キリマンジャロ登山後のアフリカ飲み会がヤバすぎた|キリマンジャロ登山(6)

全員が無事に登頂できたということで、我々の間には安堵感がただよっていた。

後は下山するだけだ。もう、登頂できるか否かという心配をする必要もない。もうすぐでシャワーを浴びて、ふかふかのベッドでことができるのだ。
ナスリンとシッダルタは、「早くシャワーを浴びたい」とぼやいていた。

一方で私は日頃からなるべくシャワーを浴びない訓練という名の、怠惰な性質を持っているので、その辺はまったく平気であった。むしろ、これで誰にも気兼ねなく自由にトイレができる、ということが下山の喜びにつながった。

喜劇と悲劇の朝

登頂の翌朝。隣のテントから、シッダルタの嬉々とした声が聞こえた。その理由が朝食時に明らかになる。朝食のため、食事処テントに入ると、ナスリンの顔が真っ赤に膨れ上がっていた。

リアルアンパンマンである。

もちろん、口には出さない。

ナスリンは今にも泣き出しそうだった。顔全体がヒリヒリして痛いらしい。聞けば、頂上へ行く際に顔にまったく日焼け止めを塗っていなかったのだという。

うそやん?

5,000メートル以上の高地へ行くのに、日焼け止めを忘れるとは。

私がいうのも何だが、ナスリンは明らかにドジっ子であった。

数年来の夢だというキリマンジャロに来たのに、登山3日目でスマホをぶっ壊して写真がとれなかったり、ひいひい言いながらステラポイントまで登っている最中に、100メートルほど離れた場所ですでに下山している登山客に大声で呼びかけたりしていたのである。

何事かと思いきや、数日前にちょっと会話した登山客だという。ただでさえ、酸素が薄い上に、まだ頂上付近まで距離がある。さすがの私も心の中で「バカっ!」と思わずにはいられなかった。

さらに、下山後に我々3人はキリマンジャロビールでお祝いするのだが、ナスリン1人だけビール瓶を落として、ガラスの破片がビールと共にあたりに飛び散るのである。絵に描いたようなドジっ子である。

もはや何かに取り憑かれているような気がしてならない。哀れ、ナスリンである。

シッダルタもナスリンの隣で、「俺も焼けてもうたわ〜」とぼやいている。肌の色というのは、センスティブな問題なので、私は恐る恐るたずねた。

「インド人も日焼けするの?」

「当たり前やがな。俺の肌はブラウンやで」

そうか、インド人の肌は茶色なのか。てっきりアフリカンと同じブラックかと思いきやである。一方でタンザニア人のチョンガやヴィクターたちは、まったく焼けないので、日焼け止めいらずだという。

予想外の提案

天災は忘れた頃にやってくるというが、ここキリマンジャロで忘れた頃にやってくるのが、チップの債務である。

全員が登頂したという安堵感と達成感に包まれる中、ガイドのチョンガによりチップのリマインダーが行われた。絶妙なタイミングである。

チョンガから手渡されたのは、茶封筒1枚。そこには同行したポーターの人数と、それぞれの役職が書かれていた。

封筒には英語でこんな風に書かれていた。

ガイド 2人
料理人 1人
ウェイター 1人
登頂ポーター 1人
トイレポーター 1人
ポーター  7人

ひえっ?

事前に聞いていたのは、ガイド、料理人、ポーターという役職のみだ。ポーターは全員一律で同じ料金かと思っていたが、登頂ポーターやトイレポーターは別途料金という雰囲気ではないか。

我々は、どのようにチップを割り振るかで頭を悩ませた。人様の給料を決めるのだ。役員会議並みに我々は真剣に挑まねばならない。

登頂へのルートに関しては全員一致であったが、チップでははっきりとお互いのポリシーが浮き彫りになった。やけにお金にシビアなシッダルタは、「本来は会社がちゃんと報酬をポーターたちに、支払うべきや。こちとら決まった額以上は払わんで」というのである。ナスリンも同じくであった。

前もって言われた相場で計算すると、5日間で合計800ドル。1人当たり267ドルとなる。ナスリンとシッダルタがチップとして用意したのは合計400ドルだった。私の持ち金は270ドルであった。

あかん・・・どう見ても足りない。ということで、私は彼らのポリシーを尊重し、足りない部分をATMで下ろしてこっそりまかなうことにした。

彼らの意見も分かる。けれども、江戸時代の農民でもやらないような過酷な使役をこなし、ディズニーランドのようなキャストぶりのおもてなしを見せつける、彼らを目の当たりにしたあとでは、チップをケチるということなんぞできない。

というか、恵まれた国に生まれた人間としては、当たり前の義務であるような気すらする。日本では貧困は自己責任と言われるが、世界の人々を見ていると、金持ちになるか貧者になるかは、もはや運である。

ソマリアのモガディシュ空港で入国審査を待っていた時のこと。ソマリランドからやってきた人々の手に握られていたのは、パスポートではなく、緊急に発行された旅券書類だった。

多くの国に自由に行ける日本パスポートを持つ私と、彼らをへだつものは何なのか。運以外に答えは見当たらなかった。運で豊かな国、時代に生まれ、たまたま世界を旅行できるだけの資金力を持ってしまった。

だからこそ、自分が持っているお金を自分だけのものと考えることはできない。

我々はチップ会議を無事に済ませ、これでチップの債務のことは忘れて、最後のキャンプ生活の余韻に浸るはずだった。

が!

「ねえ、今日一気に下山しない?」というナスリンとシッダルタからの提案により、下山が1日早まったのである。本来ならば2日かけて下山するところを、チップ代を浮かせるために1日で済ませたいという。

こうして我々は一気に山を下った。私はどうも下りが苦手らしい。登る時はペースが一番早かったのだが、下山ではあれだけ辛そうにしていたナスリンやシッダルタが、さっさと山を降りていくではないか。まさか下山で置いてけぼりを食らうとは。

そんなことってある・・・?

チョンガに専門的な意見を求めたが、返ってきたのは「足の長さじゃね?」という客観的な事実のみであった。

はっきり言おう。キリマンジャロ登山においてもっとも辛かったのは、下山であると。本来ならば2日かけて下るところを1日に凝縮したせいかもしれない。

足はもう限界だった。両足の親指は毒ヘビとサソリに噛まれたようにずっとジンジンしている。両膝はプチ核爆発を起こしたような痛みを食らっている。こんなことならもう1回登頂した方がマシだった、とさえ思う。

キリマンジャロ下山
あと1時間ぐらいで着くと言われてから、すでに2時間ぐらい経過した時の精神的苦痛と言ったら・・・

キリマンジャロビール
下山後のキリマンジャロビール。これまたポーターが下山直後に持ってきた。

下山後、事務所で証明書発行の手続きを済まし、我々は地上に舞い戻った。1週間に70人以上の人と話すという、社交性の塊であるシッダルタは、下山した直後からずっと電話をしたりスマホをいじっている。

すでに我々は山という非現実から、各々の生活へと戻り始めていた。オフィスに戻る前、シッダルタがどうしてもタンザナイトを見たいというので、我々はお土産へと向かった。

タンザナイトというのは、ダイアモンドよりも1,000倍貴重と呼ばれるタンザニアの鉱山でしか取れない宝石である。サファイアよりもずっと濃い群青色をしている。

シッダルタは興味があると言った割には、タンザナイトを見てもそれほど熱心には見えなかった。

オフィスへ戻り、レンタルした道具をすべて返却する。ここでチップの授与が行われた。大金が入った茶封筒を代表してチョンガに渡す。我々は役職の横に、それぞれのチップの金額を書き加えておいた。

あとは裏でこっそりみんなで分ける方式かと思いきや、「チップ代として800ドルいただきました〜」とチョンガが全員の前で発表し始めるではないか。

ひえっ!?ホストクラブか!?

チョンガは茶封筒に入っていた現金を全て取り出し、我々がいる前で一人一人に支給していく。我々はそれを側で見守った。何だこの儀式は?けれども、その儀式は自分のお金が、ポーターたちの手にしっかりと渡っていくという感覚を与えた。

アフリカの飲み会

我々のキリマンジャロ登山は、これだけでは終わらなかった。

キリマンジャロから下山したその夜。午後8時。我々がいたのはホテルのベッドではなく、ライブミュージックで盛り上がる地元のレストランであった。

私がこっそりと多めにチップを入れていたのあざとく見つけたシッダルタが、見栄を張りこんなことを言い出したのである。

「そや、この後みんなでご飯行こや。全部俺のおごりやで」

膝が核爆発するほどの痛みに耐えて、1日で一気に下山したのだ。正直、そんな元気なんてねえわと思ったが、誘ってもらった手前、行かないわけには行かない。

そんなわけで、我々3人はボロボロになった体を引きずり、ジモティーオススメの地元レストランに行き、総勢15名で食事をすることにしたのである。観光客が多いモシだが、ここにいるのは皆タンザニア人ばかりだった。

正直、早く返って休みたい。シッダルタ、ナスリン、私の外国人3名の思いは、こんな感じだろう。

シッダルタに関しては、自分から言い出したのに、レストランに来てからというものだんまりを決め込んでいる。登山中あれだけしゃべくりまくっていたパリピ男でさえ、こうなってしまうのだ。キリマンジャロ登山後の飲み会が、いかに過酷なものかお分かりいただけるだろう。

しんどいのは、ポーターたちも同じなはず。彼らだって早く家に返って休みたいに違いない・・・

そう思って彼らを見やると、めちゃくちゃ盛り上がっているではないか。シッダルタのおごりだということもあってか、皆やたらと食べまくるし、飲みまくっているのである。

さらに、レストランのバー横にあるステージでは、ライブパフォーマンスが行われていた。ガリガリのバンドマンの音楽に合わせ、ダイナミックボディな女性ダンサー3人組が踊っている。

しかし、ここはアフリカ。ただのダンスではなかった。

セクシーすぎるので詳細の描写は控えるが、見た目としては脱がないストリップクラブである。ダイナミックなボディを駆使した、艶かしいダンス。人間の臀部があんなに高速で振動するとは。まさしく人体の不思議。

中でもダンスがうまく、激しい動きをするお姉ちゃんは、片チチがポロリしていた。そして誰にもそれについて触れない。

けれども、バックで流れる陽気なアフリカンサウンドが、ダンスのエロさをかき消していく。どんなにセクシーな格好をしようとも、陽気なアフリカンサウンドが流れてしまえば18禁から、ファミリーで楽しめるパフォーマンスへと変化してしまうらしい。

あんなに激しい上に、艶めかしく動く物体を見たことがあるだろうか。

否。

これがアフリカ・・・

時刻はすでに午後10時になっていた。ウェイトレスがラストオーダーを取りに来た。外国人3名は完全にお開きモードになっていたが、ポーターたちはまだイケるぜえ!と、名残惜しそうに最後のドリンクをオーダーする。ドリンクと言ってもここではグラスではなく、ボトルで丸ごと提供されるスタイルである。

運ばれてきたのは、アルコール度数35度の地元酒やワイン、中には牛乳パックサイズのアフリカンフルーティ(アフリカ版トロピカーナみたいなやつ)であった。酒の場でもあるのに、アフリカンフルーティを嬉しそうに両脇で抱えていたポーターの顔を忘れることはできない。

お金を渡すよりも、こうやってみんなで飯や酒を飲み楽しむ方が、彼らにとっても良いのかもしれない。予想外の提案をしたシッダルタに感謝である。

こうしてキリマンジャロ登山の慰安会は、和やかに終了するはずだった。しかし、ここでもまたハプニングが発生するのである。

15名が飲み食いした結果のお会計。

なんと368,000シリング(約160ドル)!

カードで支払おうとしたシッダルタであったが、カードが使えないことが判明。そして誰もそんな現金を持ち合わせていなかった。「どうやって払う?」。我々の間に不穏な空気が漂った。

「とりあえず、ATMでお金をおろして、またレストランに戻ってくるしかねえな」

こうしてアフリカの飲み会は、外国人3名が先に離脱する(というか金をおろしにATMに向かう)という形で終わりを迎えた。大半のポーターたちは、まだ楽しむ!とレストランに残っていた。

我々よりもハイペースで下山し、深夜まで飲み食いする体力があるとは。

こいつら、どんなけ元気なんや・・・

彼らがもつ底なしの体力におののいた。これが本当のアフリカの脅威である。

ホテルに到着したのは、午後11時。こうして6日間のキリマンジャロ登山が終わりを告げた。

20代後半から海外で生活。ドバイで5年暮らした後、イスラーム圏を2年に渡り旅する。その後マレーシアで生活。大学では社会科学を専攻。イスラエル・パレスチナの大学に留学し、ジャーナリズム、国際政治を学ぶ。読売新聞ニューヨーク支局でインターンを行った後、10年以上に渡りWPPやHavasなどの外資系広告代理店を通じて、マーケティング業界に携わる。

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