イスラーム教の聖地といえば、メッカはよく知られている。
「若者のメッカ」だとか「アイドルのメッカ」などとも言われるように、ちゃっかり日本語にも馴染んでいる。
スンニ派とシーア派はどう違う?
しかし、イスラーム教の聖地はメッカだけではない。第2の聖地マディーナ、第3の聖地エルサレムと続くのである。
さらに、スンニ派とシーア派でも、聖地とみなす場所は違う。サウジにあるメッカやマディーナ、エルサレムは両者が共通して認める聖地である。
一方で、イラクにあるカルバラーやナジャフは、シーア派独自の聖地である。スンニ派は、この辺の聖地に対しては、「そんなもん知りませんよ」のごとしである。
一般的にイスラーム教という場合、だいたいそれはスンニ派のことをさす。イスラーム教徒は1日5回の礼拝をしまっせと紹介される。だが、シーア派の場合は1日3回である。
周りのムスリム(スンニ派)たちに聞いても、「シーア派とスンニ派は同じ神を信じているんだから一緒だよ〜」という博愛主義者や、「同じムスリムとして認めるけどね、シーア派の連中は、ちょっとね・・・」と、いい人ヅラして結局シーア派をディスる人もいる。
う〜ん。やっぱり同じなのか。違うとすれば何が違うのだろう。このあたりが、長年もやっとしていた。
しかし、シーア派が多いバーレーンやイランを訪れたり、シーア派の自虐祭りに参加することで、「全然違うじゃん!というかこれは同じ宗教なのか!?」とすら思うようになる。
この辺については、別の記事にも書いたので、そちらを参照されたし。
衝撃!血まみれ野郎たちによる自虐祭り!?「アーシューラー」に参戦
シーア派の聖地であるカルバラーやナジャフを訪れて、そのもやは、晴れた。
シーア派があって、スンニ派にはないもの。
それがシーア派の聖地にはある。
聖地のお作法
カルバラーやナジャフを訪れたとき、人はまばらだった。
初めて来た人間ならそんなもんかと思うが、平時はこんなもんではないらしい。
我々が聖地に訪れる数週間前、カルバラーにあるイラン領事館が放火された。聞けば、イランとの国境が閉鎖されている影響で、イランからの巡礼者が激減しているとのことだった。
カルバラーやナジャフは聖都とされ、厳格なルールが設けられている。
一眼レフなどの本格的なカメラの持ち込みは禁止。観光客が行く場合は、ホテルにカメラを置いていかなければならない。
イラクではお酒も飲める。首都バグダッドには、日本のお酒も売っているし、ホテルにはバーもある。けれども、聖都ではお酒も一切禁止である。
聖地でのエチケットが描かれた看板。カルバラーにあるフサイン・モスク近くにて。
街中にある聖なるモスクへ訪れるにも、何箇所か検問所がある。
怪しいものを持っていないか、数回に渡ってチェックする。女性は、髪をスカーフで隠し、チャドルと呼ばれる黒いマントを着なければならない。
ロングワンピースのようなアバヤでも問題ないが、「アバヤじゃ甘いわよ、アンタ!」といちゃもんをつけられる時がある。どうにもチャドルじゃないと気が済まない人もいるらしい。
チャドルとアバヤは、どちらも黒い布であり、女性の体の線を隠すものである。その目的は同じだが、アバヤがワンピースと呼べる形なのに対し、チャドルは、なんというか・・・黒い塊なのである。もはやその後ろ姿は、女性なのか黒い塊なのか分からない。
チャドルを着た女性たち
巡礼にやってくるイラン人女性やイラクの女性は、こうしたチャドルを着ていた。
聖地たる理由は?
そもそもなぜカルバラーとナジャフは、聖地なのだろうか。
カルバラーは、「殉教王子」ことフサインが眠る霊廟モスクがある。殉教王子の誕生ストーリーになった舞台が、このカルバラーなのである。
殉教王子のストーリーは、下記を詳細。
あの人だれ・・?イラクに出没する謎の「殉教王子」の正体
シーア派がお祈りの時に使う、モフルという素焼きアイテムがある。このモフルは、カルバラーの土を使ったものだと言われている。
手のひらサイズのモフル
シーア派たちは、礼拝で平伏する時、このモフルにおでこをあてる。その心は、「カルバラーを常に胸に。殉教王子を忘れない」である。
スンニ派にとっては、「どこそこ?」という感じだが、シーア派の人にとっては自分たちのアイデンティティに関わる重要な場所なのである。
ナジャフには、殉教王子の父であり、シーア派の初代イマーム、アリーが眠る霊廟がある。シーア派の人々は、このアリーこそが無双のリーダーと信じる人々である。
イラクの街中には、いたるところにアリーや殉教王子の肖像画が掲げられている。
殉教王子ナップサック。
シーア派の初代イマーム、アリー。趣味でライオンをペットとして飼っていたわけではない。
しかし、この両者見分けるのが難しい。いくら親子だからといえども、似過ぎである。
皆さんは、どっちがどっちが見分けられるだろうか?
どっちがどっちクイズ。答えは少し先。
見分けるには、少々コツがいるのだ。
シーア派にとっては、当たり前のよっちゃんであるが、こちらからするとどちらも新宿2丁目にいそうな、いかついオネエなのである。
フサイン?かと思ったら、アリーだったり。アリーかと思ったらフサインだったり。肖像画によっても、微妙に違う。
いかつい肖像画を何枚か見比べていくうちに、解明したのが以下の違い。これをもってすれば、もう迷わないだろう。
アリーとフサインの見分け方。先ほどのクイズの答えは、1~3がアリー、4はフサイン。
残念ながらこうした点が、スンニ派がシーア派を「ちょっとやあねえ、あの人たち・・・」という所以でもある。
イスラーム教において、偶像崇拝は禁止されている。仏像に対して「ナンマンダブ・・・」という行為のみならず、アイドルの写真や絵をかかげて、わーきゃーするのもNGである。
イスラーム教徒が崇拝するのは、神だけ。写真や絵に描かれたアイドルをあがめるのは、ご法度である。
「神対応」だとか「神セブン」といったように神が乱立する日本とは、対照的である。
シーア派の人々は、殉教王子の肖像画をそこかしこにかかげ、殉教王子の名を叫ぶ。パッションある人々だが、己が正統派だと思っているスンニ派たちからは、「なんか違う・・・」と思われているのが、実態である。
まるで清水寺の参道?
モスクへ続く参道には、土産物屋、ご当地お菓子を売る店、巡礼客のためのホテルや両替所、殉教王子グッズを売る店などが立ち並ぶ。
殉教王子は、シーア派の心のよりどころでもあるので、人々はとにかく王子グッズをその辺に飾ったりしたがるのである。
イマーム・アリーのモスクへ続く参道。ここにも殉教王子。
聖地のご当地スイーツ。量り売りが基本。少しだけ欲しい場合は、その辺をうろついていたら、試食でつまみ食いができる。
聖地では清潔感が第一。口臭対策のためのいろんなガムが売られていた。
カラフルなスイーツ。餅のように見えなくもない。
せんべいかと思いきや、キャラメルのように甘い。
聖地グッズがずらりと並ぶ通り。モフルやタスビーと呼ばれる数珠などが売られている。
ゴールドジュエリーのお店も。
清水寺へ続く参道のごとしである。モスクには人が集まるので、モスク周辺には、昔からショップや食事処などが多く集まる。その点では、日本の神社や寺も同じだろう。
モスクへの参詣者たちは、美味しそうなスイーツに目を奪われたり、土産物屋をのぞきながら、モスクへとずんずん進んで行く。
シーア派、スンニ派がともに認める聖地メッカやマディーナには、異教徒が入ることはできない。
一方で、ナジャフやカルバラーは、神聖な場所でありながら、異教徒が立ち入ることも許される。メッカの排他性を考えれば、なんとも寛大で慈悲深い。
キッスを浴びせ、涙する人々
モスクに入る時は、スマホなどの荷物は持ち込みNGである。よって入り口近くには、コインロッカーが設置され、参詣者は靴や貴重品などを預ける。
再び荷物を持っていないかをチェックされた後、ようやくモスク内に入ることができる。
聖地のコインロッカー
遠くに見える黄金ドームがイマーム・フセイン・モスク
モスク付近では毛布にくるまって眠る人々の姿も。お金がない巡礼者はこうしてモスク近くで寝泊まりしているのだという。
イマーム・フセイン・モスクの入り口
イマーム・アリー・モスクの入り口。入り口は男女別。
霊廟を兼ねたシーア派のモスクは、構造からしてスンニ派のモスクと、かなり異なる。
第1にとにかくギラついている。鏡細工が施されたモスク内は、まぶしい。江戸川乱歩の鏡地獄の世界である。
第2にモスク内が2重構造になっている。モスクの中へ入ると、中央には、四方を壁で囲まれた第2の部屋がある。
頑丈な扉を開けて中へ入ると、「ダリヤ」と呼ばれる5畳ほどのボックスが登場する。
こんな感じ。中央にあるのが「ダリヤ」。この中に、お墓がある。
この中に、アリーのモスクであればアリー、フサイン・モスクであればフサインのお墓があるのだという。格子の間から中をのぞくと、大量の紙幣やコインが入っている。
イランからの巡礼者が多いせいか、イランのお金もある。賽銭箱のような役割も持っているのだろうか。
冷静にモスク内について語ったが、モスク内のシーア派たちの熱気は凄まじいものがある。
お墓が収納されているボックスの周りには、列ができており、人々は、鉄格子をありがたそうに触れたり、アツいキッスをチュッチュとかましている。
次から次へと人がチュッチュとしているが、それもおかまいなしに、またチュッチュと重ねる。
近くにあったドアにもキスをしているおばさんがいた。公共の場だというのに、心ゆくまで、チュッチュしている。
はたから見れば、異常な光景だが、人々はそれでもって参詣の意を表しているらしかった。
目を落とすと、床には所在なげに座りこむ人々がいる。コーランを読んだり、コーランの暗誦コンテストをする一団や、コーラン勉強会を開いていたり、ぶつぶつと呟いていたり、とにかく自由である。
めそめそと涙している人も少なくない。その涙も嬉し泣きというよりかは、悲し泣きである。
念願の聖地に来てやっぴい!どころではなく、まるで葬式のような、しめっぽい雰囲気が漂っていた。
聖地で泣くとは一体・・・
もちろんメッカでも、感極まって泣く人はいた。
でも、それは悲しみの涙ではない。
悲しみの涙が意味するところ。それは、シーア派の間で語り継がれる殉教王子の悲劇のストーリーではないだろうか。
約1,300年前に巨大な帝国に挑んで殉教した、殉教王子フサイン。そして、勇敢なる王子を助けることができなかったという当時のシーア派たちの後悔。
現代に生きるシーア派の人は、今でもその物語を大事に抱えている。
殉教王子の物語を共有し、1,300年前に死んだ殉教王子を思い、聖地で涙する。
スンニ派の自分は、その空気に触れながらも、まったくもって無頓着だった。だからこそ余計に、その隔たりを大きく感じた。
ああ、これがシーア派なのかと。