孤独な私をみて、ちょっとはコミュ力でも上げろ、と言わんばかりに神が使者をよこしてきたらしい。というわけで、ありがたいことに最近コミュ力が高いなあと思う人々に出会うことがしばしばあった。そしてそこから学んだことを実際にやってみた。
それらは巷に転がっているような、よくあるテクではなく、むしろ哲学に似ている。そして実際にやってみると、驚くべき成果をあげたのだ。ここでは一般的に言われていることというよりも、私の周りのケースや体験に基づいた気づきを紹介する。
自己開示(特に失敗談)
内向型の私は聞くことは得意でも、話すことは得意ではない。聞き上手を演じることで、なんとかコミュニケーションできてるでしょアピールをしていた人間だった。
しかし、それでは対話は生まれない。コミュ力の高い人は、やたらと自分の話をする。もちろんそれが行き過ぎれば、自分の話をしている迷惑なやつになるのだが。ただ、コミュ力が高い人は、程よいレベルで自分の話をするのが特徴である。
相手が友人だろうが、初めての人だろうが、クライアントだろうが、とにかく自分の身の回りのことを話す。するとどうだろう。自分の話かい、と思いながらも、相手に気を許してしまうのだ。ここで返報性の法則が働き、相手がこれだけ自分のことを話してくれたのだから、自分も話そうという気になるのである。
自己開示に加えて有効なのが失敗談や不幸話である。動物として自分の弱みを晒すことは、命の危険になる。それは動物だけでなく、モサドやCIAは特に致命的である。しかし、モブ人間にはそれは通用しない。
よって、無駄なプライドを捨て、「自分ってこんなダメなところがあるんですよお、テヘヘ」だとか「こんな悲しいことがあってさあ」と、自分を曝け出すことで、相手もまたオープンになってくれるのだ。誰だって、完璧なロボに心を許そうとは思わないだろう。
どうせわからない、で自己完結しない
これまでの私はとにかく、どうせ言ってもわからない、無理だろうということで、自分の気持ちを閉じ込めて、対話をせず沈黙や、立ち去るという悪手を打ってきた。そうやって、ダメにしてきた関係がどれだけあっただろうか。
コミュ力が高い人は、とにかく自分の置かれている状況、故に自分はこういう気持ちになったのだ、ということを相手にわかるように丁寧かつ逐一、説明する(本人は意図していないことが多いが)。すると、相手も「ははあ、こういう状況だから、そういう結論になったんだなあ」とか納得したり、この人はこういうことを考えているんだなあ、ということを相手に伝えることができる。結論や要件だけ言われては、相手も「なんでそうなる?」と誤解や怒りを招くこともある。
というわけで、回りくどいなあと思いながらも、小説のごとく丁寧に状況説明をすると、意外と相手に伝わりやすくなるようになった気がする。会社を辞める時にこれを使ってみたのだが、そしたらまさかのカウンターパンチ。
通常であれば、会社を辞めると言ったら、「そうですか、さいなら」で終わるのが相場である。しかし、相手もまたコミュ力の上級者であった。故にその返しは、「そういう理由で辞めるんだったら、こういう形で仕事を続けてもらうことはできるかなあ」などと、辞める・辞められるで終えずに、どうやったらお互いにとってウィンウィンになるか、ベストな形になるかを探ってくれるのであった。
その時私は悟った。そうか。我々は機械ではないのだ。言葉を使える人間であるから、いかようにも、柔軟にお互いにとってベストな形を探り出せるのだ。今まで、言葉を雑に使っていた私は、言葉同様に人間関係もまた雑に扱っていたのだ。別れるなら、さいなら、もう引っ越すから、さいなら。けれども、自分の本当の気持ちを伝えることによって、それは単なる断絶ではなく、ゆるいつながりへと変化していくことだって可能なのだ。
推測しないで直接聞く
この人はこう思っているに違いない・・・しばしばそんなことを考えて悶々としたり、一人で怒り狂ってみたり、不安で眠れなくなったりする。しかし、コミュニケーションをしっかりすれば、そうした一人芝居とおさらばできる。
私のことどう思ってる?どうしてこうなるの?きっとあの人なら大丈夫だよね?
頭ではそう思っても、口には出さない。無礼者と思われるかもしれないし、言っても無駄だから。だからそれが不満になる。ただ、それは逆に言えばコミュニケーションの放棄にもなる。
聞きにくいことならば、もっと別の言い方で、聞くことができる。大人の人間ならば、それぐらいのスキルはあるはずだ。そこで聞き方や言葉選びのスキルが問われてくる。実際に聞きたい核心の質問に近づくために、それっぽい質問を投げかけてみる。その人との関連性によっては、直球で聞くのもありかもしれない。
もしくは、それが仕草に出ることもある。好意を寄せているなと思われるシグナルだとか。そしてそれをキャッチしたら、こちらもそうしたシグナルで返すとか。ただコミュ力が低い私はそうしたシグナルに鈍感なため、やはり私の場合は言葉を使って確認をするほうを好んでいる。
実際に聞いてみると、思っていたこととはまったく違う答えが返ってくることも多々ある。大半が、思い切って聞いてみてよかったなあと思うことが多い。どうせこうなんでしょ、と決めつけないで、まずは相手に聞いてみる、もしくは自分がこう思っているんだけど、という行動を起こすことが大事なのだ。
自分とはタイプが違うから、で終わらせない
コミュニケーションが苦手な私は、相手を見て心を開くか否かを決める心が狭い人間でもある。明らかに自分とタイプが違うと分かれば、勝手に苦手意識を持ったり、分かり合えることはないだろうと思ったりする。
けれども、自分を変えるため、人間食わず嫌いをやめてみようと試みた。相手は、最近結婚して子供ができた人である。独身時代でさえタイプが合わないなあ、と思っていたのだから、子供ができた後はいわんや・・・である。独身で子供もいないのに、そうした人に共感できるのだろうか、と。
確かに悩みや置かれている状況は、まるで違う。けれども、相手の話に合わせて、実は自分もこんなことがあってね・・・などとまずは軽く自己開示&失敗談を繰り出してみる。うう。自分の失敗談を話すなんて、恥ずかしいと思いながら。しかし、相手は意外にも、うなずいてみたり、「あなたにもそんなことが・・・?」と興味を示してくれるではないか。こちらも、我々にそんな共通点があったのね、と感心してしまう。
そして、出産や育児のことがわからないなりにも、「これってこういうことかなあ」と、諦めずに相手の状況を理解してみる。すると相手も、独身でノーキッズが相手だというのに、話を聞いてもらえている、という感覚になっているのか、次から次へと話が弾むではないか。
いける、これはいけてるぞ・・・
というわけで、相手はどう思ったかはともかく、私の中では、今まで以上に良好な関係が築けるようになったという手応えが少なくともある。今回の件で気づいたのは、相手のために相手の話を聞く、というコミュニケーションから、自分の話も織り交ぜることによって、対話がずいぶんと豊かになったことである。自分の弱みカードを出すことで、相手もそれに被せて、それによって自分も気づかされることがある。
彼らに会う前は、コミュ力が高いといえば、とにかくおしゃべり上手だとか、周りに好かれるスキルだとかと思っていた。そんなのは私にとってハードルが高すぎるし、別に好かれようという気概もない。
けれども、コミュ力が高い人を観察して共通していたのは、意外と上記にあるようなさりげないポイントだったりする。そして何より、目の前の相手に真摯に向き合い、対話をしようという姿勢なのであった。これまでの私はそうした前提を放棄して、自分がコミュ力がないからな、などと嘆いていた。
実際に言葉を使ってコミュニケーションをとってみると、言葉の選び方や相手の様子をうかがうことが、結構難しいということに気づくのであった。