隠れた古代遺跡テーマパークとも言えるイラク。イラク各地には、よく知られた古代都市の遺跡が多く残る。
ペルシャの古代都市、クテシフォンのアーチもその1つだ。
バグダッドから南東へ35キロ。サルマン・パク地区にある。サルマンというのは、預言者ムハンマドのマブダチ、サルマンに由来する。
近年でいえば、生物兵器の製造所がある!とアメリカにイチャモンをつけられた場所でもある。
ペルシャの帝国、ササン朝の首都であったクテシフォン。3世紀から6世紀ごろに建てられたという宮殿の一部が、現在のイラクに残っている。
ササン朝の首都クテシフォンは、現在のイラクに存在した
「タク・カルサ」と呼ばれ、クテシフォンのアーチとしても知られる。
高さ37メートルにもなるアーチ天井が特徴。レンガだけで作られており、アーチ天井を支えるものは、レンガの他にない。
当時はいわんや、現代においても支えなしで作られたレンガアーチとしては、世界最大である。
クテシフォンの巨大なアーチ
レンガだけで作られたアーチ天井。巨大な上に、支えなしで立っているのが不思議だ
当時のクテシフォンには、アラム人、ペルシャ人、ギリシャ人、アッシリア人などが住んでいた。キリスト教、ユダヤ教、ゾロアスター教と、人々が信仰していた宗教も様々である。
タク・カルサ 想像図1
タク・カルサ 想像図2
しかし、636年に「カーディシーヤの戦い」で、ペルシャ軍がアラブ軍によって滅ぼされると、首都としての機能を失っていった。
戦いに勝利したアラブ軍が、一時期はモスクとして使っていたようだが、アッバース朝の首都バグダッドの建設が、始まるとクテシフォンは廃墟となる。
バグダッド都市建設のために、クテシフォンのレンガが、持ち出され、再利用されたぐらいである。
1980年代には、サダム・フセイン政権下で、遺跡の修復や遺跡周辺の開発が進められた。
タク・カルサの西部分
タク・カルサの東部分
タク・カルサ周辺には、レストランや博物館が建設され、観光客を迎える公園も整備された。
しかし、イラク戦争を機に、再びこの地は荒廃する。植えられた木々は、たきぎのために切られ、博物館内の装飾品などは、ことごとく略奪された。
また、サダム・フセインは、先のアラブ軍とペルシャ軍の戦いを描かせた巨大パノラマ館の建設を命じた。世界に稀に見る巨大なパノラマを描き上げたのは、北朝鮮からの絵師たちだった。
遺跡の周りには何もない
今や、その見る影はない。かつてのペルシャ帝国の遺跡を囲むのは、ぼうぼうに生えた草だけである。