ドバイを離れる決意をした理由と決断にいたるまで

4年半前。私は、海外(中東限定)で生活したいという理由1つで、単身ドバイにやってきた。

「海外で働きたい」と思っていた新卒が、就活のレールからはずれ、2年かけて”中東”での海外就職を実現するまでの道のり

今思えば、ドバイにやってくる時は、簡単だった。海外にいきたいんじゃ!という理由だけで、動いていた。シンプルだ。

けれども、いざドバイを離れるとなった時には、あまりにもいろんな思いが頭をめぐった。

事情が複雑に絡んでいて、簡単に答えを出せない。

結局、ドバイを離れるという決断をしたけれども、なんだかスッキリしないのである。多分それが、消去法による、決断だったからかもしれない。

決断を下した今でも、悩んでいるのかもしれない。いや、そんなに悩む必要はないのだが、ドバイにやってくる時の、ピュアさと一途さを考えたら、中東情勢のごとく複雑怪奇なのである。

入学するのは簡単だが、卒業するのは難しい。なんだかアメリカの大学のような状況である。

そう、来るのは簡単だが、去り際を決めるのは、結構難しかった。

これ以上ドバイで働くのはムリ

なぜドバイを離れることになったか。それは、ひとえにドバイでもう働きたくねえ!という理由である。

今の会社を辞める時にも、転職はしなかった。もう、そんな気力すらなかった。

ドバイで働かないとなると、「じゃあ、お帰りください」となる。なので、こちらも「じゃあ、帰ります」となる。

ドバイでは、勤めている会社がビザを出している。ビザの期限が残っていたとしても、会社を辞めた時点で、ビザがキャンセルされるのである。

転職しない。ドバイで働く気がない。この真っ当な理由により、ドバイにいる理由もなくなったのである。

キャリアップか自分のやりたいことか

ドバイで働く気力がないのなら、別の国で働けばいいんじゃ?と思うだろう。事実、そんな風に同僚たちには、言われた。

日本で再び働くという選択肢は、私の中にはない。日本の労働環境を嫌悪しているのではない。

単純に、極東すぎて中東から遠い、単一民族国家すぎる、という2点から、現時点で日本で生活するのはナシだな、と思うのである。

日本でも楽しく働ける予感がする。けれども、海外の方が働いていて、もっと楽しいのだ。

そしてドバイでいろんな人を見ていくうちに、「あれ、自分やれば他の国でもいけるんじゃね?」という、妙な自信を得てしまったことも、日本で生活するという選択肢から遠ざかった一因である。

となれば、どこか別の国を探さなければいけない。

キャリアだけのことを考えれば、イギリス、ドイツ、マレーシア、シンガポールあたりが、有力候補である。同僚のインド人やドイツ人の一押しは、シンガポールである。

しかし、重要なことを忘れてはいけない。

どれも中東ではないのだ。

中東ではもはや働きたくない。しかし、中東の土を踏み続けたい。

働かなくてもいいんじゃ・・・?

もはや自己矛盾の塊である。中東で働きたくないが、中東にはい続けたい。そう考えた結果。

あれ、会社で働かなくてもいいんじゃね・・・?

というコペルニクス的気づきである。そもそも、なぜ会社で働く必要があるのだろう、という原始的な疑問にたどり着いた。

明治時代の富岡製糸場で働くあくせく女工たちからすれば、袋叩きにあいそうな発想である。

そもそも、なぜ人は毎日会社へ行って、働くのだろう。

私の周りの人々は、働いている。

本国に養うべき家族がいて送金するために。

病気の母親のために、治療費をかせぐために。

子どもの養育費にあてるために。

結婚を控えていて、新婚生活のために。

毎日働いている。だからそれを続けるまでだ、という習慣として。

これらのどの理由も持ち合わせていない。確かに、決まった収入が入ってこないのは、不安である。しかし、だからといって、働き続ける理由は、今は持ち合わせていない。

これほど当たり前のことを、なぜ今までじっくりと考えなかったのだろう。

働かなくてもいいんじゃね・・・?

そう、この1つの発想で、次の一手が大きく変わった。日本に帰国して、就職するでもなし、他の国で働くでもなし。

このあたりについては、また別の機会につづろうと思う。

いずれにしろ、ドバイを離れるということは、大げさなことではない。そう、自分に言い聞かせている。

実際に「もうドバイなんかこりごりよ。十分だわ」などとディスりながら、ドバイを去ったのに、出戻るケースは、よくあるからである。

それもわかる。先進国よりも高い給料。素晴らしいワークライフバランス。整備されたインフラと、生活のしやすさ。

夏の地獄のような暑さをのぞけば、ドバイ生活は、それなりに快適だ。そして、安全に暮らせる、というのもポイントが高い。

悪態をつきながらも、つい帰りたくなる。

それがドバイの居心地の良さでもある。

そんなわけで、また帰りたくなったら戻るか、という程度である。そんな風に考えれば、永遠のお別れでもなんでもないのだ。

手放せば執着は消える

ドバイを去る!と言いながらも、断固として行動に出られない自分がいた。

それは、先述した通り、ドバイでは働きたくないが、中東にアクセスの良いドバイにはいたい、というアンビバレンスである。

そして、もう一つは、ここに来るまでの労力である。ドバイにやってきて初めの2年は、くすぶっていた。初期の頃から、もうドバイなんか去ってやるう!と、何度も自暴自棄に陥っていた。

精神崩壊寸前で、発狂しかけた時期もあった。日本で暮らしていれば、味わうことのない、屈辱や辛酸を全身に浴びた。

そして、仕事が落ち着いて、ようやくドバイライフをエンジョイできる余裕ができた。

だからこそ、今のドバイ生活を手放すのが、惜しい気持ちもした。せっかく、苦労して手に入れた海外生活、ドバイでの生活。

正直言えば、同じことはもう2度とやりたくねい!

これまでの苦労を振り返れば、このままドバイにいよっかな〜♪安泰した生活を手放すのは、もったいねい♪などと考えていた。

しかし、一方では新しいことに挑戦しない自分、現状にしがみつく自分にも、焦りを感じていた。このままドバイにいてもねえ・・・惰性では生きたくない。

そこへ彗星のごとく現れたのが、リアルサイコパスであった。

【リアルガチ】サイコパス上司にパワハラを受け精神がズタボロになる

サイコ到来のおかげで、安泰した生活は、再び暗黒の生活へと舞い戻りつつあった。

同じことの繰り返しに、進歩はない。

こうして、サイコに背中を押されるようにして、ドバイ離脱を決意したのであった。もっとも、サイコが直接的な原因ではない。この会社に入る前から、すでに決意していた。

ドバイで働くのは、この会社が最後だと。

さようならドバイ、27歳の決断

その日は、いずれ来る。早いか、遅いかの問題だったのだ。

そして、私はドバイ生活を自らの手で、手放した。

いざ、手放して見ると、あれだけ惜しいと思った執着は、どこかへ消えていた。振り返って、惜しむことすらない。

過去の努力や苦労した自分を愛おしむあまりに、人間は手放せなくなることがある。手に入れたものに、執着する。けれども、それは過去と現在に自分を縛ることになる。

手放して思うのは、それは失うことではない。むしろ、それは新しい何かを手に入れるために必要な一歩なのである。

20代後半から海外で生活。ドバイで5年暮らした後、イスラーム圏を2年に渡り旅する。その後マレーシアで生活。大学では社会科学を専攻。イスラエル・パレスチナの大学に留学し、ジャーナリズム、国際政治を学ぶ。読売新聞ニューヨーク支局でインターンを行った後、10年以上に渡りWPPやHavasなどの外資系広告代理店を通じて、マーケティング業界に携わる。

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