登頂したら本当に人は感動するのか?アフリカ大陸最高峰で思う|キリマンジャロ登山(5)

私はあまのじゃく体質で、みんながやっていることや、みんながいいねというものは、できればやりたくないと思っている。

パンケーキが流行った時も、「あんなもんモサモサして、ホットケーキと同じやん」と決してパンケーキに心を許すことはなかった。タピオカが流行った時も、「あんなもん、昔から中華街にあるやないか」と言って、決してタピオカになびくことはなかった。

みんな違う人間なのに、同じことをして同じような人生を送って何の意味があるのだ、という己のポリシーゆえである。

ご来光を拝まない

山頂でご来光を拝むというのもその1つだった。山頂でご来光だなんて、みんながよくやるやつじゃん?朝日なんて毎日あがっているんだから、見たけりゃ早起きすればいいじゃないか、というロマンもクソもないひねくれた考えをしていた。

通常、多くの登山客は日の出に合わせて、頂上を目指す。前日の午後11時ぐらいに起きて、深夜の山をひたすら歩くのである。聞いただけでも、これはしんどい。

なにせ頂上付近は日中でも氷点下近くになる。深夜はさらに気温が下がる上に、真っ暗で足元も見えない。おまけに眠い。吹雪になることもあるという。

しかし、山頂の日の出に意義を見出す人にとっては、”報われる苦労”なのだろう。むしろ日の出を美しく見るために、そうした苦労は欠かせない。

私はなるべく確実に、そして楽に頂上へ行きたいと思っていた。ガイドのヴィクターから、深夜に歩かなくても日中に山頂を目指すこともできるぜ☆という情報を仕入れたので、早々に日の出を手放したのである。

深夜に歩くよりも、こちらの方がぐっと登頂率も高くなる。それに、山の天気は変わりやすい。日の出が見れるかどうかも分からないのだ。

一方で、自然を愛するネイチャーピーポーなナスリンとシッダルタにとって、この日の出を見ることは一大事であった。日の出を見ない山頂など、凱旋門を見ないパリ観光みたいなものらしい。

山頂へ向かう前日。「どうやって頂上に向かう?」という旨の会議が、我々3人の間で交わされた。すでにそれとなく、彼らが日の出派だということは、今までの会話からうかがえた。

しかし、私は協調性がない人間なので、昼間のコースで山頂に向かうぜ☆という己の意思だけを告げた。

その後、「深夜に山を歩くって大変だしさあ、日の出が見れない可能性もあるんよ」などともっともらしい理由づけをすると、彼らも納得したようで、結局は日の出を拝まないコースで登ることに全員が同意した。

さらにいえば、今までのナスリンの様子やペースをみるからに、美しい日の出のために過酷な時間帯に登るよりも、楽で確実な方が、3人が一緒に登頂できる確率は高いと思ったのである。グループ登山はこのようにして、グループにおける最優先事項、そしてメンバーの体調を鑑みることも必要なのだ。

3人で一緒に登頂を目指すはずが・・・

これで睡眠を削らなくて済むし、早起きしなくて済むぜ、と思っていたが甘かった。昼間のコースでも、午前4時半には出発せなあかんというのである。

なんだYo

食後のあとは毎晩、パルスオキシメータと呼ばれるアイテムで、心拍数と血液に含まれている酸素の度合いを示す動脈血酸素飽和度をチェックする。ダイアモックスのおかげか、食欲や体調は初日から変わらずであった。

パルスオキシメータ
パルスオキシメータで計測した数値を毎晩紙に書き込んでいく

頂上へ行く日。我々がバラフキャンプを出発したのは、まだ辺りが真っ暗な時間帯であった。朝ごはんと称して出てきた、ポップコーンを無理やり口に入れ込む。

このキャンプ地へ戻ってくるまでランチ休憩はない(弁当箱を持ってきているグループもいた)ので、チョコやマフィン、ジュースといった行動食を支給してもらう。これから10時間近くぶっ通しで歩くことになる。行動食は、足りないことはなかったが、もう少し持ってきてもよかったと思う。

今まで一緒にやってきたポーターたちともここで一時的に別れを告げる。登頂を目指すのは、ガイド2名、そして登頂専門のポーター1人、そして我々3人である。

ここから標高5,756m地点のステラポイントまでは予定では6時間ほど。そこから頂上のウフルピークまでは、1時間ほどである。夜明け前ということもあって、外はひどく寒い。捨てられたのか、落ちたのかはわからないが、地面にはゴミとなったカイロがあちこちにあった。

登り始めて30分ももしないうちに、3人の列が早くも崩れ出した。今まで「高山病の症状なんか全然出てないもんね♪」などと軽々登っていたシッダルタが、ここにきて急に歩けないと言い出したのだ。

うそやん?

まだ登り始めて間もないのに?

今までは、ナスリンが遅れがちだった。高山病(特に吐き気)がひどいらしく、3日目以降は、私とシッダルタが先行して、後から無理しないペースで歩きナスリンがやってくるという態勢をとっていた。

これだから山というのは恐ろしい。あんだけ元気だった人間が、何度も岩場に腰をおろし、歩みがカメのようにノロくなるのである。

3人で登頂というすぐそこに迫った未来が、すでに不確定なものになり始めた。こうしてナスリンと私が一緒になって先を行き、後からだいぶ遅れてシッダルタが追うという形になった。

のちにこの時の様子をシッダルタに尋ねると、「寒いと思って洋服を着込んだら、めっちゃ暑かったんや。そのせいで体が動かんなってもうて。必死に大学時代のセクシーな韓国人教授のことを考えたけど、アカンかったわ」

こちらとしては、「へーそうなの」というより他ない。

キリマンジャロのご来光
ステラポイントまであと2時間ほどの場所で、ご来光タイムがやってきた。その美しさに、頂上でご来光を拝むことの意味がようやく理解できた。

標高5,756mのステラポイントに、予定の6時間よりだいぶ遅れて到着した。キャンプ地を出発して、7時間半後のことである。そこから、キリマンジャロの頂上ウフルピークを目指す。登頂が危ぶまれたシッダルタも20分ほど遅れて、ステラポイントで無事に合流できた。

キリマンジャロ山_ステラポイント
ステラポイントからの眺め

ウフルピークまでの道のり
雲の上に立てるという、仙人気分を味わえるのもキリマンジャロ登山の特徴

ウフルピークまでは距離にすれば1時間ちょっとの場所なのだが、登頂者の1割ほどはここで断念するらしい。

頂上で奇人グループに遭遇

キリマンジャロ山頂付近には氷河が残っており、ヘミングウェイの小説「キリマンジャロの雪」というタイトルの題材にもなっている。ステラポイントからウフルピークまでは、10cmぐらいの雪がつもり、一面雪に覆われていた。

まるでエベレストにいるような気分になる。雪山=エベレストというお気楽なにわか登山者なので、キリマンジャロに登りながらエベレストにいる気分が味わえてお得じゃ!などと考えながら登る。

慣れない雪山を歩くので、体力がかなり奪われる。疲労がピークを迎え、あと20メートルでウフルピークにたどりつくという時。

なんだあれは?

頂上ではありえない珍風景が広がっていた。

4人ほどの野郎たちが、上半身裸で記念撮影をしているのである。初めは幻かと思った。なにせ頂上付近は、太陽がカンカンに照っている昼間とはいえ気温は氷点下。こちとら、ニットの帽子をかぶり、ズボンを2枚、アウター3枚を着込んでいる。

パリピだ。

直感的にそう思った。この珍風景をはげみにラストスパートをかける。我々が頂上付近ですれ違った時には、4人組はすでに洋服を着込んで「もう少しだかんな。ガンバやで!」などと、登頂者風を吹かせていた。

というわけで、頂上についた。

標高5,895メートル。アフリカ大陸最高峰の頂点である。

登頂したぐらいで感動するものかい、と思ったがちょっとだけ涙ぐんだ。今までの登山が走馬灯のようにハイライトで蘇る。一歩一歩の積み重ねが、この頂上だと思うと感慨深い。

一方で、観光客の感動シーンに付き合うため、100回以上登頂してきたベテランガイドのチョンガ、のろのろとした歩みに嫌な顔一つせず、最後まで励ましの言葉をかけ続けてくれたヴィクター、そして登山客の荷物を運ぶという使命をになった登頂専門ポーターには頭が上がらない。

この人ら、すごすぎる。彼らの経験に比べれば、私が1度登頂したことなんてそれがどうした?というレベルである。頂上から地上の人々にお伝えしたいのは、とにかく彼らの凄まじさである。

キリマンジャロ登頂_ウフルピーク
本当にすごいのはこの人です。著者(左)とガイドのヴィクター(右)。キリマンジャロ山の頂点、ウフルピークにて。

登山は自分のペースで進めれば、ずいぶん楽なものである。一方で、他人のペースに合わせるのは、めちゃくちゃしんどい。

特にペースが遅い場合は、より長い時間がかかるので、体力の消耗も激しい。バラフキャンプ地から登頂までは、ナスリンのペースに合わせて歩いていたので、それをより強く感じた。

おそらく私一人であれば、もっと早く登れていた。歩みをゆるめながら登ることによる体力の消耗が、逆にあせりと苛立ちに変わっていくのが分かった。

グループ登山は、みんなで登る楽しさもあるが、ペースがバラバラだとしんどいこともある。

頂上でいつまでも感動の余韻に浸っている暇はなく、我々は10分ほどで立ち退きを強いられた。次にやってくる登山者に記念撮影スポットをゆずるという意味もあったが、長時間いると酸素が少ないので体によろしくないのだという。

何十時間もかけて登ったのに、頂上で感動を味わうのはたったの10分。効率を追求する資本主義社会においては真っ先に排除されそうなアクティビティである。けれども、こうしたアクティビティを嗜むのも、そうした資本主義社会に生きる人間である。

登頂おめでとう

大半の人は、頂上までの道のりが一番辛いという。人間が通常活動しない深夜という時間帯に登る上に、今まではなだらかな道なりだったのが、いきなり40度ぐらいの急斜面の岩山になり、一気に頂上感が増していく。

テレビやYouTubeの動画なんかで見ると、クライマックスシーンとして映し出されている。登頂を終えた人の中には、人生で一番辛い日だった!という人もいる。

太陽が出ている時間に登ったせいかもしれないが、私にとっては頂上までの道のりはそれほど過酷ではなかったし、辛いものではなかった。

むしろ私にとって辛かったのは下山であった。足がゴツゴツとした岩山の地面につくたびに、足(特に膝)への衝撃がハンパないのだ。まさしく拷問である。

ステラポイントから下山し、バラフキャンプまであと2時間ほどになった頃。再び私は幻のような信じがたい光景を目にする。

岩山に5人ほどの人がいると思いきや、それはキャンプ地で待機しているはずのポーターたちであった。

おまいら・・・!

わざわざ迎えに来てくれんでもええのに。ポーター達は「登頂おめでとう!」などとディズニーランドのキャストのごとく笑顔で迎えてくれる。

うわあ・・・

お腹が減っているだろうと我々の弁当を持参してくれた上に、荷物まで代わりに持ってくれるというではないか。たった5キロ程度の登山リュックを持ってもらうのは気が引けたが、登頂後のボロボロの体にはありがたい。荷物をポーターに手渡すと、体がずいぶんと軽く感じる。

至れり尽くせりなのはありがたいが、こうしたありがたみを感じる度に、自分で山に登っているという感覚が薄まることも事実であった。

岩山で、休憩がてら遅めのランチをパクついていると、どこからかタバコの匂いがする。

「え?誰かタバコ吸っとるん?」

「チョンガや。チョンガは登山中、ずっとタバコ吸ってたで」とシッダルタがいう。

タバコを吸っていると登山に差し支えがあると思い、私はソマリアマラソンの前から禁煙をしていた。と言っても1週間程である。それまでは1日約1箱ぐらい吸っていたので、効果のほどは分からないが、とりあえずやめていたのである。一方のシッダルタは1ヶ月前から禁煙していたらしい。

チョンガの場合はさあ、何回も登ってるから低酸素状態に慣れてるし、むしろタバコを吸うことでいいトレーニングになるんだよ、とシッダルタは謎の理論を展開してきた。

一瞬、禁煙したことを後悔しそうになったのだが、すでに高山地帯に慣れている人間だけに許された行為なのだ、と思うと納得できた。キリマンジャロ山には思った以上に、タバコの吸い殻が落ちていたので、タバコを吸う人は意外といるのかもしれない。

キャンプ地に戻ると、ポーターたちが全員集合し、これまた盛大に「登頂おめでとう!」と拍手つきで迎えてくれる。『新世紀エヴァンゲリオン』の最終回(知らない人は”おめでとう エヴァ”で検索)みたいだ。

さらには、ポーターの1人がキャンプ用のイスまで持ち出してきて、「ここに座って休みんさい」という。ありがたくイスに座ると、今度は別のポーターがやってきて、私の登山靴のひもを解こうとする。扱いがベテラン女優並みである。

流石にひもを解いてもらうのは気が引けたので、「それはやめてくだせえ」と丁重にお断りした。

感動のキリマンジャロ登山は、こうした素晴らしいタンザニア人キャストたちなくしてはありえなかった。

キリマンジャロポーター
キリマンジャロのキャストたち。全力で登山客をサポートする人々。彼らは単に荷物を運ぶポーターではなくサポーターだ。

20代後半から海外で生活。ドバイで5年暮らした後、イスラーム圏を2年に渡り旅する。その後マレーシアで生活。大学では社会科学を専攻。イスラエル・パレスチナの大学に留学し、ジャーナリズム、国際政治を学ぶ。読売新聞ニューヨーク支局でインターンを行った後、10年以上に渡りWPPやHavasなどの外資系広告代理店を通じて、マーケティング業界に携わる。

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