回復は難しい?現地で感じたイラクの治安と現在

どうにもイラクの治安というのは安定しない。

「お前らもターゲットにしたるかんな」と、日本人を恐怖に陥れたイスラム国が去ったかと思えば、次にはイラク国内で大規模な反政府デモである。

反政府デモが続く現在

2019年10月に始まった反政府デモは、国中に広がり、現在も続いている。はじめは、政府の汚職や高い失業率に不満を持った若者たちによる、政府への抗議であった。

騒乱か祭りか。イラク反政府デモの前線で見た意外なもの

しかし、デモは長期化かつ激化しており、シーア派の聖地ナジャフでは、イランに不満をもつ人々によって、イラン領事館が放火された。

こうした騒乱に乗じて、デモを行う若者や活動家、弁護士などへの攻撃、誘拐、無差別爆弾テロなども起きている。

政府はやめろ!仕事をよこせ!という単純なデモではなくなっており、もはやパンドラの箱を開けてしまった状態である。

治安部隊の衝突などによるデモの死亡者は500名以上にものぼる。

同時期に同じような反政府デモが起きたレバノンでは、死者の数は10名にも満たない。こうしてみると、イラクの反政府デモの激しさがよくわかる。

いつも通りの生活を送る市民がいる一方で、誘拐や爆弾テロといった脅威が街中にはある。

ソレイマニ司令官殺害のニュースが流れた直後、ツイッターでは「第3次世界大戦」が世界トレンドとなった。


“WWⅢ(第3次世界大戦)”がツイッターの世界トレンドに

イラクの騒乱は、収束に向かうかと思いきや、アメリカやイランも巻き込み、事態は悪化するばかりである。

遅れた戦後復興

過去数十年を振り返っても、イラクはとにかく治安が安定しない場所だと言える。

いや、何かにつけて治安を安定化させない要因があるのだ。それは、イラク自身だけでなく、隣国のイランやアメリカ、国連など、イラクは常にそうした外部にも大きく影響を受けている。

イラクのクウェート侵攻から始まった1990年の湾岸戦争。早々に決着がついたかと思えば、イラクは国連から経済制裁を食らい、さらにはクウェートに賠償金を支払い続けるはめになった。

オイルマネーで潤い、発展するクウェートに、莫大なお金を支払い続けるのはなんとも悲しい。こうした事情で、イラクの戦後復興はかなり遅れたと言われている。

終わりなき災難に見舞われる国

そうこうしているうちに、2001年にアメリカで同時多発テロが発生。アメリカのブッシュ大統領に「悪の枢軸」呼ばわりされる。

9.11の首謀組織であるアル・カイーダとつながりが疑われたり、大量破壊兵器を保持しているに違いない、というイチャモンをつけられ、米軍がイラクに侵攻。2003年にイラク戦争が始まる。

戦争は米軍があっけなく勝利。恐怖政治でこの国を支配した独裁者サダム・フセインは、2006年に死刑となった。

米軍が去った後、ようやくイラク国民で国づくりができるかと思いきや・・・

大規模な自爆テロや爆弾テロが立て続けに発生し、治安が悪化。

恐怖政治で国を支配したサダム・フセインや米軍がいなくなったあと、それまで抑圧、迫害されていた連中が、ここぞとばかりに活発に動き始めたのである。

そんな魑魅魍魎を野放しにしておいた結果が、イスラム国である。サダム・フセインという悪どいラスボスを倒したかと思いきや、現れたのはさらに凶悪かつどう猛な連中だったのである。

そして2017年に、イスラム国を一掃して一件落着・・・と思いきや、冒頭の反政府デモである。

そう、イラクは甘くないのである。

これほどまでに、安定しない国というのも、珍しいのではないかというぐらいである。

しかし、イラクは、危険だとか治安が悪い国だけで、片付けてしまうにはもったいなさすぎる国である。

イラクは古代文明メソポタミアが生まれた土地である。ユーフラテスとチグリスの2つの川に囲まれた肥沃な土地には、平安の都と呼ばれた都市が存在し、「アラビアン・ナイト」の舞台にもなった。

現代は、血なまぐさいストーリーで語られることが多いが、イラクには訪れる人々を魅了する、多くの物語がある。

20代後半から海外で生活。ドバイで5年暮らした後、イスラーム圏を2年に渡り旅する。その後マレーシアで生活。大学では社会科学を専攻。イスラエル・パレスチナの大学に留学し、ジャーナリズム、国際政治を学ぶ。読売新聞ニューヨーク支局でインターンを行った後、10年以上に渡りWPPやHavasなどの外資系広告代理店を通じて、マーケティング業界に携わる。

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