登山経験ゼロの人間がアフリカ大陸最高峰キリマンジャロに挑む

ソマリアマラソンが終わった後、何をしよう。ソマリアへ行くチケットは取ったものの、ソマリア以降はノープランである。

ソマリアに滞在するのはツアーで決められた3日だけなので、ソマリアに到着してから次の国を決めるということはできない。もちろん滞在の延長も無理だ。ソマリアに延長滞在なんかしようものなら、護衛の人件費などで1ヶ月もすれば破産してしまう。

旅の贅沢な悩み

思った以上に旅というのは大変である。地に足をつけている目の前の国と向かいあいながらも、一方では次にどこへ行って何をしようという予定を立てなければいけないのである。

単発の旅ならこれが一度で終わるが、長期の旅では、これが延々と続くのである。心情としては、回し車のネズミである。期限もゴールも決めていない旅では、毎日が決断の連続である。

今までの日常生活であれば、とりあえず週に5日決まった時間に会社へ行くと、自動的に週末が訪れた。週末が終われば再び会社へいく日々である。会社を辞めるといった大きなアクションを起こさない限りは、これが延々と続くのである。

そして時々、有給をとって好きな場所へ行き、「リフレッシュしたあ!また仕事か〜」などと言いながら、日常に戻るのである。

しかし、無職となった今では毎日が日曜日みたいなもんである。やりたいことを存分にやれる時間があり、好きなことをするためのわずかな資金もある。

より多くの自由を手に入れると、当たり前だがより多くの決定権を自らが握ることになる。朝何時に起きて、どういう1日を過ごすか。どこへ行き、何を食べ、何をみて、何を思うか。すべてが自分次第で決まるのである。それは時に楽しいが、時に憂鬱になることもある。贅沢な悩みだ。

ソマリアから出国する日には、モガディシュからケニア、トルコ、エチオピアへのフライトがある。エチオピアはすでに行ったし、トルコは遠すぎる。消去法によりここはケニアとなるはずだった。

もともと、東アフリカ一帯に広がるスワヒリ海岸を見て回る、というのを予定に入れていた。

スワヒリ海岸というのは、ソマリアのモガディシュからケニア、タンザニア、そしてモザンビークに伸びる海岸沿い一帯のことで、かつては多くのアラブやインド商人たちが行き交った場所でもある。海岸の住民たちはイスラーム教徒が多く、アフリカでありながらアラブやイスラームの影響を強く受けた街並みが、今も残っているという。

スワヒリ海岸を代表する港町であるモンバサやマリンディがあるケニアに行くことは、真っ当な選択肢のように思える。しかし、どこかで今までのように、イスラームやアラブといったテーマを追うことに飽きている自分もいた。

ちょっとテイストの違うことがしたい。しかし、何も思いつかないので、とりあえずケニアをグーグルマップで眺めてみる。ケニアを南下するとタンザニアがある。そういえば、タンザニアにはキリマンジャロがあるではないか。

そや。キリマンジャロに登ってみよ。

こうして2週間後にキリマンジャロ登山をすべく、ケニアをスルーし、タンザニアへ向かうことが決定した。ランニングに引き続き、やったことがない未知の世界第2弾である。

しかし、思いつきでキリマンジャロ登山を決めたので、この時点で私のキリマンジャロに対する知識は、キリマンジャロコーヒーのみであった。キリマンジャロがアフリカ大陸最高峰だという事実は、後になって知るのである。

感動しないキリマンジャロ登山物語

思いつきの登山で経験がないとはいえ、少なからず勝算はあった。その頃の私はハーフマラソンを走れるだけの体力があったのである。

フルマラソンを走る本格的なランナーからすればなんてことないのだが、ドラゴンボールの悟空が新たなパワーを手に入れた時のように、私はハーフマラソンを走れる自分のボディに我ながら感心していた。

同じボディなのに、ボディの価値がちょっと上がったようにすら感じる。とはいえ、私は熱心なランナーではなく、ろくに筋トレやストレッチもしていないので、あからさまに体つきがよくなったというわけでもない。

登山をしたことはないが、とりあえずこのボディで挑めばなんとかなるんじゃないか、という見立てである。それに、せっかくハーフまで走れるようになったのだ。この体力を活用しなければもったいない。すべてはもったいない精神である。

私がこれから書く登山の記録には、感動シーンや山の美しい風景を楽しんでいる様子、といったものは出てこない。

むしろ、登山経験ゼロの人間が、どんな不安と期待を抱え、どんなことを考えながら山に登ったのか、という内面的な部分について書いている。

というのも、登山中は体は絶え間なく動いて忙しいのだが、頭だけはヒマだったのだ。これはマラソンも同じである。山の中では当然ネットも使えない。頭をそれほど使うこともない。よって、脳はひたすらぼうっとしたり、何か物思いにふけるのである。

登山は登る人の数だけ物語があると思う。

大陸最高峰への登山なんていうと、ロマンや感動がつまった挑戦ストーリーを思い浮かべるかもしれないが、少なくとも私の中ではそうでもなかった。おそらく私は大半の人が持ち合わせているであろう感性が欠落しているのだと思う。絶景だとか、最高のシチュエーションでみる日の出だとかを見ても、さして何も思わない人間なのである。

登山前は、テレビで見るようなドラマティックな物語を思い浮かべていたのだが、やはりテレビの演出とリアルはやはり違う。

そんなわけで、私のキリマンジャロ登山物語には、印象派絵画のような美しさもロマンもない。むしろリアリズム絵画のごとく淡々とした記録である。

キリマンジャロ山麓の町へ

ソマリアでマラソン大会を終えた私は、ケニアのナイロビでトランジットをして、キリマンジャロ山麓の町モシにやってきた。タンザニアというアフリカでも有数の観光地ゆえだろうか。空港や町にいる欧米人観光客の数にビビる。

タンザニアでは入国の際に、黄熱病の予防接種証明であるイエローカードの提示が必要と聞いていた。これを知ったのが、タンザニア入国12日前のことである。さらに追い討ちをかけたのが、黄熱病の予防接種は、接種して10日後から有効になるという事実であった。

やべえ。イエローカード持ってねい。

ちょうどその時、ソマリランドからドバイへ逃亡する頃だったので、なんとかドバイで予防接種を打ってもらいことなきをえた。これが、ちょうどタンザニア入国の10日前のことである。

モシの空港で、イエローカードを空港係員に提示する。しかし、当時はコロナウイルスの影響ゆえに、イエローカードはまったくのノールックであった。

残念無念。結構、苦労して手に入れたのに。

ちなみに日本のような黄熱病にかかる可能性が低い国から行く場合は、イエローカードは必要ない。

モシの町は、田舎すぎず都会過ぎず、ちょうどいい規模感の町であった。私が何より驚いたのはモシに住む人民たちである。町のメイン通りを歩くと、やたらとショップ店員や路上の人々が、「マンボ」だの「ジャンボ」だのとのたまうのである。

ひえっ!?

真顔で可愛らしい言葉を発してくる人民におののいた。同じアフリカなのに、ソマリアの殺伐とした感じとは、雲泥の差である。

「ジャンボ」というのが、現地のスワヒリ語で「チャス!」という挨拶を意味することぐらいは察しがついた。基本的に異国に来れば、なるべく現地の言葉を話すのが私のポリシーである。しかし、この「ジャンボ!」を発するのは、ちょっとためらいがあった。

ジャンボといえばプロゴルファーのジャンボ尾崎である。ジャンボ!と挨拶するなんて、ジャンボ尾崎の信者みたいではないか。

そんなわけで頭では分かっていても、つまらぬプライドが邪魔をして、「ジャンボ!」と挨拶できるようになるまでには、少し時間がかかってしまった。

モシの町
モシの町

ホテルの受付スタッフもやたらと愛想が良い。これもモシという町ゆえだと思っていたが、泊まっているホテルのグレードがそこそこ高かったせいかもしれない。

ホテルは、事前に予約したキリマンジャロ登山パッケージに含まれており、あとで調べてみたら1泊なんと75ドルもした。1日3,000円ぐらいをホテル代の予算としていた私にとっては、かなりの予算オーバーである。

それに登山ツアー会社をかませているので、絶対に手数料が上乗せされているはずだ。自分としたことが・・・と思ったが、とりあえずキリマンジャロに登れれば何でも良いので、このことは忘れることにしよう。登山前に精神を動揺させてもよろしくない。

それでも、ちゃんとしたホテルはやっぱり居心地がいい。ホテルにはプールがあり、登山客であろう欧米人たちがプールサイドで本を読みながら日光浴をしていた。

モシのホテル
モシのホテル。ドバイ、サウジアラビア、ソマリアとそれまで砂漠地帯がメインだったので、”本物”の緑が嬉しい。

これからどうせ、過酷な日々が訪れるのだ。今のうちにのんびりしておこう。ソマリアでの緊張をとき、モシでゆったりとした時間を堪能するのであった。

20代後半から海外で生活。ドバイで5年暮らした後、イスラーム圏を2年に渡り旅する。その後マレーシアで生活。大学では社会科学を専攻。イスラエル・パレスチナの大学に留学し、ジャーナリズム、国際政治を学ぶ。読売新聞ニューヨーク支局でインターンを行った後、10年以上に渡りWPPやHavasなどの外資系広告代理店を通じて、マーケティング業界に携わる。

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