無税天国ドバイ生活の副作用に苦しむ

ドバイを離れて数年になるが、いまだに定住地がなく世界を浮遊している。日本に戻り生活するという、ごく自然にして合理的なカードを使うことができないのだ。

その理由の1つが無税天国ドバイ生活後の副作用である。

ドバイにやってきて、無税天国の甘い汁をすすったためか、税金だらけの日本に戻るのはピラニアだらけのアマゾン川に飛び込むような所作に思えた。

所得税、保険、年金といった徴収がないドバイでは、月収と手取りが同じ額となる。給与明細を見ても、月収だけが1行ぽつんと書かれているだけである。

また物価が高いドバイでは、日本やイギリスといった先進国と比べても、給料が1.5~2倍以上に跳ね上がる。そんな無税という錬金術を駆使して生活すると、当然ながら貯金もどんどこ貯まっていくのである。

私がのうのうと世界を浮遊することができるのも、そうしたドバイ生活の錬金術によるものである。

日本で働き生活をすることを考えると、その税金の多さに驚く。そしてなぜほとんど医者にかからない人間でも一律に保険料が引かれるのか。もらえるのかわからない年金を払わなければいけないのか、ということまで逐一考えてしまうのである。その答えは明確で、高齢社会という日本を運営するための資金繰りのための必要経費なのだ。

日本で生活していると、己の給料から徴収する税金に思いをはせる時間はほとんどない。自動的に税金が引かれ、残った金額が支給されるというシステムでは、個人が自分のお金から徴収されているという感覚が生まれない。

日本の会社に勤める限り、自動的に税金が差し引かれるので、自分の給料をコントロールするのは不可能だ。だから、どうしても日本の会社に勤めるのがためらわれる。

公共のシステムやサービスを利用するためにも税金は必要なのだ、という考えもある。しかし、オイルマネー等で潤っている国では、個人がそれを負担することもなく、先進国と同じような、もしくはそれ以上の公共サービスが受けられる。

老後や病気になった時に安心じゃないか、という考えもあるだろう。確かに国民が年金や保険を負担することで、誰でも生活保護や年金サービスを受けられる。それ自体は素晴らしいシステムだ。けれどもそうしたシステムがあるのは世界でも限られた国で、大半の人々は老後のために自分で資産運用等などをして、やりくりをしている。

また給料だけを見ても、日本は先進国の中でほとんど給料が上がっていないのも悲しい点である。よって日本でドバイと同じような給料を叩きだそうとすると、かなり難しい。額面がいくら高くても、結局は税金で持ってかれるので、最終的な金額は随分と低くなる。ならば他の国で働いた方がいいんじゃね?という結論に至るのである。

もちろん税金や収入だけが、住む国を決める判断材料というわけではない。けれども、ドバイよりも低い給料で、長時間労働、満員電車、年上にこびへつらう儒教社会という過酷な労働環境には、もう戻れないと思うのが現実だ。

いっそのこと日本に戻っちまおうかと考えるが、固定資産税、相続税、自動車税と税の多さに、ビビってなかなか手がつけられないでいる。

たとえ税金を払ったとて、日本の生活は便利だし、暮らしやすいじゃんというメリットもある。しかし、日本と同じように暮らしやすく便利な国は、世界の他にもあるわけで・・・と考えると、家族に会う以外に日本へ行くメリットがあまり思い浮かばないでいる。

そんなにドバイがいいならまたドバイへ行けばいいじゃん?確かにドバイには出戻り組もちらほらいる。けれどもドバイのいいところは、無税で快適な生活が送れ、旅行がしやすいというぐらいで、4年半も過ごせばあまり生活に面白みがなくなってくるのである。また、ドバイで快適な労働環境を獲得しようと思うと、かなり骨が折れるため、ドバイに戻るのも逡巡してしまうのである。

20代後半から海外で生活。ドバイで5年暮らした後、イスラーム圏を2年に渡り旅する。その後マレーシアで生活。大学では社会科学を専攻。イスラエル・パレスチナの大学に留学し、ジャーナリズム、国際政治を学ぶ。読売新聞ニューヨーク支局でインターンを行った後、10年以上に渡りWPPやHavasなどの外資系広告代理店を通じて、マーケティング業界に携わる。

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