ルーヴルではただ絵に圧倒されるばかりで、絵の特長や時代背景がよく分からなかった。それが悔しくて、美術関連の本をいくばくか読み漁った。せっかくドイツにいるので、ドイツの絵画を見てみよう。
ここに来てようやくドイツの首都にいるメリットを活用するようになったのである。それまでは地下に潜り込みテクノクラブに通い詰めていたが、長い月日を経てようやく、地上の明るい興味に邁進することになった。
イタリアやフランスはゴージャスで明るいを作風を描くが、ドイツはどうなんだろう。冬は寒くて暗くて長い。そうした気候も絵に影響するのでは?となるとドイツの画家たちは、暗くて辛気臭い絵を描くに違いない、と失礼極まりない仮説を立てていた。
死の島へ向かったものの・・・・
そんな失礼な仮説とともに向かったのが、ベルリンの旧国立美術館である。ここで見たかったのは、アルノルト・ベックリンの「死の島」とカスパー・ダーヴィト・フリードリヒの作品である。いずれも明るさとは対照的である。
早速、「死の島」へ向かったわけだが、あるべき場所にない。その辺にいたスタッフに聞いても、「ない。いつ戻ってくるかも知らん」などと冷たくあしらわれる。
一方でないと思っていたものが、あったりもした。それがフランツ・フォン・シュトゥックの「罪」である。ミュンヘンに行かないと見れないと思っていたものが、ベルリンで見られたのはラッキーである。どうやら、同じ作品が複数存在している模様。

フランツ・フォン・シュトゥック「罪」

悪い顔してやがる・・・
ゴッホの「ムーラン・ド・ラ・ギャレット」
孤独の良き理解者に出会う
カスパー・ダーヴィト・フリードリヒの作品はかなりあった。事前に仕入れた知識によれば、ドイツの画家は人間の内面を描くのが上手いらしい。派手でキリストの同じストーリーを擦りまくる宗教画を見ると、内なる人間の感情を描くってどういうことだろう、という点に興味が湧いた。

カスパー・ダーヴィト・フリードリヒ「孤独な樹(Der einsame Baum)」
ドイツの長くて暗い冬は、気を滅入らせる。一方でカントやニーチェなど思想家も多くいる。そうした内面を考える土壌がドイツにはあるのだと思う。中でも印象に残ったのが「雪に覆われた柏の木(Eichbaum im Schnee)」という絵。
寒々しい冬景色に立つ、1本の枯れ木。美術館から家に帰ると、家の窓から同じような景色が見えた。なぜかその瞬間、この寂しさを同じように感じている人がいたのだと、勇気づけられるような気がした。
バンクシーがパレスチナのホテルに残したメッセージがある。
the role of art is to comfort the disturbed – and disturb the comfortable
アートの目的は、不安な者を慰め、快適な者を不安にさせることだ
私は知らないうちにカスパーの絵に救済を求めていたのかも知れない。ベルリンの1月の暗くて寒い冬。なんの希望も見出せない。孤独感が増す、嫌な時期。それを深淵なる内省に転換できず、ただ孤独の理解者を求めていたのだと思う。
