失われた古代都市、バビロン遺跡を行く

文明のゆりかごとも言われる、メソポタミアの地には、多くの古代都市遺跡がある。

メソポタミアに位置するイラクには、そうした都市遺跡が存在し、考古学者や古代文明マニアにとっては、もう夢のような場所かもしれない。

中でもよく知られているのが、古代都市バビロンの遺跡。首都バグダッドから、南へ約85キロの場所にある。

世界遺産バビロン遺跡

バビロンが栄えたのは、2,000年以上も前の話だが、現代の我々でもバビロンに関して知っていることはいくつかある。

「バベルの塔」や、古代7不思議の1つにもなった「空中庭園」。バビロンという言葉を知らなくとも、こうしたワードは結構知られている。

バビロンは、世界的ベストセラーの旧約聖書にも、バベルという町として登場する。聖書ゆかりの場所である。

さらに、「目には目を、歯には歯を」で知られるハンムラビ法典。この法典を作ったハンムラビ王がバビロンを支配したのは、紀元前18世紀のことである。この時代は、古バビロニアとして知られる。

現在、我々が見ることができるのは、新バビロニアの時代に作られた遺跡である。と言っても、遺跡は広大で、現在でも全体の18%しか発掘されていないという。

この当時、バビロンを統治していたのが、ネブカドネザル2世。イケイケドンドンのやり手の男である。

エジプトとシリアへ攻め入ったかと思えば、今度はユダ王国の首都エルサレムへ攻め入る。エルサレムを攻略したのち、生き残ったユダヤ人を捕虜として、バビロンへ連れ帰った。これが「バビロン捕囚」である。

ユダヤ人にとっては、捕虜という身分であり、見知らぬ土地へ連行。違う言葉を話す人間たちに囲まれて、ユダヤ人はさぞかし居心地の悪いを思いをしたのだろう。

旧約聖書で書かれるバベルの塔は、そんなユダヤ人たちのバビロン体験に基づいたものかもしれない、と我々のガイドは付け加えた。

一方で、ネブカドネザル2世は意外と妻思いの男でもあり、「故郷を離れて暮らす妻が、寂しくないように・・・」ということで作ったのが、先の「空中庭園」である。ちまたでは、空中庭園を描いた絵画が流布しているが、庭園が実在したかは、定かではない。

現代であれば、GQの表紙を飾りそうな、イケてる男。それがネブカドネザル2世である。

ハンムラビ王とネブカドネザル2世
ネブカドネザル2世(左)とハンムラビ王(右)

そんなネブカドネザル2世が統治した時代は、まさしくバビロンの黄金期であった。巨大な城郭に、神社、宮殿、イシュタル門など、今の我々にもその繁栄ぶりを伝える。

バビロン_イシュタル門
イシュタル門の複製。本物に比べるとずいぶんと小さい。本物は、ベルリンのペルガモン博物館で展示されている。遺跡の発掘品の多くは、海外で展示されている。

イシュタル門の霊獣イシュタル門に描かれた雄牛(下)と聖獣ムシュフシュ(上)。ムシュフシュは、毒ヘビの頭とライオンの上半身、ワシの下半身、サソリの尾をもつ。小学生が創作しそうな凶悪な生き物である。

バビロン遺跡_通路
当時のままの遺跡。イシュタル門はもともとここにあった。

ムシュフシュ
レンガに浮き彫りになったムシュフシュ。当時のもの。

バビロンの地図
当時のバビロンを描いたマップ

バビロンのライオン
バビロンのライオン像。横たわる人間の上に、ライオンがおおいかぶさっている。

がっかり古代遺跡

2019年7月にめでたく世界遺産になったわけだが、古代遺跡としては、ちょっとがっかりな部分もある。

サダム・フセイン政権時、イラク全土では、遺跡の発掘が盛んに行われた。ここバビロンも例外ではない。というか、バビロンはイラク各地にある古代遺跡の中でも、フセインのお気に入りであった。

なぜか。

その理由が、先のネブカドネザル2世である。

フセインは、国を統治するとき、この偉大なるバビロンの王と自分を重ねるきらいがあった。バビロンという古代の威を借りて、国民を統治する1つの戦略でもあった。

この辺は別記事に書いたので、こちらを参照。
恐怖の独裁者サダム・フセインの宮殿から見える絶景がスゴすぎた

バビロン遺跡の修復に投じた金額は、約40億円とも言われている。修復されたのはよいが、「この場所は、こんな風に修復したらいいんじゃね?」と、フセインが専門家でもないのに口を出し、フセインがイメージするような形で修復されてしまった。

原型はそうじゃない!と、考古学者のブーイングを買うハメになった。

さらには、バビロン遺跡を見渡せる丘に、自分の宮殿も作っている。

フセインの宮殿からは、あのネブカドネザル2世の宮殿を見渡すことができる。独裁者とはいえ、図々しい野郎である。

サダムフセインの宮殿_バビロン
山の上に見えるのがサダムフセインの宮殿。現在は廃墟となっている。手前のレンガ群がバビロンの遺跡。

ネブカドネザル2世の宮殿
修復されたネブカドネザル2世の宮殿。ここでアレクサンドロス大王が没したと言われている。

イラク戦争時には、米軍の軍事拠点ともなっており、ゆえに一部の遺跡が破壊されたとも言われている。

こうした遺跡の保存が危ぶまれたがゆえに、保護すべき遺産として、世界遺産に登録されたのだろう。


バビロン遺跡にいたわんこ。イラクでは、人がいるところには、どんな僻地であってもだいたいわんこが出没した。

バビロン遺跡で長年ガイドをつとめるジモティーは、サダム・フセイン政権時の方が良かった、ともらしていた。恐怖政治で支配されていたが、福祉や教育が充実していたようだし、何より治安が今よりも良かったという。

だからこそ、観光客も大勢訪れたとのことだが、昨今にいたってはさっぱりらしい。とはいえ、ここ最近で中国やドイツからの観光団体客もやってきているのだとか。

確かに、考古学的に見れば、不完全な古代遺跡かもしれない。けれども、この土地の歴史を考えれば、サダム・フセインも含めて、バビロンの歴史の一部になるのではないか。

ハンムラビ王が君臨し、ネブカドネザル2世の時代に黄金期を迎え、聖書の舞台にもなったバビロン。アレクサンドロス大王が、若くして死した場所でもある。

バベルの塔や空中庭園の物語は、バビロンに古代の幻想的なオーラをまとわせ、人々はその地を憧憬した。

レンガで作られた簡素な遺跡群バビロンは、現代の我々をそうした古代へと誘う力をもつ。

20代後半から海外で生活。ドバイで5年暮らした後、イスラーム圏を2年に渡り旅する。その後マレーシアで生活。大学では社会科学を専攻。イスラエル・パレスチナの大学に留学し、ジャーナリズム、国際政治を学ぶ。読売新聞ニューヨーク支局でインターンを行った後、10年以上に渡りWPPやHavasなどの外資系広告代理店を通じて、マーケティング業界に携わる。

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