海外にやってきた日本人なら、一度は体験したことであろう。路上を歩いていて、突然「ニーハオ」と声をかけられる体験。
私が、はじめての「ニーハオ」を経験したのは、10年前である。そして、今もなお路上で「ニーハオ」を投げかけられ、違和感を抱え続けている。
なぜ人々は「ニーハオ」というのだろうか。
「ニーハオ」と言われた時に、感じる違和感はなんだろう。
他のアジア人たちも「ニーハオ」を投げかけられているのだろうか。
誰もが抱くシンプルな疑問。その答えを私なりに考えてみたい。
無知から出たニーハオ
すでに察している人も多いかと思うが、「ニーハオ」という連中のほとんどは、暇人かつ、学がない人々である。
よって、路上に面白そうなものが歩いていたら、興味を引こうと、軽い気持ちで「ニーハオ」と発してしまうのである。
これは、「ニーハオ」多発地域の地元住民に聞いたカラクリである。
多くの場合、そこに悪意はない。
けれども、無学なのでそれによって、相手がどんな風に感じるのか、ということまで、想像はできない。
見ず知らずの人に声をかけたり、からかったりすることは、通常は日本国内では発生しえない。ゆえに、あってはならないことである。
日本ではありえない行為だが、世界にはそうした日本人が思う「ありえない」ことをする人々が多々存在するのである。
日本人が考えるマナーや当たり前など、ほとんど海外にはないと、心しておくべきだろう。
つけ加えておくと、日本は見知らぬ人間同士での会話も、ほぼ発生しない国である。
見知らぬ人間から声をかけられる、ということは、余計に非日常的なのだ。
よって、ニーハオが発生すると、「はあ?」「なんで?」と日本人は、たじろいでしまうのである。
「ニーハオ」で沸き起こる様々な感情
日本人にとって「ニーハオ」という中国語で挨拶されることに、ひっかかりを覚える人もいる。
それは、主に不快と動揺から構成されている。
多くはこんな感じだろう。
「私のどこが、中国人っぽいのよう」と、単純に自分のどの辺が中国人っぽいのかを考え始める、自己模索型。
中国人を格下にみたり、もしくは彼らに対しよくないイメージを持っており、そうした中国人に間違えられたことに対する、怒り。
ニーハオを連発で浴びせられており、「ニーハオ」という言葉や、見知らぬ人間に、からかい半分で声をかけられること自体にうんざりと感じている。
「ニーハオじゃなくて、こんにちはやろ」と、正しく人種を認識してない無知な人々への憤り。
中国も日本も同じじゃないの?
ニーハオに対する感情や反応は人それぞれだ。けれども、ニーハオ発生の理由は、だいたい決まっている。
それが先ほどの、無知から出たニーハオ。そして、アジア人に対する偏見である。
アジア人以外にとっては、極東の日本は遠い国である。日本人にとっては、誇るべき我が国ニッポン!であっても、海外の人にとっては、アジアや中国の一部という理解である。
そんなんうそや!と思う方。
確かに、テレビでは日本にお熱を上げている外国人や、ニッポン大好き☆みたいな外国人観光客が、紹介されている。
しかし、彼らは全体のごく一部の話である。むしろ、重箱の隅をつつかないと、出てこないような人々である。
実際に、「え?日本と中国って同じだと思ってた。同じ言葉じゃないの?うそ?」みたいなことを真顔で言われたことがある。
中国は存在は大きい。文明を生み出した土地であり、国土も人口も、影響力も大きい。
とにかく中国は、世界でも相当なスケールを誇る国である。中国の認知度が、圧倒的に高いことは、認めなければならない。
そして、ニーハオ連中は、そうしたアジア人を見たら、とにかく反射神経的に、「ニーハオ」という言葉を発してしまうのである。
「ニーハオ」に悩まされるのは日本人だけじゃない
知人の台湾人に、道ばたで「ニーハオ」っていわれたらどう思う?と聞いたことがある。
「不快だわ。アジア人がみんな中国語を話す、って思ってるのが気に食わないのよね」
と彼女は一蹴した。ちなみに、彼女は自分は中国人ではなく、台湾人だと認識している人である。
そう、「ニーハオ」の被害に悩まされているのは、日本人だけではないのだ。香港人や韓国人も同様のことを感じているのかもしれない。
ニーハオの対処法
多くの日本人は、「ニーハオ」といわれ、挨拶をされている、と思うだろう。だから、どう切り返すかを迷う。
よってここは、渋谷や歌舞伎町あたりにいる、キャッチだと思い、スルーすればよい。
なぜならば、からかいで声をかけているからである。もちろん人と場合にもよるが。
そこで、ムキになったりしては、いけない。ちなみに、「ニーハオ」だとか「日本人だよ。正しくは、こんにちは、だぜ」と言い返しても、向こうはキョトンとするだけである。
話が続くわけでもない。なぜなら、会話をしようと思って、声をかけているわけではないからだ。
よって、ここはスルーをするのが、最良といえよう。
我々は世界を正しく理解しているか
アジア人への偏見や一般化から、ニーハオが発生することはわかった。けれども、それだけだろうか。
同時に、「ニーハオ」は、我々に対しても、問いかけてくる。
日本人だって偏見や一般化をしているんじゃないか?
日本人はちゃんと世界の国々のことを理解しているのだろうか。
答えは否だろう。
我々だって、遠いアフリカの国々のことは、アフリカ人だの、とりあえずアフリカなどとくくっている。
50カ国以上もあるのに、ひとくくりにアフリカ人などと、言ってしまうのは無理がある。
「まんが アフリカ少年が日本で育った結果」を読むと、日本人のアフリカに対する知識も、ニーハオ野郎とそんなに変わんないじゃん、とすら思う。
だから、実はお互い様なのだ。
口に出して、からかったりなどはしないという点では、ニーハオ野郎とは大きく違う。
けれども、無知ゆえに意図しないことで、相手を不快にさせたりすることもある、ということは、日本人も知っておくべきだ。