自分の行動パターンについて考えてみた時、どうも人間的におかしいのではないか、と思うことがある。
ゲーム化してしまった人生
例えば、せっかく新しい移住先で生活が安定してきたと思ったら、それをぶち壊して、また新しい国へ行きたくなる。
国レベルでの移動は、言語も社会ルールも異なるから、適応するまでに時間がかかる。ゲームで言えば、せっかくクリアしたのに、リセットしてやり直す感じに似ている。
ゲームの世界ならまだマシだが、実生活だとお金・時間・体力も随分とかかる。
なぜ1つの場所にとどまることができないのだろう。
その謎を解くのがノベルティ・シーカーだ。ノベルティ・シーカーとは、直訳すると新規性を求める人。つまり、新しいことをやって刺激を得ないと気が済まないのである。
ノベルティ・シーカーは、ドーパミンに反応するDRD4という遺伝子の配置が、新規性を求めない人と異なるらしい。わかりやすくいえば、通常の人よりも刺激に鈍く、変化や新しいものなどより強い刺激を求めがち、ということである。
なんだDRD4って。
スターウォーズのR2-D2か。
新しいことをしないと気が済まない人
新しいことというのは、様々なレベルがある。食べたことがない料理を食べるだとか、知らない場所に行ってみるだとか。そうしたレベルであれば、まだ可愛いもんだ。
私の場合も、かつてはそのレベルで生活に支障はなかった。人が行かないようなソマリアとかイラクなどに旅行するぐらいで、新しい場所に行きたいという欲望を満たしていた。
引っ越しも頻繁にしており、同じ場所に最長で5年(1回だけ)、平均すると大体1~2年である。これも引っ越し好きとして、スルーすることはできる。引っ越し好きというより、単に新しい場所で刺激を得たいというカラクリ。
仕事に関しても、数年おきに転職をしていたが、これも世間的によくあるキャリアップということで、特段異常だとも思っていなかった。
趣味もコロコロ変わる。本当ならば息の長い趣味を続けたいのだが、ここ最近では、中東旅行→イスラーム建築→イスラーム美術制作→登山→テクノクラブ→ヨーロッパ美術と、なんの成果も生み出さないわらしべ長者みたいな状態になっている。趣味もそれなりに金がかかるので、「ん?」とは思っていたが、ここもなんとか多趣味ということで、乗り切っていた。
住む国を変えすぎた結果、疲弊
ところがどっこい、最近では頻繁に住む国を変えているので困っているのである。パソコン1つでどこでもできる仕事になってから、特にそれが加速している。側から見たら好きで変えているんでしょう?と思われるかもしれない。最近まで私もそう思っていた。
しかし、違うのだ。
度重なる環境の変化と適応へのエネルギー消耗により、体は「もう、やめてくれよ・・・」と言っているのである。けれども、脳みその方が「いや、もう飽きてきたし、今度はこっちに行ったほうが・・・」みたいなことをそそのかしてきやがるのである。
そう、本当はやりたくないのに、脳が指令をだしてくる。心と体が分離してしまっている状況。もう訳もわからず移住を繰り返し、己で辛い状況に追い込む、まぬけな状況だ。
特にドイツにやってきてからというものの、その傾向が顕著になっている。ドイツは、役所手続きなどが煩雑で、ビザは簡単に取れても、生活を軌道にのせるのが大変。それに、厳しい冬のせいで、防寒アイテムを買ったり、体のメンテナンスで、出費が増えるのである。
さらに私を悩ませるのが、言語問題である。私は根は無駄に真面目なので、一応その国の言語を覚えてみようとする。しかし1年ちょっとでは身に付くはずもなく、ただ時間と金を無駄にして、徒労に終わるということを繰り返している。そうやって、少しだけかじった言語が、脳みその隅にいくつも放置されている。
英語圏であればいいのだが、ドイツはドイツ語。英語だけでは、生活に支障が出る。よって、今度はやはり英語圏の国に行ったいいんじゃないかだとか、もっと都会のパリに行くべきだ!などと、バカ脳みそが発案してきたりする。
これだけの金と労力を払っておきながら、数年でその国の生活を手放し、また1から生活を構築する。いやいや、ビルドゲームじゃないんだから。刺激は経ても、生活は磨耗するばかりだ。
本当は私だって、ドバイ在住10年とか言ってみたいのだ。同じ場所に長年とどまれる人がうらやましい。
変化がないと生きられない
「人間ってのは変化が嫌いなのっ」。ブルックリンのステーキ屋で、向かいのテーブルに座っていたビジネスマンが放った言葉だ。アメリカ人らしい佇まいから、いかにも真実性があるように思える。その言葉を聞いた瞬間、ぎくっとした。
変化がないと生きられない人間もいるのにな・・・
確かに人類史で見れば、変化や新しいものは、生存の脅威であり、人間はそうしたものを恐れるように設計されている。それを考えると、人間は変化を嫌って当たり前だ。では変化がないと生きられない自分はどうなるのか。
これまでの行動パターンを振り返ると、一貫して安心・安定を嫌っていた自分がいた。好物はリスク・未知である。特に安定思考が根強い日本では、「変わっている人」などと異端視とされる。
なぜ自分はこうなっちまったのか・・・
そう、私はDRD4に支配された、悲しきモンスターなのである。
悲しきモンスターの生存戦略
これを読んでいる人で、他にもそうした人がいるのだろうか。しかし、生活に支障が出てきたので、そろそろ考え直さずにはいられない。
というわけで、最近セルフ治療?として始めたのだが、移住という大きな変化を起こすのではなく、小さな変化で代替するもの。
例えば、今まで以上に新しい趣味やスポーツを始めるとか、旅行とか。それぞれから得られる刺激は、移住に比べたら小さい。けれども、そうした小さな積み重ねをしていくことで、大きな変化から得られるドーパミンに匹敵させていくのである。
移住をし続けていた時は、刺激を求めるのももちろんだが、「どこかに必ず自分にとってベストな場所があるはずだ」と信じていた。けれども、そうした場所は存在しないということがわかった。置かれた場所で、満足するようにしていく、そうするしかないのだ。
だからもう住む国を変えたりしない。今ある場所で、ベストを狙っていくのだ。
と思いつつも、どうなるかはわからない。ただ脳みそには、「もう頼むから、国を変えないでくれ」と言いたい。
