注)以下ではアフリカに対する過激な表現が含まれているため、器の広い方だけ読み進むべし。
日本を離れて早2ヶ月が経とうとした頃。日本からサウジアラビア、そしてエチオピアを経由してやってきたのが、ソマリランドである。
ソマリランドからの逃亡
ソマリランドに行った目的は、ソマリランドマラソンである。そんなマラソンも終わり、もはやここにいる意味はなくなった。
ただ、2週間後にソマリアでのモガディシュマラソンを控えている。
モガディシュへのフライトはそんなにあるわけではないし、隣国からでも毎日飛んでいるとは限らない。ソマリランドからだと1時間でいける距離だ。移動費節約のためにも、ソマリランドにいた方がいい。
そんなわけで、ソマリランドでは20日間の滞在を予定していた。ソマリランドにやって来る前は、まあなんとか時間をつぶせるっしょと思っていた。しかし、1週間で逃げ出したのである。
アフリカでストレスがたまる
エチオピアの頃からその兆候は出ていた。一括りにアフリカというのも失礼な話だが、エチオピアにやってきてから、サハラ以南のアフリカというものが嫌になった。
エチオピアのハラールでは、ホテルの外へ一歩出たら、多量の人が行き交っている。渋谷のスクランブル交差点並みである。
おまけに、ジモティーは立ちションをしまくっているし、道を歩けば砂埃まみれになる。
人が多いだけでなく、路上の魑魅魍魎たちによるチャイナコールにより、精神的なストレスを抱えるようになった。この辺はソマリランドでも同じである。
うう。。外に出るのが怖い・・・
いろんなものが渦巻くアフリカに、溺死しそうになった。
ストレスとは無縁そうなアフリカで、なぜストレスフルにならにゃあかんのだ。アフリカというか、アフリカに蔓延する途方もない貧困が嫌になった。
自分でのこのこやってきておいて、何を言っているのか、と思われるだろう。自分でも、そう思う。
しかし、このアフリカは他の大陸を旅行するようなテンションで、立ち入ってはいけない場所だったのである。
アフリカをなめた、バチがあたったのだろう。
ソマリランドの薄暗いホテルで、私は無心となって検索していた。「アフリカ 嫌い」、「アフリカ 汚い」。同志を見つけるつもりだったが、ヒットするのは、ビジネスチャンスのあるアフリカだとか、アフリカ大好きっ子のブログである。
なんだYO!
ソマリランドで心が折れる
ソマリランド社会で過ごすことは、容易なことではなかった。
まず困ったのが食事の確保である。アフリカの最貧国の1つであるソマリランドには、豊富な種類の食べ物があるわけではない。極端にいうと、食べ物が30種類ぐらいしかない状態である。
街中にあるのは、青空マーケットか小さなローカルショップぐらいである。なんでもそろっているスーパーやコンビニなんてものはない。干ばつに度々見舞われる土地ゆえか、野菜や果物の種類も限られている。
ありがたいことに、ホテルのレストランでは美味しい食事にありつける。しかし、ホテルのレストランは、1食10ドルと恵比寿ランチ並みなのである。
初めは、美味しいなと思っていたが、メニューは6種類ぐらいしかないし、肉がラクダかヤギか鶏肉かという違いで、味付けは同じなのである。
これはホテルだけでなく、街中のレストランも同じだった。価格は6ドルから9ドルと、ホテルに比べると少しお安めだが、それでもソマリランド価格としては高く感じる。
さらに価格を落としたローカルレストランで食べるという手もあったが、入店がかなりためらわれた。
レストラン内はハエがブンブン飛び回っている上、電気がなく、防空壕みたいな雰囲気なのである。防空壕で食事をする気にはなれん・・・ローカルショップで買い物をしようにも、食べ物は、クッキーやポテチ、チョコぐらいしかない。
数日だったらなんてことはないが、これが3週間も続くとなると、先が思いやられる。
うう。食べ物がねい!
というか贅沢すぎやしないか、自分!
しかし、食べ物が限られているのは辛い!
なぜこんなにも食について熱く語るのか。
当時の私にとって十分なカロリーの摂取は、死活問題だったのである。ソマリアでのハーフマラソンに向けて、毎日走っているせいか、どうにもお腹が減って仕方がないのだ。
本当ならば2食以上食べたいのだが、1日20ドルも食費にかけるのは、お財布への打撃が強い。よって、1食で我慢していた。
すると、どうだろう。
だんだんイライラしてくるのである。
おまけに、外で涼しい時間に走りたくとも、「ソマリランドは、そういう国じゃないから」などとジモティーがぬかすので、自由に走ることも許されない。明らかに男性優位なソマリランド社会にも、嫌気がさしてきた。
何のために生きてるんだろ・・・
発狂寸前である。
「そうだ、ドバイに戻ろう」。耐えきれず、こんなことを閃いた。そして、数時間後には、フライトの予約を完了させ、ホテルのスタッフにソマリランドから去ることを伝えた。
なぜドバイだったのか。今思えば、他の国でもよかったんじゃないかとも思う。
けれども、あの頃の自分は、見知らぬ国(特にアフリカ)に行くなんていう余裕はもはやなくて、日本の次に自分のホームと言えるドバイに戻りたかったのだろうと思う。
とにかくエチオピアとソマリランドで弱った精神力を回復させ、ハーフマラソンに挑まねば。目的はこれだけである。
これで、ようやくソマリランドからおさらばできる。
ドバイに戻れるとわかった瞬間、ホッとしていた自分がいた。
私はアフリカに敗北したのである。