イラクから帰れない!?空港封鎖、フライトキャンセルでどーする!?

注)これは2019年末の話である。

イラクツアー最終日。バグダッドから始まったイラクツアーは、南部の都市バスラで終わりを迎えようとしていた。

帰国が近づくと、ツアーもお開きモードになる。大前研一似のアメリカ人ドクターは、仕事があると言って一足先に帰っていった。

帰国日にまさかの・・・

参加者のお国はバラバラなので、みな各々のフライトで帰ることになる。

私をのぞく他の参加者全員は、午前中のフライトで帰国する予定だった。私のフライトは午後なので、まだ時間はある。

ツアーから解放され、やっと一人になれるので、町歩きでもしようか、と考えていた。

優雅にホテルで朝ごはんを食べ、町へ繰り出そうとした時に、事態は急変する。

げっ!

すでにバスラを出発しているはずの参加者が、ホテルのロビーでたむろしているではないか。

これでツアーも終わりじゃ!もう彼らに会うことはないだろうと、感動の挨拶をしたのに、再びこんにちわである。

事情を聞けば、デモ隊により空港が封鎖され、空港に行けなかったという。おかげで、フライトを乗り過ごし、仕方なくホテルに帰ってきたのだという。

ツアー中は、和気あいあいとしていたが、今ではお通夜の空気である。というか、空気が痛い。

空港に行けるめどが本日中にたつのか、行けたとしてもフライトの予約ができるのか、不確定要素に包まれる一同であった。

本日付けで観光ビザが切れるため、大使館に「どうしたらええ?」と電話するアメリカ人もいた。

さらに、重要なのはツアーの主催者であるイギリス人2人組は、すでに深夜のフライトで出発しており、イラクにいないということである。

ツアー主催者としてどうよ?と心の中で思ったが、誰もその点については触れなかった。

空港へ突破なるか

まあ、私のフライトまでにはまだ時間があるし。なんとかなるっしょ、ということで私はこっそり町へ繰り出した。

しかしこれが間違いだった。

町歩き自体は問題なかった。が、のうのうとホテルへと帰った私を見るや否や、ホテルのオーナーが、あきらかにイライラしているのが分かった。

「ちょっと、キミい。一人でウロウロしてもらっては困るよ。こんな時期なんだから、何かあったらどうするんだよ。ちゃんとみんなと一緒にいてもらわないと」

ふたたび、お叱りを食らった。イラクで一体、何度怒られただろう。

もう三十路だというのに、クレヨンしんちゃんのような問題児扱いされ、しまいには参加者たちにも、「こいつは、やばあ・・・」とどことなく距離を置かれるようになってしまった。

そうこうしているうちに、現地フィクサーが、マイクロバスを引き連れてやってきた。空港への道にめどが立ったらしい。

私のフライト時間からすると、やや早めの出発ではあるが、「この際、何が起こるかわからないから、みんなでまとめて行っちまいな」ということらしい。

道路が封鎖されていたのは、午前8時ごろで、現在の時刻は午前11時過ぎである。果たして、数時間でデモ隊が撤退しているとは思えないが・・・まあ、現地フィクサーが、行けるということだから、行くしかない。

それにしても、デモ隊の怒りは相当なものらしい。

通常、アラブ人というのは昼頃もしくは夕方過ぎから活発になるのが相場なのだが、ここバスラのデモ隊は、朝から外へかり出て、道路で暴れているのである。よほど、エネルギーが余っているのか、暇なのか。

先ほど、道路が封鎖されていたという場所に近づくと、我々が乗るマイクロバスは、やや緊張に包まれた。カーテンを全て閉め、外からの視線をシャットアウトする。外から見れば、護送車さながらである。

道路には、まだデモ隊の怒りの余韻が残っていた。

先ほどまで、幹線道路の真ん中で、タイヤを燃やしていたのだろう。そこかしこに、黒こげになったタイヤがある。その周りには、熱が冷めやらぬ、若き魑魅魍魎たちがばっこしていた。

空港への道路
道路に群がる若者たち。数時間前には封鎖されていたであろう場所。

バスラ反政府デモ
とりあえずあるものを燃やしたと思われる。かすかに煙が立っている。

バスラの貧困地区
デモ隊が暴れまわっていたところから、遠くは離れていない場所。貧しさが伝わる。

おどろおどろしい道路を抜けると、あとは空港まで一直線だ。空港近くで、タクシーを乗り換え、現地フィクサーにお礼を告げる。

返ってきたのは、「ったく、お前さんは、とんだ問題児で、手間をかけさせやがって」という残念なフィードバックであった。

空港内はしんとしていた。イラク第2の都市にある空港だというのに、人気がまったくない。我々をのぞけば、そこにいた乗客の数は、10人ぐらいだろうか。

バスラ空港
バスラ空港。人がいない。

掲示板を見ると、午前中の便はほぼキャンセルになっていた。

フライトまでまだ時間がある私とは逆に、予約していた飛行機に乗り遅れた、もしくはフライトがキャンセルになってしまった他の参加者たちは、カタール航空のオフィスへかけこんだ。

シアトルからやってきたイザベルは、この旅のために16万円の航空券代を費やしたという。帰りはそれがパアになってしまったのだから、残念無念である。

「イラク旅行は、予定通りに行くと思うな」

イラクのガイドブックに書かれていた言葉である。ツアーが始まる前から、終わるギリギリまで、この言葉をかみしめた。

再び、他の参加者たちに別れを告げ、私はドバイに戻った。フライト時間は、2時間弱だった。

いつもの見慣れたドバイのビル群や、街並みをじっと見つめる。何か変なのだ。すべてが爽快なほどがオーガナイズされていて、キラキラと輝く高層ビル群。

2時間前にいたのは、不確定要素がはりめぐらされ、貧困のはびこる、どちらかといえば暗い場所だった。

もしもフライト時間が10時間以上であれば、そのギャップをすんなり受け入れられたかもしれない。

しかし、短時間で自分の取り巻く環境の変わりようは、まさしく魔法の絨毯で旅をしたような心地であった。

20代後半から海外で生活。ドバイで5年暮らした後、イスラーム圏を2年に渡り旅する。その後マレーシアで生活。大学では社会科学を専攻。イスラエル・パレスチナの大学に留学し、ジャーナリズム、国際政治を学ぶ。読売新聞ニューヨーク支局でインターンを行った後、10年以上に渡りWPPやHavasなどの外資系広告代理店を通じて、マーケティング業界に携わる。

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