介をしておく。

私は国内の中でも、相当手練れた友達0人間だと自負している。

ためしにグーグルで「友達 一人もいない」、「ソリタリー(孤独で友達いない人)」、「人付き合い苦手」と検索してみてほしい。

真っ先に私のサイト記事が上がっているはずだ。

そう、DHCのベストコスメもびっくりの、友達がいない孤独の3冠王といったところである。これで、私が真に友達がいないことを証明できただろう。

もともと友達は少ない方だったが、社会人になってそれが加速した。

特に学生の頃は、無理してでも友達を作らねば、という思いがあった。だから、無理して友達なるものを作って、学生生活をやり過ごそうとした。

クラスの連中から、友達がいない、と思われるのが嫌だったのである。

しかし、社会人は自由だ。仕事して、社会的な義務さえまっとうしておけば、友達がいなかろうが、誰も気にしない。

自分の思うままに人付き合いをやめていったら、ここ数年で友達も自然といなくなってしまった。

友達zeroである(ここでnews zeroのオープニングが流れる)。

そう、zeroなのだ。

誰かと出かけたり、ご飯を食べることもまずない。基本、でかけるのも、食べるのもすべて単独で行われる。年中単独ライブをやっているようなもんである。

しかし、それを嘆いてはない。

それが私の望んだことである。だから、友達がいないということは、「東京に住んでますが、何か?」と同じようなものなのである。

もともと遺伝子レベルで、あまり人と関わりたくないというのが、あるのだと思う。継続的に人とあって、話をしたりすることに、あまり楽しみを見出せないのである。

もちろん、人には興味があるし、面白そうな人には話を聞いてみたいということはある。けれども、一緒に旅行したり、ご飯を食べたりという形で、関係を持続させることには、さほど興味がない。

そうした関係を世間では、友達というのだろう。

友達がいても孤独を感じるときはある

友達がいても、寂しさや孤独を感じることは多々あると思う。

大人数の家族や仲間がいたとしても、人は時々「寂しいんだよな・・・」ともらす。

友達がいたとしても、自分のことが理解されなかったり、やりたいことができないと、そこにはいつも孤独と寂しさがいるのだと思う。

友達がいないということは、人間の一部分にしか過ぎない。たとえば、髪が黒いだとか、一重だとかいうレベルである。

友達がいないからといって、すぐに人生が不幸になったりするわけでもない。あくまで友達がいない=イケてない、という考えにとらわれているだけだ。

しかし、友達がいなくても平気だからといって、まったく孤独を感じないわけではない。普段、孤独は空気のようなものだが、たまにあるのだ。台風19号ばりの寂しさと孤独に襲われる時が。

しかし、それは友達がいないことから発しているのではなくて、自分の人生を楽しめてなかったり、調子がよくない時に限って起こるのである。

そんな時は何をしても楽しくないので、じっと耐えるしかない。ほっとくと、またすぐに友達Zeroライフを楽しみ始めるのである。

その場しのぎは、あなたを助けてくれない

時々、友達がいない、やべえ!ということで、緊急処置に取り掛かろうとする人もいる。緊急処置、つまりその場しのぎの友達をつくる、ことである。

友達でなくとも、知らない人とチャットしたり、オンライン上で誰かとつながろうとしたり、ということも あるだろう。

その時には、正しい解決策のように見えるが、それは根本的な孤独感や寂しさを取り除いてはくれない。

むしろ、自分なにやってるんだろう・・・とむなしさを一層加速させるだけである。

根本的な解決策は別にある。

自分の価値観を持つべし

我々は少なからず「友達100人できるかな♪」だとか、社交的な人間の方が優れているという呪縛に囚われている。

小学校か幼稚園か知らないが、「友達100人できるかな♪」なんて歌っている現場に乗り込んで、「友達0人でもええじゃないか、ええじゃないか」と乱入したい気分である。

友達がいなくても、できることは多々ある。友達と遊んだり、だべったりすることだけが、人間の楽しみや幸せではない。

もちろんそれを楽しみとしている人もいる。そういう人には友達がいる。

そして、友達がいることがいかに素晴らしいかを説き、友達がいない人生は損をしている、と哀れみの目で、こちらを見やる。

しかし、それに負けてはいけない。

友達がいるかいないか、なんて人生において大したことではない。少なくとも、友達いらない論者にとっては。

それよりも、自分が重要、楽しいと思えることに、夢中になりたい。

20代後半から海外で生活。ドバイで5年暮らした後、イスラーム圏を2年に渡り旅する。その後マレーシアで生活。大学では社会科学を専攻。イスラエル・パレスチナの大学に留学し、ジャーナリズム、国際政治を学ぶ。読売新聞ニューヨーク支局でインターンを行った後、10年以上に渡りWPPやHavasなどの外資系広告代理店を通じて、マーケティング業界に携わる。

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