日本にとってイラクという場所は、ちょっと特別だ。
他の中東諸国のように、石油中心の関係だったり、どこか遠い異国というポジションとは、一線を画している。
イラクのトラウマ
というのも、イラクでは過去にバックパッカーの日本人青年、香田証生さんががアル=カイダによって殺害される事件が起きたり、邦人3人が人質となったり、サマワへの自衛隊派遣を巡って議論を巻き起こした。
あの時からだろうか。自己責任論が叫ばれ、危険な地域へ行くのは迷惑だの、言われるようになったのは。
すでにイラクとの一悶着は、多くの日本人にとって過去のことになっている。
けれども、イラクについて触れるとき、私自身どこかであの「イラクのトラウマ」に囚われているような気がしてならない。なんだか、嫌な感じがするのである。
そして今回、イラクを旅行することで新たなトラウマを、背負いこむことになった。
イラクで問題児になる
自分で言うのもなんだが、ツアー中は終始、問題児となってしまった。
ツアーを引率するイギリス人に叱られ、現地のイラク人フィクサーにさえ、「おめえさんは、本当に問題ばかり起こしてよお(問題らしい問題は起こしてない)」などと言われてしまった。
最終的には、周りの参加者たちからも、「何こいつ、やば・・・」と距離を置かれるはめになった。
自分としても驚きである。というか、人生の汚点である。
普段は、クソがつくほど真面目な人間だと言うのに。
学生時代は、ヤンチャになりたくても、なれなかったくすぶり人間である。ギャルやチョイワルは、密かな憧れであった。
よって、自分にできたのは、せいぜいヤンキー御用達の鬼ハンドルチャリに乗るぐらいであった。
それはともかく、なぜ私は問題児になってしまったのだろうか。
思うに、協調性のなさだろう。
ツアーだというのに、単独行動が多すぎたからかもしれない。
参加者たちが、食事に出かけたり、ホテルでスヤスヤ眠っている頃合いを見計らって、町歩きしていた。
途中から、ツアーなのか単独旅行なのか、わからなくなってきたぐらいである。
一度だけ、この無断外出がバレて、ツアーの引率者に、「アンタの父ちゃんやないから、あれするなこれするなとは言わんけどもなー、勝手な行動はしたらあかんで」とガチのトーンで怒られた。
それにしても、三十路近くになって怒られるとは・・・
恥である。
そして、私は深く心に刻んだ。ああ、自分は断じて、団体行動ができない人間なのだと。
もしかしたら、今後この会社で開催されるツアーは出禁になるかもしれない。
外務省に目をつけられる
イラク旅行後、一通のメールが届いた。日本の政府機関で働く方からである。イラクの現状と危険性について一通り述べた後、危険度レベル3以上の場所には、今後いかないように、との忠告があった。
ひえっ!?
さらに、追い打ちをかけるようにして、別の関係者から、「あなた、外務省の中東課で目をつけられてますよ」という、恐ろしい宣告をいただいた。
妄想ではない。
というか、妄想であって欲しい。
こう言われては、お先真っ暗である。外務省に目をつけられては・・・旅券剥奪もありうるのでは・・・?動揺は止まらない。
イラク旅行の代償は、とんでもなく大きかった。
そのせいもあってか、私にとってのイラク旅行は暗かった。行かなければよかったとまでは言わない。
行った時期も関係しているだろう。訪れた時期は、反政府デモが起こっていた。我々の訪問後、数ヶ月たった今では、治安は回復するどころか、悪化の一途をたどるばかりである。
確かに昔のイラクは輝いていた。昔といっても、1,000年以上前である。そうした輝かしさの名残はあるものの、現代のイラク自体が、トラウマに囚われているようだった。
過去数十年前を振り返れば、戦争、テロ、略奪。イラクの街中には、貧しさもはびこっている。水が汚染され、中東のヴェニスと呼ばれたバスラの川は、相当な異臭が立ち込めていた。
メソポタミアの遺跡は、本国イラクではなく、ドイツやイギリス、フランスなどで管理されているものも多かった。
本国においとくと、大事な遺跡が破壊されるから・・・という保護のためだろう。それでも、自国の文化遺産が世界へ散り散りになってしまうのは、どこか寂しい。
どうにも前向きになれない風情ばかりなのである。
どうやら今回ばかりは、行く時期を見誤ったのかもしれない。そして、自分はもう、ツアーに参加するべき人間ではないと、心の底から思った。