10年ぶりのイスラエル・パレスチナ旅行だが、今回は一人旅ではない。珍しく連れ、幼馴染と一緒の旅である。幼馴染は中東に縁もゆかりもない。これが彼女にとって初めての中東である。
「イスラエルってインドネシアみたいに混沌とした場所だと思ってたけど、ヨーロッパみたいだね。ここなら住めるわー」
これが彼女のイスラエルに対するファースト・インプレッションである。どうやら彼女は、イスラエルを発展途上国だと思っていたらしい。ちなみに彼女は、現在アメリカに住んでおり、結婚しているため旦那の家族からはイスラエル行きをひどく心配されたという。ま、そりゃそうだろう。
ちなみに私の家族の場合は、感覚が麻痺しているためか「あっ、そう」の一言で片付けられている。

テルアビブには高層ビル群が立ち並ぶ
イスラエル初旅行ということで、彼女はやたらとイスラエル人に「この国はどうか?」などと感想を聞かれていた。
「まだ数日しかいないけど、正直言ってアメリカより安全なことにびっくりですわ。アメリカは場所にもよるけど、危険なホームレスとかがいる場所もあって。それに比べてイスラエルでは夜でも安心して歩けるのがいいですよねっ」
ひえっ!?
さらに、銃を斜めがけしているイスラエル兵を見ても彼女は怯む様子は全くなく・・・
「いざとなったらあの兵士たちに守ってもらえるから、安心だね」
と謎の安心感さえ抱いていた。
イスラエルという国を伝えるために、パレスチナへの訪問は外せない。むしろこれがなければ、この国について半分も伝えていないことになる。たかがこの地に留学していたという謎のよしみで、私は無駄な使命感に燃えていた。
前日、イスラエル側でツアーに参加した際、明日ベツレヘムに行くんだ、というと他の参加者からこう言われた。
「ベツレヘムに行くの?危なくない?」
発言者は、ユダヤ系アメリカ人である。近くにいたイスラエル人ガイドも
「昔はツアーで行ってたけど今は行ってない。危険すぎる」
パラレルワールド発動である。
一部のイスラエル人やユダヤ系アメリカ人は、パレスチナ=テロリストがいる危険な場所だと思っている。この言葉を聞いた瞬間、幼馴染は「本当に大丈夫か・・・?」と私の顔を伺ってきた。
イスラエルでは、主語が誰かによってその危険度が変わる。
「イスラエルは敵に囲まれて大変なんだ。ガザのハマス、上はレバノンのヒズボッラー、下はイエメンのフーシー・・・だから俺たちは常に戦わなきゃいけないんだ」
男女とも徴兵があるイスラエルは、基本的にこのマインドセットである。どんだけ敵が多いんだ・・・そう。敵の陣地であるパレスチナに踏み入れれば、イスラエル人にとっては大いなる危険が待ち構えている。というわけで、確かに彼らにとって”危険”な地という認識は成立する。
一方でパレスチナに何度も訪れているバンクシーは、自身がプロデュースしているホテルのウェルカムメッセージにて「自分から危ない場所に踏み込んできたつもりだが、これまで身の危険を感じたことはない」と綴っている。
つまるところ、この「危険」というのは、思い込みが大きいのではと思っている。そしてその思い込みは他者を理解しようという態度の欠如だと私は思う。
この地に住んでいた時、どういうわけか、在住日本人でさえ分断していた。イスラエル側に住む日本人たちは「パレスチナは危険でしょ、だから行かない」というし、パレスチナ側に住む日本人たちは「イスラエルは本当に非人道的だ」と憤慨していた。いずれにしても彼らの中では正しい理解なのだと思う。
ここでは、いくつもの正しさがぶつかる。だから何が正しいのかわからなくなる。
少なくとも私にとって、この場所で危険を感じるのは難しい。
テルアビブでは、バーやレストランで仲間と楽しむ人々。ヨーロッパの光景となんら変わらない。けれどもここから70キロ先のガザ地区では、いまだイスラエル軍の攻撃が続いている。戦争が続いている国にいながら、戦争を感じることが逆に難しいという現実。
本当の「危険」とは何なのかということを、この地ではよく考えさせられる。

