UAEのラス・アル・ハイマ首長国近くにあるゴーストタウン、アル・ジャジラ・アル・ハムラを訪れた時のことである。
ゴーストタウンなので、人はいないはずなのだが、なぜだか色めき立っている一軒家がある。近づいてみると、大量の洗濯物がかかっており、中から人がわんさか出てくるではないか・・・
ここは一体・・・
ぶら下がっている洗濯物から察するに、労働者の住処であることが読み取れた。
ドバイの近郊には、建築業に携わる低賃金労働者が多く住む大規模な「労働キャンプ」と呼ばれる場所がある。見た目は高度経済成長期の日本で見られた団地に近いが、大きな違いはその住民だ。
「労働キャンプ」には、野郎しかいない。野郎たちは主に、インド、パキスタン、バングラディシュからやってきた出稼ぎ人たちだ。
中から出てきたのは、アフリカ野郎だった。ドバイで見かける労働者はアジア系がメインだが、ここには多くのアフリカ野郎がたむろしているらしい。どこからやってきたのか、と聞くと「ナイジェリアだ」という。
家を見るとお邪魔したくなる性分ゆえ、図々しくも野郎の敷地内に足を踏み入れる。
一軒家は、中庭を囲むようにしていくつかの部屋が並んでいる。
30人ほどが暮らしているという家は、パキスタン人たちが暮らすパキスタン部屋とナイジェリア人が暮らすナイジェリア部屋に分かれていた。やはり同じ文化や国の人間と生活した方がスムーズなんだろうな、と自分の経験を踏まえてと思う。
もちろん女子はいない。野郎だけのむさくるしい空間である。男子校をより一層むさくるしくさせたような場所だが、不思議なことに不潔ではなかった。休日ということもあってか、丁寧にコンロを掃除する野郎もいる。部屋の中は雑然としているように見えるが、服や日用品を丁寧に管理している様子がうかがえる。
パキスタン部屋。休日の金曜日なので、野郎達はまったりと部屋で過ごす。手前の男はメシを食べ、奥に座る男はアイロンをかけている。ルームメイトに気兼ねすることもなく各々自由に過ごしている。
一体どこでそんな上腕二頭筋を身につけたのか・・・
同じ家で生活しているが、パキスタン組はラス・アル・ハイマ、ナイジェリア組はアジマンと職場は別だという。東京で言えば、勤務先が神奈川と埼玉、といった感じである。
住民たちはみな若い。20~30代と私と同年代である。50代近くの住民もいるが、少数だ。
「おまえ、その写真をとってどうするんだ?まさかUAE政府に売りつけるつもりか」と鋭い視線とともに問われた。なんとなく違法性がムンムンと漂う。
割れた鏡で顔をチェックしていた男を撮影しようとしたが、気付かれてしまった。なぜかこの後、周りにいた野郎達から大爆笑が起こる。野郎の笑いのポイントがよく分からない。
勝手に案内役をかってでたナイジェリア野郎は、UAEにやってきてまだ6ヶ月目だという。「ここにいる連中の大半は、みんな結婚して家族を母国に残してきている。俺も数年して十分な金を稼いだら母国に帰るつもりだ」と流暢な英語で話した(ナイジェリアの公用語は英語)。
やっぱりアフリカ野郎はオシャンティである
「金のためにここにやってきた」
そうした言葉を聞くたびに、自分がここへやってきた理由を振り替えざるを得ない。海外就職してみたいから、中東に住みたいから・・・彼らからするとお気楽な理由なのかもしれない。ましてや、会社の辞令で・・・というわけでもない。
仕事がない、正社員になれないのは個人の努力不足であり、自己責任。そうした論調が日本を支配している。小泉政権下のイラク邦人人質事件からだろうか・・・イラクへ行ったのは自己責任であり、国費を使って政府が助ける必要はない。
事件当時、私は中学生であった。そんな論調とともに成人してしまったから、個人が不遇な環境にあるのは「自己責任」だと無意識のうちに刷り込まれてしまったらしい。
けれども、目の前にいる彼らが、家族と離れて出稼ぎに行かなければいけない状態は自己責任なのだろうか。国が国民の生活を保証できないがゆえに起こっているのではないか。日本の外に出ると、国が国民の生活を支えきれず、国民が国を見捨てる状況が多々あることに気づかされる。
新婚だというのに、子どもと妻を母国においてドバイで働く同僚もいる。現在はサウジアラビアで働き、「もう、あんな国には戻りたくない」と母国エジプトの不満を漏らす同僚もいる。
果たして国はどこまで国民の生活を保証すべきなのか。国外に出ずとも仕事にありつけ、それなりの暮らしができる日本では思いもよらないことを考えさせられた。
中庭でまったりタイム