インド人が多いことから、ドバイはリトル・インディアなんて呼ばれたりもする。いや、ドバイ人口で最も多いのはインド人なので、リトルどころではない。
現在のドバイの繁栄は、インド人の助けなくしては、ありえなかっただろう。
人口の多さで圧倒するインドは、それなりに市民権を得ており、ドバイでは「ディワリ」や「オナム」といったインドの祭りも祝う。
インドであれば祝日になるが、残念ながらここはドバイ。インド人の同僚たちは、各々で休暇をとり、インドの祭りを祝う。
イギリスの保護領だったドバイ
このようにインドとドバイの関係は、明らかである。一方で、ドバイで暮らして、ひしひしと感じるようになったのが、イギリスとの関係である。
もともと、ドバイを含むアラブ首長国連邦は、イギリス領の保護下にあった。
当時、ドバイの北にあるシャルジャやラス・アル・ハイマあたりで”海賊”が出没し、ペルシャ湾を通る外国船を襲撃していたことから、「海賊海岸」だとか「休戦海岸」などと呼ばれていた。
よって当時UAEに入国する場合は、イギリスでビザを取らなければならなかった。1971年にUAEがイギリスから独立するまでの話である。
ドバイで見かけるイギリス式
そうした名残ゆえか、ドバイではいたるところで「イギリス式」を見かける。
ドバイのエレベーターボタンには、必ずGボタンがある。G=グラウンド・フロアという意味だ。日本でいう1階が、イギリスやドバイではグランド・フロアなのである。日本でいう2階へ行くならば、1階のボタンを押す。
コンセントもイギリスと同じくBFタイプである。近隣のバーレーンやオマーン、ヨルダンといった、ドバイと同じくイギリスの保護下にあった国々もBFタイプである。
アラビア語と並んで、UAEの公用語になっている英語。英語が使われる場合、だいたいイギリス英語である。ラジオやCM、カスタマーサポートセンターなど、あらゆるところで、イギリス英語が飛び交う。
日本人に馴染みがあるのは、アメリカ英語である。しかし、ドバイにおいては、強制的にイギリス英語やインド英語の渦に巻き込まれるのが、宿命である。
UAEに住むイギリス人は24万人。欧米諸国の中では、最も多い。よって、ドバイの職場でもよく見かける。大英帝国の威を借りてか、高い役職に就き、本国よりも高い給料で働くケースが多い。
砂漠でアフタヌーン・ティー?
そのほかにも、よく見てみれば、奇妙なものもある。 例えば、アフタヌーン・ティー。
ドバイのゴージャスホテルでは、このアフタヌーン・ティーをやたらとゴリ押しする傾向がある。確かに、ゴージャスドバイと、貴族っぽいアフタヌーン・ティーは、ピッタリである。
しかし、考えてみてほしい。
ドバイといったら紅茶よりアラブコーヒーである。
客人が訪れた際、砂漠の遊牧民たちは、アラブコーヒーでもてなす。そんなことから、アラブコーヒーは「寛容の象徴」として、無形文化遺産にまで登録されている。
だのに!
アフタヌーン・ティーのごり押しは、英国の影を感じてならない。
イングランドが発祥と言われる競馬。ドバイでは、「ドバイワールドカップ」と呼ばれる競馬レースイベントが毎年開かれる。
ドバイといえば、砂漠。砂漠といえばラクダである。アラブ種の馬というのも確かにいるが・・・
ここはやっぱりラクダレースなんじゃないか?
そのほかにも、一見すると新しくて、斬新そうな建物だが、イギリスに影響を受けている建物もちらほら。
ビッグベンに影響を受けたらしい・・・
“アイン”はアラビア語で目を意味する。巨大観覧車、アイン・ドバイは完成すれば世界最大の観覧車になる。
夏はロンドンでバカンス
イギリスのロンドンは避暑地として、人気がある。ドバイが暑さのピークを迎える8月ごろ。ロンドンは、涼しくて過ごしやすい。いうならば、ロンドンはドバイにとっての軽井沢みたいな場所である。
ドバイやアブダビの王族は、たいてい英国で教育を受けている。UAEでも、教育にそこそこ力を入れているようだが、教育水準はまだ低い。最近、亡くなったオマーンのカブース国王も、イギリスに留学し、イギリス軍にいた過去をもつ。
夏になると、ロイヤル・ファミリーたちが、ロンドンで休暇といったニュースも流れてくる。ドバイの王族がロンドンの地下鉄に乗って、市民アピールをすることもあった。ちなみにドバイ首長の妻、ハヤ王妃が逃げ込んだのもロンドンである。
次々と逃げ出そうとする王女たち、人権問題に注目集まる UAE
ドバイ人口の大半を占めるのは、インド人とパキスタン人である。インドやパキスタンもまた、かつてのイギリスの植民地であった。
・・・・
結局、イギリスかよ!
こうして見ると、イギリスの影響力というのが、いかに大きいかということがよくわかる。