気づけば30代も後半で、友達は全員結婚している。さらに言うならば、子供もいる家庭も。通常ならば、焦りとかも感じておかしくないのだが、もはや「ま、いっか」という心情に至っている。
親からのプレッシャーを振り切る
30代になる前までは、親や親戚も私に対してそれなりの希望を抱いていたらしい。私が頼んでもいないのに、勝手に親同士の婚活イベントに参加するなど、狂気じみた行為に走っていた。
私の親も祖父母も奥ゆかしい性格なので、決して「結婚しないの?」とは聞かない。ただオーラで訴えかけてくるのである。
しかし、最近ではもうそのオーラすら感じなくなった。なぜなら、私の弟や従兄弟たちが次々に結婚し、子供を持ち始めたので、親が感じている生物学的に種族を残さねばという欲望は満たされたらしい。
自分が親からの期待に添えなくても、家族メンバーの誰かがそれを満たせればハッピーエンドである。
結婚という概念がなくなっていく
ベルリンに移住してからというものの、概念としての結婚が絶滅しつつある。いや、制度的にはもちろんあるが、憧れや幸せのための結婚ではなく、税制対策として結婚するか・・・という程度に扱われているのである。
それに、複数人と関係を持つとか、結婚してもフリーな関係でいたい、とかいう人間の多様性を反映した概念も受け入れられているため、1対1での永遠の結婚というものが、もはや古代の概念にすら思えてくる。
社会制度だって時代に応じて変わるのだから、結婚の概念だって変わってもいいんじゃないか。
結婚する意味とは
別世界を見たいという視点から、婚活番組を定期的に見ている。アフリカ旅行番組は見るが、決して自分が旅行したいわけではない、という感覚である。
婚活をしている人を見ると、そのモチベは2パターンに分かれている。1つは、経済的パートナーの獲得。相手に求めるのは、年収1,000万円以上〜などというあたり、経済的に安定した生活を送りたいというもの。
2つめは、愛するパートナーが欲しいというもの。もう少し具体的にいえば、「老後を一人で過ごしたくない」になる。これは精神的な安定を求めているらしい。
ちなみに、「年収1,000万円」の根拠は何なのか。とりあえず1,000万円=高所得というイメージなのだろうが、この物価高のご時世だと1,500万円ぐらいでもおかしくない。というかこの数字、いつから使われてるんだろうか。価値観のアップデートは昨今よく言われているが、1,000万円だけはまだアップデートされていない模様。給与水準が上がらない世相を反映している。
これを私のケースに当てはめてみる。経済的には、一人でもなんとか生活を運営できる程度なので、経済的パートナーを補充する必要はない。精神的な安定に限っていえば、私は一人でいることが至上の至福なので、こちらも不要である。と言うか他人と長時間いると、具合が悪くなる・・・というあまり人に理解されない性質を持っている。
では、子どもを作りたい場合はどうか。これならば、絶対的にパートナーが必要になるではないかっ!と思われた諸君。これも現代においては様々な方法がある。
一般的にはまだ市民権を獲得していないが、精子バンクで精子を輸送してもらい、セルフ受精するという方法。ただ難点としては、アジア系のドナー提供者が少ないということと、日本においてはまだ法整備が整っていないので、日本では茨の道だということ。
もう1つ私が真剣に考えたのが養子である。相手さえいないのに、「子どもは養子でいいよ☆」などと、とんちんかんなことを言うと、「えっ、それでいいの?」と周りに驚かれる。アジアでは血の繋がりが重視されるため、やはり自分が産んだ我が子がいいんじゃないの?という意図らしい。
個人的に血のつながりは、気持ちの問題だと思っている。世界には養子で育った人も多いし、パキスタンで子どもが、ギャングの手によって物乞いを強いられている姿を見ると、自分の子どもを作るより、彼らに対してまず何かできるんじゃないかと思ったりする。
ただこの養子縁組も、日本では茨の道。特に単身者で養子を授かることは、ほぼ無謀に近い。ヨーロッパであればまだ窓口は広いが、それでも時間とお金はかかるという。
じゃあ、パートナーと子ども作った方が早くね・・・?
そうなのだ。となると、子ども作るのであれば、パートナーを見つけるのが最短かつ最良と言える。そんな堂々巡りをするのがオチである。
みんなの幸せ=自分の幸せ、ではない
それでも昔は、時々結婚に囚われていた(特に暇な時、周りが結婚した時)。結婚しない自分を責め立て、自己嫌悪に陥ったこともある。
なぜみんなこうも、結婚したがるんだろう。巷には婚活や恋愛リアリティショーが溢れ、男女が結ばれることが重要、と言わんばかりである。
これは完全なとばっちりだろうが、ひとえにゼクシィ信仰なんじゃないかと思う。あと、「結婚=幸せ」という謎の概念。発案者でてこいや。
自分を取り巻く社会が変わり、自分をよく知ることで、最近になってようやく結婚が決して自分の幸せにつながるものではない、と確信できるようになった。
逆に言えば、自分にとっての幸せとは何か、を見つけられたとも言える。自分の幸せを知らなければ、結局大衆にとっての幸せに流されて、自分を見失ってしまうらしい。
