イラクの首都バグダット探訪。おすすめ観光スポット4選と旅行事情

イラクの首都バグダッド。訪れた時は、アメリカとイランの緊張が高まる現在のような状況になるとは、予期していなかった。

しかし、少なくとも訪れる前の私にとっては、魅力的な響きがする場所であった。もちろん、それは今でも変わらないのだが。

それは、学生時代に見た「バクダッドカフェ」という、心地よいヒューマン映画をみたせいかもしれない。

けれども、その「バグダッドカフェ」とイラクの首都バグダッドは、まったくもって関係がない。

映画で描かれたのは、アメリカに実在する「バグダッド」という地名からきている。

映画とはまったく関係がないとわかったとしても、それでも、バグダッドには期待してしまう。

バグダッドには、何か、わくわくするようなものがあるんじゃないか、と。

バグダッド空港から市内へ

イラクの玄関口とも言える、バグダッド空港。イラクへ訪れるビジネスマンや旅行者の多くは、この空港を利用する。

サダム・フセイン政権時には、「サダム・フセイン空港」という名前だった。しかし、2003年に米軍がイラクに侵攻し、空港を制圧した直後、「独裁者の名前をつけるとはけしからん」ということで、差し障りのない現在の空港名になった。

空港施設は古めかしさを感じるが、現在はエミレーツ航空、トルコ航空といった国際線も就航しており、空港内は活気がある。

事前に観光ビザは取得しておいたので、入国審査は待ち時間をいれても15分ほどで済んだ。

入国審査官は、ミリタリー服を着た軍人もしくは、全身黒ずくめのスーツをきたヤクザ風の審査官の2タイプであった。

イラクのやーさんに、いろいろといちゃもんをつけられるのかと思いきや、「ほお。おめえ、日本から来たんかいな。イラクは初めてか?観光で何見るんだ?」などと、聞かれるぐらいであった。

私以外にいた外国人といえば、どこにでも出没する中国人労働者ぐらいである。

空港から市内へは、約16キロ。時間にすれば30分ぐらいだっただろうか。空港から市内へは、タクシーが一般的。バスやメトロなどはない。

タクシー運賃は、場所によって異なるが、だいたい25~50米ドルほど。

ちなみに空港から出ているタクシーは、市内へ入れないこともある。その場合、途中で市内行きのタクシーに乗り換える必要がある。これは、空港へ行く時も同様。

訪れたいバグダッドの観光スポット

反政府デモによる影響や時間の関係で、多くを見ることはできなかったが、ここだけは・・・というスポットなどをご紹介。

古代文明の秘宝が集まるイラク国立博物館

イラク国立博物館

考古学や歴史に興味はなくとも、訪問の価値があるイラク国立博物館。

展示品はアッシリア、バビロン、ウルなど、この地で栄えた古代都市の貴重な品がコレクションされている。

一見普通に見える博物館だが、入るのが結構ムズいのである。

どういうことか。

創設は1926年だが、90年の湾岸戦争、イラク戦争によって、長らく閉鎖していたのである。

しかも、イラク戦争中には、貴重な展示品が1万5,000点以上が略奪されるという不幸に見舞われた。

その多くは、関係者らによって発見され、博物館にもどされることになった。一方で、ヨーロッパやアメリカ、日本などに流出してしまったものもある。

この辺については、ゴルゴ13の「戦場を漁る者」でも取り上げられている。

盗まれた文化財を取り戻し、2009年に一時再開したかと思いきや、再び閉鎖。2015年になってようやく一般公開となった。

が!

私が訪れた時は、反政府デモの最中であり、それゆえ博物館は閉鎖していた。安定しない情勢のイラクでは、博物館へ訪れることができるのも運なのかもしれない。

日本企業が施工した殉教者の墓

バグダッドの殉教者の墓

青い桃のような形が特徴のモニュメント。イラン・イラク戦争の犠牲者を悼むためにサダム政権時の1983年に建設された。

建設したのは、三菱である。日本人にとっては、青ざめた桃にしか見えないが、犠牲者家族の涙を表現したものらしい。

現在のイラク状況からすると、なぜ三菱と思うかもしれない。けれども、70~80年代にかけては、3,000人ほどの日本人がイラクに住んでおり、90年の湾岸戦争で閉鎖されるまでは、日本人学校も存在した。

1979年には、日本企業の海外における総建築受注額の半分近くが、イラクであったといわれるほど、イラクと日本は近い関係にあった。


絨毯で床掃除をするという画期的なアイデアを見せつけるおっさん

モニュメントの地下には、巨大な円形上の展示場があり、犠牲者の名前や顔写真、遺品などが展示されている。

現在、モニュメントは、イラン・イラク戦争の犠牲者に加え、サダム政権時に迫害されたシーア派やクルディスタンの犠牲者を悼む場所にもなっている。

殉教者の墓展示場
サダムフセイン時代に犠牲となった人々の顔写真が並ぶ。大理石の壁には、イラン・イラク戦争犠牲者の名前が刻まれている

イギリス統治時代の傑作建築、バグダッド中央駅

バグダッド中央駅

イラク最大の鉄道駅にして、イギリス統治時代を代表する建築物でもある。1953年に完成。

当時は、銀行、サロン、レストラン、ショッピングエリアなどがあり、「バグダッドの宝石」とも呼ばれていた。中央駅を訪れる旅行者をワクワクさせるようなハイカラ感にあふれていたのであろう。

しかし、2003年のイラク戦争で、これまた駅内にあった装飾品や家具が、持ち去られてしまうという不運に見舞われた。

現在はバグダッドからバスラまでの列車が出ているだけである。

将来的に、イラク国内のモスルやサマラに加え、イスタンブールやシリアのアレッポにまで、列車を拡張する計画もある。

本当に現実になれば、なんとも夢のある話である。

ムタナッビ通りの古本市

アラビア語にはこんな言い伝えがある。「エジプト人が書き、レバノン人が出版し、イラク人が読む」。イラク人がアラブの中でも非常に読書好きだというこを言いたいらしい。

この古本市の存在を知ったのは、池澤直樹氏の「イラクのちいさな橋を渡って」という本である。

毎週金曜日になると、神保町のごとく、ムタナッビ通りには、多くの本が並び、本を求める人々でにぎわうそうな。


ムタナッビ通りの古本市。ロイターより引用

テロ事件が起きて一時は中止となっていたが、2018年には、再び活気が戻りはじめたらしい。

しかし、これもまた反政府デモの影響で、読書どころではないらしく、人々が古本を買い求める姿を見ることはできなかった。残念無念である。

ナイトライフは意外と充実

バグダッドでは、比較的安くお酒が飲める。ホテルにはバーがあるし、酒屋も点在している。

イラク産のビールだけでなく、バドワイザー、ハイネケン、コロナといった世界の定番ビールも手に入る。

イラクのお酒飲み比べ

イラク戦争中は下火になっていたそうだが、夜のアクティビティにも人が戻りつつある模様。

人口の6割が24歳以下というこの国。夜の街は、若者たちのエネルギーに満ちあふれている。

大勢の若者でごったがえす野外クラブみたいな場所もあれば、イラク姉ちゃんとしっぽりお酒を飲むスナックバーみたいなのもあった。

イラク戦争、独裁政権、爆弾テロの影響

イラク戦争の終結、独裁政権の崩壊からすでに10年以上経っている。しかし、今もその影響は残っている。

イラク戦争時、爆撃の中心地となったのが、サダム・フセインの大統領官邸がある場所。現在は、グリーンゾーンと呼ばれるエリアになっている。

グリーンゾーンは、日本でいう霞ヶ関のような場所で、政府機関や米英の大使館などがある。一般人が、のこのこと入れる場所ではなく、このエリアに入るには、特別な許可が必要となる。

グリーンゾーン近く弾痕が残る住宅。イラク戦争で空爆が激しかったグリーンゾーン近くにて

パレスチナホテル
バグダッド中心地にあるパレスチナホテル

パレスチナホテルは、チグリス側をはさんで、対岸にあるグリーンゾーンを一望できる場所に位置する。

フセインの宮殿が一望できるパレスチナホテルは、イラク戦争中、世界中のメディアやジャーナリストたちの拠点となった。戦時中は満室御礼の状態だったという。

現地でイラク戦争を取材した、宮嶋茂樹氏の「不肖・宮嶋のビビリアン・ナイト」を読むと、その様子がよくわかる。

ちなみにこの本、イラク戦争というシリアスなテーマではあるが、一貫して作者が関西弁でアラブ人やイラクをディスっている。


サダム・フセインの銅像があったフィルドス広場。現在は差し障りのない噴水公園を建設中


サダム・フセイ像があった頃の広場。イラク戦争で米軍が勝利した後、銅像が米軍によって引き倒されている

アラビアンナイトでも知られる「千夜一夜物語」。シンドバッドが船出をしたといわれる、イラク南部の都市バスラなど、イラクはアラビアンナイトゆかりの土地でもある。

バグダッド市内には「空飛ぶじゅうたん」や「アリババと40人の盗賊」といった物語にまつわるモニュメントがある。

空飛ぶ絨毯の銅像
パレスチナホテル前にある空飛ぶじゅうたんの銅像


「アリババと40人の盗賊」に出てくる、煮えたぎった油を壺に入れ、隠れた盗賊たちを追い出すワンシーンを表現。イラクを代表する彫刻家モハンマド・ガニ・ヒクマットによる作品

ちなみにモニュメントだけでなく、「シンドバッドランド」とよばれるテーマパークも存在する。

イラク戦争が早々に集結し、独裁政権が倒れた。その後、米軍はイラクから撤退するが、それとともにイラクの治安が悪化する。

かつて独裁政権や米軍によって抑えられていた勢力たちが、暴れまわるようになったからだ。イスラーム国もその1つである。

米軍がいなくなったあと、バグダッド市内はイスラーム国などによる、大規模な爆弾テロに見舞われた。


爆弾テロ事件で黒焦げになった建物

バグダッドホテルでの奇妙な一夜

バグダッドのホテル環境は、思った以上に整っていた。1泊3万円近くする高級ホテルもある。

イラク戦争などで海外メディアやジャーナリストが訪れるようになったことや、海外のビジネスマンが戻り始めていることもあるのだろう。

私が泊まったバグダッド・ホテルは、プール、バー、ジムなどがついていて、ドバイのホテルと遜色がない。


広々としたプールがある外国人御用達のバグダッドホテル

バグダッドホテル室内
バグダッドホテルの一室

ホテルに泊まったとある夜。不思議な現象にでくわした。部屋の各所から、コツコツと、壁を叩く音がしたのである。

私は霊感があるわけでもなく、またそういったものも、どうせネズミが走ったかなんかだろう、と思う手の人間である。

それにイスラーム教では、人間の霊魂は信じず、こうした類の現象は「ジン」(アラジンに出てくるジーニーみたいなもん)と呼ばれる精霊の仕業で片付けられることが多い。

それでも、音が出る場所といい、タイミングといい奇妙な現象だった。

のちに調べてみたら、2003年に爆弾をつんだ車がこのホテルにつっこみ、6人が亡くなり、米兵を含めた30名以上が負傷する事件が起こっていた。

そう考えてみると、この土地では多くの人が無残な形でなくなっているのだ。

現在バグダッドホテルでは、ホテル入り口で、車に爆弾がしかけられていないか、軍用犬がチェックする仕組みになっている。


チェック前に水を飲む軍用犬。普段は小さなおり(左)で待機している


アメリカでしっかりトレーニングを受けてきた軍用犬。じゃれて私の頬を噛み、「狂犬病で死んだらどうしよう」という恐怖感に私を陥れた張本人

犬は爆弾のにおい嗅ぎ分けるのにすぐれているらしく、イラク政府がアメリカから1,000頭ばかしの軍用犬を買い入れたのだという。

こうした軍用犬は、相当トレーニングをつんだ犬ともなると、高級車が買えてしまうような値段で取引されることもある。

予定通りに行かないのが当たり前

今回バグダッドを訪れたのは、反政府デモの最中であった。そのため、イラク博物館やバグダッド駅といった、平時なら難なくいけるはずの場所はすべて閉鎖されていた。

そうした場所へたどりつくのも一苦労だった。人口500万人が生活するバグダッドの道路は、とにかく渋滞がひどい。電気不足なのか、ポリスが人力で交通整理する場面にもしばしばでくわした。

それに加えて、グリーンゾーンへ渡る主要な道路が封鎖されていることも、さらに渋滞をひどくさせていた。

せっかくバグダッドへ来たのに・・・という思いもある一方で、今回だけでなくこうした事態は、過去数十年でもちょくちょくあることを知った。

イラク戦争、無差別爆弾テロ、反政府デモ。首都バグダッドでは常に何かが起こっている。

同時に、戦争をしかけたアメリカ、湾岸戦争後の国連の経済制裁、高まる隣国イランの影響力にも翻弄されてきた。復興したいけど、外部的要因によってそれが阻まれてきた、という経緯がある。

イラクでは、なかなか思い通りには、行動させてもらえない。イラクを訪れる旅行者もまた、イラクによって翻弄される。そんなことをひしひしとバグダッドで感じた。

20代後半から海外で生活。ドバイで5年暮らした後、イスラーム圏を2年に渡り旅する。その後マレーシアで生活。大学では社会科学を専攻。イスラエル・パレスチナの大学に留学し、ジャーナリズム、国際政治を学ぶ。読売新聞ニューヨーク支局でインターンを行った後、10年以上に渡りWPPやHavasなどの外資系広告代理店を通じて、マーケティング業界に携わる。

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