中東からアジアに引っ越して感じたこと。アジア人差別や文化の違い

ここ数年は、中東を離れてアジア圏で暮らしている。現在はマレーシアに住んでいるが、短期滞在で韓国や台湾も回った。その中で感じた生活の違いについて考えてえみようと思う。

アジア人女性は声が高い?

中東を離れてまず向かったのが、イスラーム美術の勉強のため滞在していたパキスタンである。同じイスラーム圏ともいえど、民族的にはアジア人。アジア人(女子生徒多め)に囲まれる生活をしていくうちに気づいたのが、あれなんかみんな声高くね?である。

私は結構声が低い方で、学生時代は常にアルトをあてがわれた。そんな低い声がちょっとしたコンプレックスでもあったのだが、ドバイではそんな私の声の低さが目立たないほど、周りの女性たちも声が低かった(特にアラブ人や欧米人)。

話す言語も関係しているだろう。英語を話すと、私の低音ボイスはさらに加速する。特にアラビア語は、私がヤーさん言語と呼ぶぐらい、ドスの効いた低音が特徴で、アラブ人女性であまり声高に話す人は珍しい。しかし、パキスタンは同じ英語を話していても、やっぱり高いのである。よって、何か人種的なものが関係しているに違いないとにらんだのだ。

一方で、日本の女性は一部で跋扈している作り声を考慮しても、全体的に声が高い人が多い。日本人女性はの声は世界一高い、という見方もある。パキスタン→マレーシア→韓国→日本と東にいくにつれ、どんどん女性の声が高くなっていないか・・・?というのが私の実感である。

その理由として私が叩き出したのが、体格である。欧米人は基本的に体格がでかい。アジア人は小さい。つまり楽器の原理である。小さなヴァイオリンは高音、大きなコントラバスは低音。なかなか筋が通っているではないか。

と思いきや実際に調べると、日本音響研究所によれば、身長と声の高さは密接に関連しているとのこと。

身長は声の高低と密接に関係しています。 一般に身長 の高い人ほど体の各部位も大きく、声帯も例外ではなく身長 が高い人ほど声帯が大きいのです。 大きい太鼓と小さい太鼓 では大きい太鼓の方が低い音が出るように、大きい声帯を持つ人、つまり身長が高い人ほど低い声が出るのです。

引用元:日本音響研究所

アジア人差別がなくて楽

ああ、アジア(特に東南から東)はなんて快適なんだろう。その快適さの根源は、アジア人に囲まれていることにあった。そして同時に、当時は意識していなかったけど、アジア人が少ない中東で生きることの辛さが、改めて鮮明になったのである。

日本にいれば、ほぼ日本人で形成されているので、”私”のアイデンティティに対して何ら疑いの余地はない。しかし、中東ではアジア人として見られる。常にガイジーンもしくは中国人(目が細いアジア人=中国人というイメージが蔓延しているため)という、異質な存在となる。そうした異質な少数派に対しては、ステレオタイプが入り込みやすく、時にはそれが差別という悪意になる。

数は少ないが、そんな悪意に直面することも中東ではしばしばあった。自分ではちょっとしたおしゃれをしたつもりだが、ドバイでは売春婦に間違われたり(ドバイにはアジア系の売春婦も結構多い)、ラフな格好をして道を尋ねると、「仕事探しているの?」と、出稼ぎ労働者に間違われる、という悲惨な事態が発生した。

人は見た目が9割。その時ほど、それを痛感したことはない。アジア人=出稼ぎ労働者。ステレオタイプのクソが。見返してやるかんな!という思いで、今ではせっせと筋トレに勤しんでいる(筋トレがステレオタイプ対策として有効かは不明だが)。

しかし、そんな私の努力をよそに、K-POPが世界を席巻し、東アジア人=かっこいいという、天変地異が起こるのだから、世の中よく分からない。

実際に、Kドラマ好きのトルコ人からは、ただボーっと立っているだけで、「わあ、アジア人素敵いー」と尊がられたり、ウズベキスタンでは、KーPOPアイドルに間違えられて、大勢に取り囲まれるなどの騒動が発生した。まったくもって世界というのは、お気楽なもんである。

私は何一つ変わっていない。ただ世界が変わっただけなのだ。

今では、高級ブランドのアンバサダーを多くの韓国人が占めており、美といえば欧米、という時代は終わった。韓国人のおかげで、アジア人としての私もステータスが勝手に上がり?、まさに棚ぼた状態である。アジア人ビューティーを世界スタンダードに押し上げてくれた、韓国に密かに感謝している。

中東では、みにくいアヒルの子であった私だが、韓国と台湾では、まさしく白鳥の仲間入りをしたような思いだった。韓国では、道端のオバはんが定期的に韓国語で絡んでくるし、店員も韓国語で話しかけてくれる。そして台湾では、中国語で話しかけてくれる。社会の一員として認められている・・・!天にも登るような気持ちであった。

マレーシアに至っては、基本的に誰も何も気にしないので、めちゃくちゃ楽である、の一言に尽きる。

それでも中東に想いをはせる

そんな快適なアジア暮らしだが、それでも時々中東のことを考える。思えば、中東は私にとっての青春であった。キラキラした宝物がたくさん詰まっている。アジアに住んでしばらく経つのに、未だブログのタイトルを変えないのもそのせいだ。

東南~東アジアは楽だ。食事には困らないし、何でも手に入る。そうした物質的な豊かさは大いにあるが、それでも自分の個人的なトキメキを感じるフィールドではないような気がする。推しがいる生活が美しいように、どんなに不便で不快なことが起こっても、自分のトキメキに勝るものはないように思う。