バグダッドのカフェで朝食を。混沌と日常が交錯するバグダッドを歩く

イラクで反政府デモが続く現在、ニュースだけを見ていると、さぞかし今のイラクはカオス状態なのだろうと思う。

実際に行ってみて思ったのは、確かにカオスな状態ではあるものの、日常の営みも確かにあったということ。

ただ、その境界線はあやふやで、デモで破壊されたと見られる建物のすぐ近くで、屋台でお茶をするバグダッド市民がいたりと、日常と混沌が入り乱れている。

バグダッド市内。破壊されたバス停
ガラスが散乱したバスの停留所。若者たちが憂さ晴らしに破壊したと見られる

もしかしたら、混沌も含めてこれが、イラクの日常なのかもしれない。

半径500メートルの生活圏で、治安部隊と衝突して誰かが命を落としたり、思わぬ爆弾事件に巻き込まれたり。

生きている以上何が起こってもおかしくない。バグダッドを歩くことは、少なからずそこに死が寄り添っているような気もした。

日本では、普段の生活をしてい、死ぬかもと思う確率は、ほぼ低い。けれども、安全な島国をいったんでると、そうした環境は非常にレアだということに気づかされる。

死に対して鈍感になると、生きることに対してもまた鈍感になる。日本をしばし離れて、考えたことだ。

私がデモの中心地であるタハリール広場に到着する8時間ほど前。広場の近くで、車が爆発し、少なくとも4人が死亡する事件が起こった。

誰による犯行なのかはわかっていない。ただ、デモ隊に対する攻撃だったということは明らかだった。デモの騒乱に乗じて、治安部隊でもなく、デモ隊でもない集団による攻撃も見られるようになっていた。

朝7時。私は、バグダッドの早朝散歩へ繰り出した。向かったのは、飲食店やショップが集まるカラダ地区。滞在しているホテルからは、歩いて20分ほどの場所にある。

早朝である。それほど人がいるとは思っていなかった。

なにせアラブ人は夜型というイメージがある。

特に湾岸諸国では、ショッピングモールや飲食店は、昼過ぎから深夜にかけてが、一番活気が出る時間帯である。現地で行われるイベントにしても、だいたい夕方過ぎから始まるケースが多いのだ。

夏の間は、外に出たら命の危険を感じるレベルの暑さなので、人々は自然と暑さが和らぐ時間帯に行動するようになったのであろう。

と思いきや、ここバグダッドでは朝活に励む人々がなんと多いことか。

まだ7時過ぎだというのに、朝食のパンを買いにやってくる人や、優雅にお茶をする人々などがいた。

しかし、お茶をしているのも、買い出しにやってきているのも、ほとんどおっさんとメンズしかいない。それは、この地区だけに限らない。どこもメンズだらけなのである。

2011年に米軍がイラクから撤退したあと、バグダッドの治安は悪化した。市内各地で、大規模な爆弾テロが続くようになった。このカラダ地区も2016年には、イスラーム国による爆弾テロがあった場所である。死者は300人にものぼった。

この結果、外に出るのは危険ということで、子どもや女たちは、家にとどまるようになったとも言われている。

パンを買う人
焼きたてのパンを大量に買いに来た男たち。イラクでは米も食べるが、パンは朝、昼、晩食べる

中東のパン
中東のパンといえば、「ホブス」と呼ばれる丸い形をしたシンプルなものが定番。この中に、野菜やお肉をつめて、サンドウィッチとして食べたりする

パンを焼く人平たくて薄いタイプのパンは、小さくちぎって、魚や肉と一緒に一緒に食べる。フォークやスプーンを使わずとも、パンさえあればOKなのだ


ひとてまかけてそうなパンも売られていた

立ち食いベーカリーショップ。パンをその場で購入すると、おっちゃんが4等分カットし、あつあつのシロップをかけてくれる。1つ2,000ディナール(約180円)


シロップを湯水のごとく、かけまくる兄さん

イラクの巨大パイの実
サクサクとしたパイ生地に、クリームが入っている。「パイの実」巨大バージョンである

すぐ横には、立ち食いスペースがあり、見知らぬおっさんと向かい合いながら、あま〜いパンを食べるはめになった。

中東の料理屋でよく起こるのが、見た目はおいしそうだが、とにかく量が多いという現象。こちらのパン、ボリュームとしては、パイの実を50個一気に食べるようなものである。

目の前のおっさんは、5分足らずで完食し、立ち去っていた。朝から、フードファイターになった気分である。

甘いパンを食べたので、ちょっとお茶で休憩したい。

イラクにスタバはない。一般的なカフェもちらほらあったが、路上に点在する茶屋に集まる人々の方が多い。


道端の茶屋。またおっさんと相席


バグダッドの路上カフェで一杯。グッドモーニング、バグダッド

現代イラクは、イラン・イラク戦争、湾岸戦争、イラク戦争、爆弾テロ、イスラム国といったように黒歴史まみれだが、時代をずっとさかのぼれば世界最古の文明、メソポタミア文明が生まれた肥沃な土地でもある。

イラク滞在中には、そんな「肥沃さ」にしばしば出くわした。メソポタミア文明が生まれたのは、今から5,500年以上も前のことだが、現在にいたるまで、その名残りに触れることができる。

何より驚いたのは、バグダッド空港に降り立つ前にみた、空からの景色。一瞬、羽田空港か!?と思うぐらい、あたり一面緑におおわれていたのである。どこもかしこも、きれいに整備された田園地帯が広がっていた。

それは、見渡す限り砂漠しかないアラビア半島からやってきた人間にとっては、驚きであり、あこがれであった。

人は、しばらく緑という自然を目にしていないと、その反動により自然をものすごく渇望し、緑が恋しくなるという症状にしばしば見舞われる。砂漠では、緑は希少価値の高い”高級品”にすらなる。

砂漠でおおわれたアラビア半島は、イスラーム教が誕生した地でもある。イスラーム教徒たちにとって、緑は天国や肥沃を象徴する色でもあるのだ。

街中の青果店では、新鮮な果物たちが、これでもか!と山積みになっていた。

青果店というのは、野菜と果物が半々ぐらいで売られていると思うのだが、イラクの青果店は違った。とにかくフレッシュな果物をゴリ押しするのである。


新鮮な果物が売りの青果店。野菜は奥の方に少しだけ置いてある


店頭で存在感を出す果物たち。店の3分の2のスペースを果物が占拠している


ザクロはイラクのイチオシなのか、どこでも見かけ、料理にもよく使われていた

たまたま、その店だけだったんじゃ?と思われるかもしれない。しかし、他の店をみても、やはり果物を全面に押し出す店が多いのである。イラクの7不思議である。

人通りが多いメインストリートはにぎやかだ。けれども、メイン通りから一本入ると、なんとなくしけた感じがする。


道を歩く女性。ライトな着こなしをする若い女性もいる一方で、チャドルと呼ばれる真っ黒なマントを身につけて歩く女性も多い

バグダッド市内には、いまだ米軍の攻撃を受けたり、イスラーム国による爆弾テロ被害にあった建物が残る。戦後復興がなかなか進まず、老朽化した建物が多く、公共サービスが行き届いていなさそうな様子があちこちにみられた。

現在のイラクは、電力不足やチグリス川汚染による飲料水問題などを抱えている。生きていくのに最低限必要な、きれいな水や十分な電気すらも手に入らない。

夏のイラクは、気温50度近くにもなる。そんな中で、クーラーが使えないとなったら、もはや絶望しかない。

公共サービスがポンコツすぎる上に、大学を出ても仕事がない状況。「この国どうなっとんじゃ、ワレ」ということで、若者たちが立ち上がった結果が、今回の反政府デモである。

騒乱か祭りか。イラク反政府デモの前線で見た意外なもの

最後に訪れたのは、人だかりができている軽食屋台だった。イラクの屋台というのは、なかなかディスプレイ力がある。何気なく近づくと、カラフルな野菜や、センス良く盛り付けられた惣菜たちが、食欲を増進させる。

地元でも人気の屋台なのか、警察車両が次々とやってきては、ポリスが朝のサンドゥイッチをほうばっていく。

朝の定食メニューを頼むと、出てきたのがこちら。

栄養バランスといい、色合いといい、すべてにおいて優れている。イラクの青空屋台から、こんな美しい朝食が出てくるとは、思いもよらなかった。

しかも、これだけのボリュームがあって、お値段は2,000ディナール(約180円)。

今年の、ベストブレックファースト賞をあげたいぐらいである。

イラクで現在起こっていることや、負の部分を見れば、嘆かわしい状況である。しかし、すべての人が嘆いているわけではない。その辺で、甘いスイーツをほうばったり、安くてうまい朝食を仲間たちと食べたり。日常的な光景もある。

バグダッドを歩くということは、現在にまで影を落とす黒歴史と、今ある日常を行き来することなのかもしれない。

20代後半から海外で生活。ドバイで5年暮らした後、イスラーム圏を2年に渡り旅する。その後マレーシアで生活。大学では社会科学を専攻。イスラエル・パレスチナの大学に留学し、ジャーナリズム、国際政治を学ぶ。読売新聞ニューヨーク支局でインターンを行った後、10年以上に渡りWPPやHavasなどの外資系広告代理店を通じて、マーケティング業界に携わる。

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