騒乱状態のイラク。それでもツアーは決行する

2019年11月中旬。イラク渡航の1週間前なのだが、まだ航空券をとっていない。

いや、正確には情報待ちというべきだろうか。

2019年10月中旬から現在にいたるまで、イラク国内は騒乱状態にあった。

「大学を卒業しても、仕事がねえじゃんかYo!どうしてくれんだYo!」ということで、国内の高い失業率や政治の腐敗に怒る人々が、10月初旬からデモをおっぱじめたのだ。

時期はちょうど、「アーシューラ―」と呼ばれるイスラム教シーア派の宗教行事の季節でもあった。私は密かに自虐祭りと呼んでいる。

衝撃!血まみれ野郎たちによる自虐祭り!?「アーシューラー」に参戦

イラク国内は人口の約7割がシーア派である。こうした行事の前後には、人々の気持ちもたかぶるらしく、過去にも同じような時期に、大規模なデモなどが行われたケースもある。


「おい政府よ、聞いてるか。俺らみんな仕事がないんだぜ。どうしろっていうんだ。盗みをしろってか?」と怒るドルガバを着たイラク青年。画像はフランス24より引用

単なる抗議デモかと思いきや、イラクの首都バグダッドだけでなく、バスラ、カルバラ、といったイラク各地で大規模なデモが1ヶ月近く続いている。

デモ隊と軍の衝突により、これまでに300人以上が死亡したという。

イラク人口の60%が、25歳以下の若者である。特に15歳から24歳までの若年層たちの失業率は、25%にものぼる。今回のデモで人々は、主に首相の辞任と政治体制の変革を求めた。

イラクのアブドルマハディ首相は一度は辞任する!といったものの、数日後には「いや、次の候補者を決めてから、わしゃ辞任しまっせ」ということになった。

イラクに関するニュースを見ていても、街は混沌としている。

2011年に起きたアラブの春を思わせる。カタールの衛生テレビ局「アル・ジャジーラ」は、「サダム・フセイン政権崩壊後以来の、大規模なデモ」などと言っていた。

イラク国旗をもった群衆がうずまいていて、道端にはデモ隊の威嚇と思われる、炎があちこちにゆらめいていた。


道端から火が上がってますけど・・・画像はフランス24より引用

どう見ても観光どころじゃないだろ。

こうした現地の状況をかんがみたメールは、アンテイムド・ボーダーズ(旅行会社)からひんぱんに送られてきていた。

普通の旅行会社なら、この時点でツアーを中止にするだろう。しかし、この旅行会社は何かが違った。

「こんな状況ですけど、イラクツアーは決行します!」

ひえっ!?

強気のクラブツーリズムか。

もう一度いうが、イラクはこんな状態でっせ?


街はこの状態ですよ?

大英帝国の気質ゆえなのか、イギリス人は強気である(アンテイムド・ボーダーズはイギリス人が運営する会社)。

実際に、ロンドンのお墓ツアーに参加した時にもそれを感じた。

お墓ツアーだったのだが、「大雨の場合でもツアーを決行すっから、濡れてもいい服装でこいよ☆」という強気のスタンスだったのである。ちょっとやそっとの困難は、イギリス人にとってはたいしたことではないらしい。

一方で、数年前に、イスラエルで地元ツアーに参加しようとした時のこと。「小雨が降ったらツアーは即中止でっせ!」と言われた。実際に小雨が降ったので、ツアーは中止になった。雨がほとんど降らない地域では、雨に対する強い拒絶反応と免疫のなさが露呈する。

イスラエルは男女ともに徴兵があり、街中で若造兵士が銃をぶらさげて歩いている国だというのに。雨にびびる要素がどこにあるというのだろうか。

イギリスは歴史的にも多くの冒険家を輩出している国でもある。かつて19世紀から20世紀前半にかけて、イギリスはインドやペルシャ湾岸、イラク、ヨルダン、パレスチナを支配していた。

1900年代初頭に、アラビア半島からメソポタミア(現在のイラク)を旅したガートルード・ベルという女性がいる。彼女の生き様は、「アラビアの女王」というニコール・キッドマン主演の映画にもなっている。

現地部族に関する知識やそれまでの経験を評価され、イラク建国のアドバイザーになったことから「イラク建国の母」とも呼ばれたり、「女版ローレンス」など、多くの異名をもつ。実際に彼女はイラクにいく旅の途中で、「アラビアのロレンス」ことT.Eローレンスにも会っている。

さらに「空虚な4分の1」と呼ばれる、アラビア半島砂漠を横断したウィルフレッド・セシジャーも、この地域ではよく知られる。

彼は1945年から1949年にかけて、ベドゥインとともにラクダで砂漠横断に挑んだ。その時の話は、”Arabian Sands“という本にまとめられている。

彼はその後、イラク南部にある湿地帯で、沼地のアラブ人と呼ばれる人々と7年ほど暮らし、その時の記録を”The Marsh Arabs”という本にまとめている。こちらは「湿原のアラブ人」という本で、日本語で読むことができる。

話を戻そう。

一応、旅行代理店ということで、こんな考慮もしていた。

「ただし!みなさんご存知の通りデモが起こっているので、予定どおりにまわれるとは限りません。みなさんの安全を最大限考慮して、ツアーを催行するので、行ける場所が限られる可能性があります」

「これを聞いて、ツアーをキャンセルするのもありです」

賽は投げられた。

ビザをとるために、はるばるロンドンへ行ったのだ。もはや退く道はない。

それに、次にイラクへ行く機会がやってくるとは限らないのだ。そうやって、このイラク旅行も2年ほど待ったのだ。

チャンスなんていくらでもあるじゃん?と思う人はいるだろう。けれども、それは国や経済が非常に安定していて、見立ての行く場合の話だ。

イラクのようにここ30年間でいくつかの戦争をし、過激派の連中がイスラム国だのという国を勝手に作ったりと、もう何が起こるかわからんという場合においては、そのチャンスはもう2度と巡ってこないかもしれないのである。

イラク観光に行ける時期は、ここ数十年でも限られているようだった。

アメリカのイラク侵攻直前の2002年に、イラクを訪れたという作家の池澤直樹氏。訪問から異例の早さで緊急出版されたという「イラクの小さな橋を渡って」を読むと、その緊迫感が伝わる。もう少しで戦争が始まるかもしれない!というギリギリのタイミングである。

さらに「気になる国、イラク―旅・生と死を駆けて」という本では、ツアー催行中に湾岸戦争が勃発するかもしれん!というタイミングと重なり、てんやわんやでイラクを駆け巡る話が語られている。

日本語での、イラク旅行本は片手で数える程度しかない。その限られた旅行本でも、こんな調子なのだ。

イラク旅行は、心を落ち着けて優雅に旅行できるものではないらしく、なぜかいつもギリギリで人々は旅行している。

数日後、再びアンテイムド・ボーダーズから連絡を受け取った。

1名をのぞいた9名の参加者全員が、ツアー参加する予定だと。

20代後半から海外で生活。ドバイで5年暮らした後、イスラーム圏を2年に渡り旅する。その後マレーシアで生活。大学では社会科学を専攻。イスラエル・パレスチナの大学に留学し、ジャーナリズム、国際政治を学ぶ。読売新聞ニューヨーク支局でインターンを行った後、10年以上に渡りWPPやHavasなどの外資系広告代理店を通じて、マーケティング業界に携わる。

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