イラクの珍景。サーマッラーのらせんミナレットと大モスクをめぐる

バグダッドから、北へ130キロ。サーマッラーへの日帰り観光へ行った。

サーマッラーといえば、9世紀に建てられたアッバース朝の、 らせんミナレットで有名。
そのユニークな形ゆえに、イラクを代表する名所でもあり、イラクの紙幣にも、小さく描かれている。

イラクの紙幣
紙幣の透かしに描かれたらせんミナレット

今も残るイスラーム帝国の遺構

バグダッドからサーマッラーへは、車で行けば2時間弱の場所にあるが、ここでも何度か検問所に足止めをくらい、予想以上に時間がかかった。

バグダッドからサマッラへ
バグダッドからサーマッラーへの道のり

サマッラの街並み
サーマッラーの街

サーマッラーは、10代目、11代目イマームが眠るモスクがあるシーア派の聖地でもあるため、女性は髪を隠すため、必ずスカーフを着用しなければならない。

らせんミナレットと大モスクがあるのは、市街地から5分ほど離れた人気がない場所にある。あたりには、何もない。草がぼうぼうとしている。

イラク人が誇る名所のようだが、名所の前にある駐車場では、スナック売りをする青年が暇そうにしているだけで、わびしい場所である。

そんな現代のわびしさとは対照的に、1,000年以上前サーマッラーは、栄華を極めた場所だった。

アッバース朝は、もともとバグダッドを首都としていたわけだが、9世紀にここサーマッラーへ遷都する。その当時、建設されたモスクがサーマッラーの大モスクとらせんミナレットである。

イラク_サマッラの螺旋ミナレット
らせんミナレット。852年に完成。らせんを意味する「マルウィヤ」とも呼ばれている。

そのほかにも、アッバース朝をおさめたカリフの宮殿や貴族の邸宅などゴージャスな建物が建設され、今でも残っているものもある。

バグダッドでは、アッバース朝時代を伝える当時のものは、完全に消滅してしまっているが、ここサーマッラーには、それが残っている。

その意味で、この場所は貴重なのである。

世界でもめずらしい螺旋ミナレット

ミナレットの近くには、イラク国内からやってきた観光客グループが、ちらほらいた。

外国人観光客がめずらしいのか、我々はジモティーたちのフォトセッションに、たびたび駆り出された。

イラク人と螺旋ミナレット
ジモティーとミナレット

以前にミナレットを訪れた人々の話によれば、ミナレットを登るのは少々怖いという。なにせ、ミナレットの高さは50メートル近くあるのだが、安全柵などはない。

けれども、実際に登ってみると、かなりの幅があるため、それほど怖くはない。らせん階段の幅は、上に上がるにつれ狭まっていくが、ギリ上から降りてくる対向者ともすれ違うことができる。

サマッラの塔
大モスクとサーマッラーの街並みを見渡せる展望スポットでもある。

大モスクのミナレット2
レンガを重ねて作ったシンプルな作りだが、存在感は圧倒的だ。

単なるらせんの塔とみれば、なんてことない建物だ。せいぜい、ドキドキハラハラアトラクションぐらいである。

しかし、ミナレットなのにらせん型!!!この衝撃と安藤忠雄もびっくりなオリジナリティゆえに、イラク人が誇る名所となり、観光客が足を運ばせる所以となったのである。

そもそもミナレットとは何か。

ミナレットとは、イスラーム教の礼拝前に合図を呼びかける場所である。合図というのは、アザーンと呼ばれ、現代ではサイレンのごとく、スピーカーから大音量で流れてくる。

昔は、スピーカーなんてなかったので、ムアッズィンと呼ばれる人が、地声で呼びかけていたのである。

そんなミナレットであるが、だいたい細い円筒の形をしている。

だのに!

らせん型に加え、くるくると登れちゃう楽しい塔という、エンタメと斬新さを兼ね備えたミナレットに、現代の我々もびっくりである。

当時では、当たり前だったのかもしれないが、現存するらせん型のミナレットは、イラクとカイロで3例しか確認されていないという。

繁栄ぶりを物語る大モスク

ミナレットの横には、サーマッラーの大モスクがある。当時は、ミナレットと大モスクをつなぐ橋があったようだが、現在は消滅している。

サマッラの大モスク
サーマッラーの大モスク跡。ミナレットなどと合わせて、「サーマッラーの都市遺跡」として世界遺産に登録されている。

大モスクのミナレット
モスクには、10箇所近くの出入り口があった。

大モスクのミフラーブ
礼拝の方角を示すミフラーブ。ミナレットからミフラーブがあるモスクの先端まで徒歩5分ぐらいかかった。その広大さがうかがえる。

モスクという体だが、残っているのは、高さ5メートルほどのレンガ壁で四方を囲まれた空き地である。一見すると、モスクと言われても、信用できない。

なぜかというと、敷地が巨大すぎるからだ。

モスクにしては、デカすぎん?というのが、正直なところである。

モスクというのは、大小さまざまな形があるが、このモスクは、私が訪れた中でも、かなり大きなモスクであった。下手すれば、オイルマネーで作り上げたアラビア半島の巨大モスクたちにも、匹敵するほどの大きさなのではないか。

専門家によれば、大モスクでは、数万人を収容できるほどの大きさということであるから、当時のサマッラーの繁栄ぶりがうかがえる。

あっぱれアッバース朝である。

そんなすごさがわかるのも、綺麗な形で当時の遺構が残っているからだろう。サマッラが首都として55年ほど機能した後、ふたたび首都はバグダッドへ戻った。その後、バグダッドはモンゴル軍によって、徹底的に破壊される。

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バグダッドへの遷都後、廃墟となったサマッラは、ひっそりとその形を留めながら、現代に至るのであった。

シーア派の巡礼スポット

大モスクから車で移動すること5分。一行が着いたのは、アル・アスカリ・モスクである。

カルバラーやナジャフでもそうだが、モスクまでの道のりには身体検査をするチェックポイントがいくつかある。チェックポイントは男女別。女性の場合、”体隠し”が不十分だと、チャドルをレンタルされる。

同行した女性たちは、スカーフで髪の毛を隠していたが、それだけではダメらしく、黒いマントのようなチャドルを手渡されていた。

モスクまでの50メートルほどの道のりは、参道になっており、お土産や飲食店が数店あった。参道といってもカルバラやナジャフのものに比べれば、ずいぶんとしけている。

黄金のドームが特徴的なアル・アスカリ・モスクには、10代目、11代目イマームが眠る。

アル・アスカリ・モスク_サマッラ
シーア派の巡礼スポット。アル・アスカリ・モスク。2006年に爆破事件が起きた場所でもある。犯人は明らかになっていないが、シーア派とスンニ派間の対立によるものかと言われている。サマッラはかつてスンニ派が多く住んでいたが、現在では住民の多数派はシーア派だ。

アル・アスカリ・モスク_サマッラ入り口
モスク入り口。モスク内は、土足厳禁なので、近くの靴預かり所で靴を預かってもらう。

親愛なる12人のイマーム

イマームというのは、宗教指導者のことであり、1代目のアリーにはじまる。シーア派アイドルである「殉教王子」ことフサインは、3代目イマーム。最後の12代目イマームは、「お隠れ」状態になったとされ、いつの日か再臨するだろう・・・そう、シーア派の人々は信じている。

あの人だれ・・?イラクに出没する謎の「殉教王子」の正体

これら12代にわたるイマームを指導者としてみなすのが、シーア派の12イマーム派である。シーア派というのは、さらにいくつか分派があるのだが、一般的にシーア派というとき、この12イマーム派のことを指す。

12イマーム
12イマームを描いた垂れ幕。シーア派が多い地域では、このような垂れ幕があちこちに垂れ下がっている。

一方で、スンニ派からしてみれば、「誰それ・・・?」という感じなので、シーア派独特のものといえよう。

いや、むしろこの12人のイマームを信じることが、シーア派をシーア派たらしめるといっても過言ではないかもしれない。

ゆえにシーア派の人々は、こうしたイマームたちが眠る聖廟へ聖地巡礼に行く。こうした聖地巡礼的なものも、スンニ派にはないものだ。

聖地巡礼。イスラム教シーア派の聖地へゆく

先ほど、イマームとは宗教指導者と紹介したが、スンニ派でのイマームは、意味が少々異なる。スンニ派にとってのイマームというのは、礼拝時の号令係みたいなものである。

シーア派のイマームは、信奉すべき素晴らしき稀有な存在なのに対し、スンニ派のイマームは、けっこう身近にいるスゴい人といった感じだ。

いささか小難しい話が続いたので、あとは美しきモスク内の写真でしめくくろう。

怠慢では・・・決してない。


モスクの入り口。男女で別れている。


モスクの円柱にカーペットにも巻かれている。1代目イマームのアリーや3代目イマームのフサインの名前がアラビア語のカリグラフィーで書かれている。


鍾乳石のような形をした「ムカルナス」と呼ばれる装飾がほどこされた天井。


シーア派のモスクで欠かせないのが、モフルと呼ばれるお祈りアイテム。


ダリヤと呼ばれる聖なるボックス。この中にイマームたちのお墓がある。巡礼者は、キッスを施し、お金を入れる。


ここにもムカルナス。


植物文様が描かれた天井。偶像崇拝が禁じられたため、差し障りのない植物や幾何学模様、文字を使った装飾が生まれた。

上記で紹介したサマッラのミナレットは、ナショジオの「消滅遺産」でも紹介されている。内戦やテロで崩壊の危機に瀕しているという意味だ。

20代後半から海外で生活。ドバイで5年暮らした後、イスラーム圏を2年に渡り旅する。その後マレーシアで生活。大学では社会科学を専攻。イスラエル・パレスチナの大学に留学し、ジャーナリズム、国際政治を学ぶ。読売新聞ニューヨーク支局でインターンを行った後、10年以上に渡りWPPやHavasなどの外資系広告代理店を通じて、マーケティング業界に携わる。

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