かつてイラクを支配した独裁者、サダム・フセインは、国内にいくつか宮殿だの、別荘だのを持っていた。
まあ、独裁者がよくやりそうなことである。
独裁者のあわれな宮殿
そのうちの1つ、バビロンにあるサダム・フセインの元宮殿を訪ねた。バビロンは、首都バグダッドから車で2時間ほどの場所にある。
バビロンというのは、バベルの塔やバビロン空中庭園でも知られる、古代都市があった場所だ。
バビロンの空中庭園(写真はWikipediaより引用)。この庭園が実在したのかは不明だ。ゆえに「世界の7不思議」の1つにもなっていた
かつての古代都市バビロンを見下ろす丘にあるのが、サダムフセインの宮殿である。
山の上に見えるのがサダム・フセインの宮殿。手前にあるのがバビロンの遺跡
遠くから見れば、さぞかしゴージャスな宮殿なのだろうと思う。しかし、豪華絢爛であったろう宮殿も、今では薄暗い廃墟と化していた。
サダムのお屋敷前。市民が警察に連行されているわけではない
建物の壁に彫られたフセインの肖像。フセイン政権時には、あちこちに肖像画があったが、政権崩壊後には破壊され、国内にはほとんど残っていないという
ソ連風なフセインの肖像
骨だけになったシャンデリアが虚しくぶら下がる。デーツがなったヤシの木をかたどった木彫りが特徴的。かつてイラクは、デーツ大国であった
豪華な宮殿だが、フセインが訪れたのは1年のうちでもわずかだという
ジャグジータイプの浴室
当然ながら、家具などは一切ない。地元のワルに略奪されたようである。一方で、残されたのは、鳥のフンやペットボトルなどのゴミである。
イラク戦争中には、米軍の軍事基地として使われていた。戦後は、地元のキッズたちの遊び場になったり、ヤンキーの憂さ晴らしの場になっていたようで、建物の中は、アラビア語の落書きだらけであった。
ユーフラテス川を臨むことができるバルコニーへ続く大広間。ユーフラテスや古代都市バビロンを眺めることができる、ぜいたくすぎる宮殿である
イラクが誇る歴史がつまった天井壁画。イッツア・スモール・ワールドのよう?
エレベーターも完備
2階への階段は、鉄線で完全封鎖されている
管理するものがいなくなったことと、無邪気な悪意で、建物がここまで劣化するとは。
バビロンの威を借る独裁者
宮殿からは、古代都市バビロンの遺跡を一望することができる。絶景中の絶景である。どんなゴージャスホテルであっても、こんな高尚な絶景を手にすることは、不可能であろう。
イラクには、ハトラ、ニムルド、ウル、ウルクといった古代都市遺跡があるが、世界的によく知られたバビロンは、中でもフセインのお気に入りだった。
あまりにもお気に入りすぎて、自分が政権の座についている時は、考古省の予算を前年比80%も増やし、バビロンを始めとする古代都市の発掘や修復にお金を費やした。
現在でもイラクには、未発掘の遺跡が多くあると言われる中、こうしたフセイン政権時の取り組みは、考古学においては一役買ったとも言える。
修復されたバビロン遺跡
こういうと、人々はフセインは考古学マニアだったのかしらん、と思うだろう。
しかし、フセインの狙いは別にあった。
フセインが行ったのは、偉大なる古代都市の王にあずかって、独裁者としての自分の権威を高めることであった。
現代でも同じようなことはある。有名人の誰それがイチオシするお店だとか、全米が泣いただとか、親が有名人だとか。
物や人の価値を裏付けするのに、人はより大きな物を持ち出すのである。
フセインの場合、バビロンの威をかる独裁者といったところだろうか。
考古学者をドン引きさせた言動
フセインは、莫大な資金をかけてバビロン遺跡の修復を行った。そこまではいい。
しかし、「こうしたほうがええやん?」と専門家でもないのに、勝手に口をはさみ、古代遺跡にはにつかわしくない巨大な壁までも、作ってしまったのである。これには考古学者たちも、ドン引きである。
「え・・・もともとそんな壁なかったんですけど。原型と全然ちゃうし・・・」
何を思ったのか。フセインはさらなる驚きの行動に出た。
遺跡を形作るレンガに、「われはサダム・フセインなり。偉大なイラクを守る王であり、文明の創造主である」といった趣旨の文言を浮き彫りにしたレンガを、修復のどさくさに紛れて、入れ込んでいたのである。
例のレンガ。遺跡の修復時に入れ込まれた
図々しくないか・・・?
もともと、新バビロニアの王ネブカドネザル2世が、「おれは、ネブカドネザル。世界の王やで」という文言を浮き彫りにしたレンガを入れこませた、という話にインスピレーションされたのだという。
とにもかくにも、フセインはバビロニアの王に己を重ね合わせるのであった。
ネブカドネザル2世
ネブカドネザル2世のポジションにフセインをアイコラさせた絵
一見すると、とんちんかんなことをやっているように見える。
しかし、ヒトラーやムッソリーニーなども、同じようなことをやっていたのである。彼らの場合は、バビロンではなく、古代ローマであったが。
というか、フセインが同じ独裁者としてその手法をパクったとも言える。
過去のヒーローや栄光を、自分と重ね合わせて、正当化させる。こんなんで、騙されるもんかいな、と思うが、古代文明を持ち出したことでコロリとやられてしまう人もいるのである。
歴史となった独裁者
2003年に米軍がイラクに侵攻し、イラク戦争が始まった。戦争はアメリカの勝利であっけなく終わった。その後、2006年にサダム・フセインの死刑が執行された。
国を恐怖で支配した独裁色は、消えつつあるように見える。かつては、町中にあったというフセインの肖像画をみることは、ほぼなかった。
国内でも数少ないといわれるフセインの肖像画。町外れにひっそりと残っている
フセイン政権時には、アンチ・フセイン本の出版禁止、パラボラテレビなどが禁止され、とにかく国民に考えさせないように、情報統制が行われた。
もちろんフセインの誕生日は、国家の祝日。すべての紙幣には、まだ生きている自分の肖像画を入れ込んだ。
この辺は、ゆる〜い独裁国家オマーンと同様の手法である。
北朝鮮よりもひどい独裁国家だった!?世界一の長期政権が続く、ゆる〜い独裁国家オマーン
空港や街など主要な場所にも、自分の名前をつけていた。
独裁政権が崩壊後は、新たに紙幣が作られ、主要機関の名称から独裁者の名前は消えていった。フセインの紙幣は、今ではイラク土産として出回っている。
お土産として売られているイラク紙幣。紙幣にはフセインの肖像画が描かれている
しかし、バビロンの古代遺跡に、自分の名前入りレンガを入れ込むとは。こんな図々しい独裁者は、他にいないだろう。
けれども、バビロンにフセインの名前がある限り、サダム・フセインの名もかつてこの国を恐怖で支配した独裁者として、語り継がれることになるのだろう。
独裁者はその名を後世までとどろかせることに、成功したのである。