憧れを潰しにパリに行く

観光地として王道のパリなんか行くもんか、と思っていた。スリが多くて、フランス語を話さないと差別される嫌な場所だとセルフ洗脳し、近づかないようにしようと決意していた。

しかし、北京からベルリンへのフライトで、パリのシャルルドゴール空港で乗り換えをした時のこと。たった1時間、しかも空港のみの滞在であったが、パリのイントロダクションとしては十分だった。

空港職員がやたらと「マダア〜ム」と呼びかけてくる。トイレは、赤と白のコントラスト。モダンアートを思わせる色使い。搭乗手続きでパスポートを見せると、「ドウモアリマゴウゴザイマス」と日本語をかます、フレンドリーさ。

「やっぱりパリはオシャレに違いない。一度はパリに行ってみたいなあ・・・」

やばい

パリに憧れを抱き始めているではないか!?

これは早めに潰しておかねば・・・

というわけでこうした無駄な妄想は、早めに潰しておくのが吉ということでパリに向かった。

パリの第一印象

ベルリンからの短距離フライトということで、あてがわれたのは、ターミナル2のFゲートというしけた空港だった。空港から市内へタクシーを走らせること40分。ようやく市街地に入ったかと思ったら、道ゆく人々は皆アフリカ系であった。そして、いわゆる日本人が想像する”パリジャン”やアジア人の姿は皆無である。

Googleマップによると、18区にいるらしい。店の顔ぶれを見ても、オシャレなカフェといったものはなく、中東やアフリカによくある、観光客の購買意欲を全くそそらない、生活必需品が淡々と並んでいる。意外なアフリカタウンの出現に、なぜかワクワクしてしまった。なんだか楽しそうな場所だぞ。

そしてホテルがある4区へ到着。ここはいわゆるパリだった。18区から4区に行くにつれ、グラデーションのように、行き交う人々の顔ぶれも代わり、観光客がイメージするパリっぽさが濃厚になっていくシステムらしい。

到着したのは夜。近辺を軽く散策すると、教会みたいな場所に長い行列。ベルリンで行列といえば、ナイトクラブかポップマートのオープン初日ぐらいでしか見たことがないので、てっきりクラブかイベントかな?と思い近づいてみると、そこは炊き出し会場だった。

遠巻きにその様子を見ていると、ご飯をゲットしたと見られるおっさんが、声をかけてきた。

「炊き出しは19時半からだけど、俺は17時から並んでゲットしたんだ。このスープ、マジでうめえから、お前も並んだ方がいいよ」

ひえっ

どうやら人間というのは、お得な情報は誰かと共有したいものらしい。

おっさんはホームレスというわけではなさそうだが、経済的には困窮してそうなグレーゾーンの人だった。髭がボーボーに伸びており、正直どこの国の人か見た目では判断がつかない。フランス語訛りの英語だが、積極的に声をかけてくれるあたり、この町はなんかフレンドリーだなと思った。ベルリンでは物乞いに、金か飯を要求されることはあるが、お得な情報をお裾分けしてもらったことはない。

あたりを見ると、炊き出しの参列者と思われる人々が、地べたに座ったり、立ったままスープを飲んでいる。リトル西成がそこには出現していた。

これがパリか・・・

意外なパリの光景に、親近感を抱いてしまった。

物欲をぶち上げてくるパリ

パリは都会で資本主義的な場所だと感じた。簡単にいえば、買い物が楽しい場所である。何気なく入った場所でも、おしゃれなセレクトショップや個人ショップが展開されており、とにかく見ているだけでも楽しい。

しかし、これがパリの罠である。購買意欲を誘うトラップがそこかしこに仕掛けられており、物欲があまりない人間でも、ついついそのトラップに引っかかってしまうらしい。


高級ブランド靴が回転寿司のように回っていた


ショーウィンドウで電車が走っている


ブラウニーの生産者。生産者の顔を載せるのは野菜ぐらいだと思っていたが、パリではスイーツにも載せていた

おもちゃ屋で売られていたカタツムリのぬいぐるみ。カタツムリをぬいぐるみにしようという発想がフランスっぽい。しかし、カタツムリを食っている立場でありながら、可愛らしいぬいぐるみを仕立てる行為。相反するゆえに狂気を感じるのは私だけだろうか


「ドラゴンボールZ」という名のスイーツが売られていた。スイーツも進化すると、フリーザーの如くシンプルになっていくらしい。

とまあいちいち、商品のディスプレイにも驚いてみたりする。

人を変えるパリの威力

パリに来る前は、パリが得意とする西洋美術にも食にも興味がない人間だった。

しかしルーヴル美術館のカフェで、高貴な朝食を食べ、ルーヴル美術館でぶらぶらした後、私はすでに数時間前の私ではなかった。

翌日は予定になかったロダン美術館のチケットを予約し、その後、英語の本を主に扱う独立系本屋、「Smith & Son」で『Perfection』という小説と、『Women don’t owe you pretty』というフェミニズムの本を買った。そして数十メートル先にあるヨーロッパ最古の英語書店「Librairie Galignani」にも行き、ダンテの『神曲』を買った。

パリ最後の食事。韓国レストランでカス・ビールとビビンバを注文。ランチタイムのピーク時を過ぎた店内のカウンター席で、ビビンバを食べながら、『神曲』を読んだ。これがパリの最大の思い出である。

ビビンバと神曲。

一体どういうことだろう。

食べ物なんて食べれればいいじゃないかと思っていた。

私は単純な舌の持ち主ゆえに、大概のものは美味しく感じられるので、それで十分だった。ルーヴル美術館のカフェにいった理由も、朝イチのルーヴルに行くため、とりあえず近くで腹を満たせればOKと思って入ったが、メニューを見て仰天。

たかがオムレツが20ユーロだと!?

ルーヴルだからって、足元見てやがる。しかし、タンパク質を是が非でも摂りたいので、オムレツを注文。エネルギーも欲しいので、炭水化物のトーストも6ユーロだが追加しておこう。ここまできたら、10ユーロもするキャロット&ジンジャージュースも注文してまえ。

というわけで、総額約7,000円の高貴な朝食がこちら。


オムレツが卵に浸っている・・・だと!?トーストといえば、食パンを対角線でぶった斬ったパンじゃないのか!?

20ユーロのオムレツは、世界一美味しいオムレツに違いない。私はそう確信した。20ユーロも出せば、世界で一番美味しい〜が味わえるということに気づいて以降、美味しいものを食べたいという欲求が、齢30を過ぎて生まれた瞬間だった。

ルーヴルではとりあえずモナリザを見ればいいだろう、という雑なモチベーションしかなかった。

モナリザに対面する、ルーヴル最大の「カナの婚礼」のスケールに圧倒される。オーディオガイドで、カトリックの修道士たちが黙食をしながら、この絵を眺めたという小話を聞いた瞬間から、何らかのスイッチが入ってしまった。教科書で見たことがある有名な絵も、実際の絵を前にすれば、まるで別人。教科書ごときの小さな挿絵では、絵の良さなど何も入ってこないのだ。


埋もれるモナリザ


誰もいない空間はホッとする

ルーヴルで感じたのは、絵と対面すると何らかの感情が生まれるということ。単純にいえば、好きな絵とか興味惹かれる絵とかその程度のものである。けれども、自分がその絵を見ることで生まれる感情は、自分が確かにそこに存在している、という感覚を生み出す。

お気に入りの画家も絵もなかったのに、ドラクロワの自画像を見て、勝手に死者に惚れ込み、「ダンテの小舟」を見て、「神曲」が急上昇キーワードとなる。


絵は単にそれを見ればいいものではなく、どこにあるか、どのようなスケールかという文脈も重要と実感

そういえば、ロダンの「地獄の門」も「神曲」がテーマだったのでは?ということで、急遽ロダン美術館に。彫刻を見ても何の良さもわからないだろう、と思っていた。しかし、年老いたしわしわの婆さんが美しいのじゃ!と言わんばかりの「美しかりしオーミエール」を見て、醜さの中に美しさがある、という美学に衝撃を受ける。確かにルーヴルで見た彫刻も、若い、均整の取れた肉体をもつものばかりだったような。SNSでは単一的で表面的な美がもてはやされているが、パリはいろんな美があることを教えてくれた。


学校の校外学習と思われるちびっこグループがおり、デッサンをしていた。幼少期からロダンの彫刻に触れるとどうなるのか・・・

ロダンやドラクロワに創作させるほどの「神曲」は、よほどのことに違いない。ホテルに戻る途中に本屋に寄ることにした。フランス語一強のパリと思いきや、店内は英語の本で埋め尽くされていた。この時、まだ自分には知らない知識が山ほどあるのだと思った。

店員にダンテはあるか?と聞いたら、手が届かない上の棚を案内された。急に神曲が読みたくなって、本屋に入ると、私が解読できる言語で神曲を提供してくれるパリの本屋はいい奴だと思った。もちろん、ネットでも手に入るが、ルーヴルで生の絵画を見て以来、デジタルではなくリアルの感触を大切にしたいと思うようになった。

空港に行くまであと2時間。小腹が空いてきた。そや韓国料理にしよう。新大久保にありそうなポップなコリアンレストラン。先に届いたカスビールを飲みながら、本を開く。スマホではなく、本を開いている自分に軽く驚く。地獄の図解を眺めながら、これから始まる未知なる地獄への旅にワクワクしていた。

韓国料理屋でダンテを読む、というシチュエーションはこれまでの人生で予期しなかった。けれども、自分が食べたい料理を自分が食べたいタイミングで食べることができ、自分が知りたいことを自分が知りたいタイミングで授けてくれる。ささやかな欲望と、全く予期せぬ自分に出会えた時、パリにいる幸福を感じたのである。

私の妄想に反し、パリは国際的で知的好奇心を満たしてくれる場所だった。パリの見えざる手によって、自分が予期せぬ方向に転がっていくのも面白い。結局、憧れを潰すどころか、パリに沼ってしまうという残念な結果となってしまった。