もはや結婚は、人生において絶対的なものではなく、したければすればいい、という程度になりつつある。それでも、日本ではまだ結婚絡みの商業や願望が渦巻いていることは否めない。
一方で、もはやそんな概念に囚われてなさそうな、先進的なお国スウェーデンはどうなのか。陽キャなスウェーデン人、エリクソン氏に話を聞いてみた。
「そもそも、結婚ってする必要あるか?」
初っ端からこれである。もはや結婚に何の意味も見出していない。もはや結婚は、何のために存在しているのかわからない、へそのごまと同様になっている模様。
「大事なのは、それぞれが幸せであることでしょ。お互いが幸せであれば、別に一緒に暮らしてなくたっていいわけだし」
ごもっともである。
そう、ここで注意しなければいけないのは、スウェーデンは、ハイパー個人主義の国であるということである。彼らは、家族や世間体よりも、個人が自立し尊厳を持って生きることを重視している集団なのである。
個人が幸せであることを重視するがために、お互いの関係が不幸になれば、離婚も即刻行う。というわけで、スウェーデンでは離婚率もかなり高いらしい。実際に、エリクソン氏も母親が2人おり、兄弟は異母兄弟なのだという。
個人の幸せを追求しすぎた結果、家族概念が崩壊しているような気もしなくない・・・と思った私は、古くさい人間なのだろうか。
日本では、男女関係の”ゴール”の相場が結婚であるのに対し、スウェーデンにはそれが存在しない。ゴールをあえて設定するとすれば、それは各々が幸せに生きることらしい。
一方で、日本を振り返ってみると、結婚や夫婦という形に囚われて、自分が幸せであることが二の次になっているような気もしなくはない。幸せではないのにそうした形を続けるがために、疲弊していく人を見聞きする。
ちなみに日本では夫婦のセックスレスが問題になっているというと、
「俺はフリーセックス主義だ!相手を縛りたくもないし、自分も縛られたくない。だから関係を持っていたとしても、相手が幸せになるならそれでよし」
というのである。どちらかというと、個人の嗜好だと思われるが、個人の幸せを追求しすぎると結果的にこのような結論に辿り着くのだろうか。
スウェーデンには、サンボという制度があり、同棲カップルが結婚をしなくても、同様の法的権利が守られる制度がある。まあ、それなら確かに、結婚の意味が廃れそうである。
であれば、そこであえて結婚を選ぶ人は何なのか。そもそもいるのだろうか。
「まあ、いなくもないけど、少数派かなあ・・・記念としてやっておきたい人とか・・・?」
ああ、結婚ってその程度のものなのか。
スウェーデンには、ゼクシィも婚活業者も、婚活で疲弊する人も存在しない。
思えば、結婚という概念は刷り込みなのかもしれない。主人公と素敵な王子が結ばれるというディズニーの世界観しかり、そこかしこで垂れ流されている”おめでたい”結婚映像(”めでたくない”離婚映像はない)、友人や家族の結婚式に呼ばれた時のえもしれぬ高揚感。そして何より家族主義的である日本には、結婚=親への孝行という価値観が残っている。そう、すべてが、結婚=良いもの、というファンタジーを作り出しているのである。
親に自分の結婚式での晴れ姿を見せたい・・・
個人主義のスウェーデンには、そんな概念はこれっぽちもないのだろう。
かといって、結婚以外の形での法制度が整っていない日本では、いまだ結婚が根強い人気を誇っている。けれども、それ以外の制度が認められたら・・・人々はやっぱり結婚を手放すのだろうか。いや、日本ではまだ経済的な男女格差も激しいわけで・・・
ただ、スウェーデンの姿を見ていると、結婚=幸せ、という画一的な概念を捨て、自分を不幸にしてまでも結婚という形にしがみつく必要はないという姿勢は、我々もどこか学ぶところがあるのではないかと思える。