バベルの塔実在説は本当か?イラクにそっくりな建物が実在した!

私は疑い深い人間なので、どうも聖書だとかコーランの話をうさんくさいと思ってしまう人間である。だって、その辺の水をワインに変えただとか、岩山で瞑想していたら天使が現れたなどと言うのだ。

そんなんあるわけないじゃん?信じている人には無礼千万だが、今時の小学生だって、そう思うだろう。

けれども、イスラエルやイラク、サウジアラビアなんかを旅していると、妙にそうした物語が自分の中で信憑性を帯びてくるのだ。

イラクは聖書ゆかりの地?

行ってみて初めて気づいたのだが、イラクには、聖書に関連する場所が意外とある。

「ノアの箱船」は、このメソポタミアでよく起こった洪水が関連していると言うし、イラク南部のクルナには、アダムとイブがかじったとされるリンゴの木がある。

とはいえ、その木は、どう見ても東京の街路樹に生えてそうな木なのである。こちらからすれば、「疑惑の木」なのだが、地元の人々はすっかりそう信じ込んでいるようで、その木を「アダムの木」と名付け、立派な観光スポットになっている。

「バベルの塔」のあらすじ

旧約聖書の創世記11章に書かれている「バベルの塔」の物語もその1つだ。1つの同じ言葉を話す人間たちが天まで届け!と言う思いを込めてせっせと高い塔を作る。

ところが、それが神の怒りをかう。「人間のくせに生意気な!」ということで、神は人間たちに違う言語を話させた。こうすることで、人々はお互いに理解できなくなり混乱を招いたという話である。

人間の傲慢さが、神の怒りをかったという解釈や、天まで届く塔なんて無理じゃん?ということで、現代では現実的ではない計画のことを指すこともある。

ブラット・ピット主演の映画「バベル」では、現代の人々が言葉が通じない状態ゆえに、まさしく混乱する様子が描かれている。

バベルの塔のモデルとなった建物

聖書にはフィクションかノンフィクションかよくわからない話が混在している。バベルの塔も、実在したかどうかははっきりとしない。

しかし、実在したとすれば限りなくこれだったんじゃね?という建物は存在する。

それが、古代都市バビロン(現在のイラク)に建てられたジッグラトである。ジッグラトは、紀元前2,200年前から建てられはじめられた聖塔のことで、エジプトのピラミッドのように巨大な建物である。メソポタミアの人々は、ここに神々が舞い降りると信じていた。

メソポタミアには20近くのジッグラトがあったが、中でもこのバビロンに建てらた「エテメンアンキ」と呼ばれるジッグラトが、バベルの塔のモデルだと言われている。

現在の「エテメンアンキ」は、当時の面影は何も残していない。荒れ果てた土地に土台部分が残るだけである。ただ、おそらくこんな感じだろう、という復元図はいくらか出回っている。

バビロンのエテメンアンキ_バベルの塔のモデル?
バビロンのエテメンアンキ復元図

バビロン都市の地図
古代都市バビロンのイメージ図。中央右にそびえ立つのがジッグラトのエテメンアンキ。


中世のヨーロッパ人が描いたバビロンの塔。我々がイメージするバビロンの塔。

「エテメンアンキ」は7階建で、高さは91メートル。最上部には外壁を青く塗られた神殿があったのではないか、と言われている。

ちなみにイラクには、バベルの塔によく似た建物もある。それがアッバース朝の時代に建てられた、サマッラにあるらせんミナレットである。バベルの塔に影響を受けたかは定かではないが、非常にレアな形をしていることには間違いない。

イラク_サマッラの螺旋ミナレット
 9世紀に建てられたサマッラのらせんミナレット

バベルの塔はユダヤ人の当てつけ?

ここからは、私がイラクのバビロン遺跡で聞いた話に、自分なりの考察を交えたものである。学術的な裏付けはないので空想話だと思ってもらっていい。

ツアーの引率者であるイギリス人ガイドがこんなことを言っていた。

「バベルの塔は、バビロンに連行されたユダヤ人の精神的な状況を描いたものだったのかもしれない」

新バビロニアの時代、バビロニアを統治していたのが、ネブカドネザル2世である。これが結構やり手の男なのである。

バビロニアの黄金期を築いた男であり、ユダ王国を制服し、ユダヤ人たちを捕虜としてバビロンへと連行した。いわゆる「バビロンの捕囚」である。エテメンアンキがバビロンに建てられたのも、この時代である。

こう考えることもできるのではないか。見も知らぬ土地バビロンに連れてこられたユダヤ人。周りのバビロニア人たちは、よう分からん言葉をしゃべっている。

相手が何を言っているのか分からない環境というのは結構ストレスである。留学や海外に住んだことがある人ならわかるだろう。

おまけにこの地では、何やら高い建造物を建てているではないか。そう、捕虜となったユダヤ人が目にしたのが、バビロンのジッグラトである。

奴らの目的は一体何なのか。相手の言葉が理解できないから、余計に不気味だ。慣れない土地である上に、相手が何をいっているのかも分からない。まさしくユダヤ人たちにとっては”混乱”である。

ユダヤ人が見たバビロンのジッグラトと、よくも捕虜にしやがってというバビロニアへの当てつけが、「バベルの塔」というわけである。

真実は闇の中なのでなんとも言えないし、上記の話も仮説である。ただ、個人的に聞いて面白いなあと思ったので、書いてみただけである。

しかし、これだけの証拠を見せられると、確かにバベルの塔のモデルはジッグラトかもという線が強くなる。

疑い深い私でさえ、やっぱりバベルの塔は本当に実在したのかも・・・とうっかり信じてしまいそうになるのだ。

映画でみるバベルの塔

聖書の「バベルの塔」にヒントを得て、異なる言語を話す人間たちがとらわれていく”混乱”を描く。アメリカ、メキシコ、日本、モロッコと舞台が異なるパラレルストーリーで展開していくが、次第にそれが1つへとつながる。カンヌ国際映画祭で監督賞を受賞した作品。

20代後半から海外で生活。ドバイで5年暮らした後、イスラーム圏を2年に渡り旅する。その後マレーシアで生活。大学では社会科学を専攻。イスラエル・パレスチナの大学に留学し、ジャーナリズム、国際政治を学ぶ。読売新聞ニューヨーク支局でインターンを行った後、10年以上に渡りWPPやHavasなどの外資系広告代理店を通じて、マーケティング業界に携わる。

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