ここ数年のうちにようやく女性が運転できるようになったり、サッカー試合を観戦できるようになったサウジアラビア。
「やるじゃん!サウジ」と言わんばかりに、急速な改革を歓迎する人もいる(特に欧米)。けれども、冷静に考えてみれば、ほとんどの国では当たり前のことなのだ。
それを今さら、ドヤ顔で改革と言われても・・・という感じである。
それなりの”改革”を経て、変わってきたサウジとはいえども、やはりその名残はまだ残る。制度やルールが変わったとしても、人々の習慣や意識はすぐには変わらない。サウジを歩いていて、そんなことを感じた。
男女分離壁
イスラーム教において、見知らぬ男女がみだりに交わることは、社会の風紀を乱すため、よろしくないこととされている。
「通勤電車で毎日見かけるあの人に恋しちゃった・・・」だとか、「いつも行くレストランの常連客の人がいい感じ♪」と言った日本ではありがちなシチュエーションだが、イスラームの社会からすれば、こういう状況を排除したいのである。
よってイスラーム圏の学校や礼拝をするモスクでは、男女でスペースがはっきりと分かれているし、公共の乗り物やレストランでも、男女で席が分かれている。
信仰レベルや国によって、この差はいろいろあるが、サウジの場合はとことんやる。何が何でも男女を交わらせたくないのである。
かつてサウジでは、ショッピングモールのフードコートやカフェなどでは、”男女分離壁”が存在した。同じ注文カウンターでも、男性レーンと女性レーンを作り、その間に仕切りをドンっと置くのである。
サウジのカフェにあった男女分離壁という名の棚。左側が女性レーンで右側が男性レーン。注文を受ける店側も大変だ。
何もそこまでやらんでも・・・とか、そんなん意味ある?とすらツッコみたくなるのだが、クソ真面目なサウジは、とにかく徹底してやりたいのである。
最近になってその壁は、排除されたらしいが、その名残はあちらこちらで見られた。
男性、女性と書かれた目印がぶら下がっている。
グローバル化の象徴でもあるマックにも、左右対称に男女別の注文コーナーがある。
行動単位はいつも家族?
かつてのサウジは、父親や夫の許可なくしては、女性が旅をしたり、その辺を自由に歩き回ることも許されなかった。未婚の男女が一緒に道を歩けば、宗教ポリスにいちゃもんをつけられる、そんな国である。
サウジのレストランでよく見かけたのが、ファミリー席とシングル席である。そもそも入り口が別になっているケースもある。
シングルは、男性のみを指しており、ファミリーは家族もしくは女性のみのことを指す。女性がレストランで食事をする場合は、必ずファミリー席を案内される。
ファミリー専用の入り口があるレストラン
ファミリー席とシングル席は、だいたい別の部屋になっており、お互いが見えないようになっている。
ファミリー席は、4~6人が座れるボックス席になっており、その周りをカーテーンのようなもので仕切られている。芸能人が使うような個室居酒屋のようなものである。
こうすることによって、女性は家族以外の見知らぬ男性から見られずに済む。
個室のような安心感はあり、公共の場にいながらにして自宅のようなまったり感を感じられるという利点がある。
しかし、カーテンに仕切られており、しかもファミリー席はそれほど人がいない。よって、忙しい時間帯になると、店員はシングル席にかかりっきりとなり、忘れ去られることもしばしばである。
保守的なイスラームの社会において、女性が一人で出かけることは、ほぼ想定されていない(一人で歩く現地女性も一応いる)。女性が外出する時、それはいつも家族単位なのである。
ファミリー席とシングル席は、そんなことを言わんとしているような気がした。
運転する女性
2017年9月、サウジでついに女性が車の運転デビューをする日がやってきた。文章としてはおかしくないが、何でこんな文章をわざわざ書かにゃあかんのだ、と思う。
女性が運転できることなど、ほとんどの国では当たり前だからだ。女性には、目と鼻と口がありますというぐらい、他の国では普遍的すぎることである。
いや、そうしたほとんどの国では、当たり前だったことが、この国では当たり前ではなかったのだ。
果たして、運転が解禁になって女性たちは、運転をするようになったのだろうか。
4日ぐらいリヤドに滞在し、500台以上の車を見かけたが、女性が運転していたのは3台ぐらいであった。しかも、そのうちの1台は、ベンツに乗るいかにも富裕層という感じの女性だった。
一方で、運転できるようになったからと言って、それほど生活が変わるわけでもない、という年配のサウジ女性もいた(こういう改革をウェルカムしているのは若い世代な模様)。タクシーに乗ればいいだけだし、旦那やこどもに送ってもらった方が楽というわけである。
サウジ女性運転解禁のその裏で・・・サウジ女子の戦いはまだ終わらない
女性でも食事できますか?
現地で美味しいと評判のとあるレストランに行った。しかし、店に入った瞬間に気まずくなる。店員や客も含め、ざっと50人ほどいるのだが、全員メンズなのである。
げっ
思わず、その辺にいた店員に聞いてしまった。
「ここって、女性も食事できますか?」
考えてみれば、何という質問なのだろう。人生でこれまで生きてきて、こんな質問をしたことなどない。構文的には正しい。けれども、シチュエーション的にはなんか変だ。
結局、そのレストランで食事をすることはできたのだが、待てども待てども女性客がやってくることはなかった。
メンズしかいないレストラン。サウジの吉野家?
そのレストランには、ファミリー席もシングル席もなかった。ゆえに基本的には、メンズ専用ということなのだろう。
おまえの場所はねい!
サウジだけに限らず、保守的なイスラーム圏になると、外で女性を見かけることが少なくなる。日本の明治時代のように、女性はおしとやかに家にいるもの、という観念があるらしい。
サウジで時々思ったのは、そもそも社会が、女性が外にいないという前提の作りになっているのでは、ということだ。
例えば、観光客もよく訪れるリヤドのレストランに行った時のこと。男性のトイレが3つぐらいあるのに対し、女性専用のトイレは1つしかない。しかも、男性トイレの方がゴージャスで清潔感がある。
何コレ・・・?
女性が入れるファミリー席は、よく言えばしっぽりとした雰囲気の個室だが、悪く言えば、席を自由に選ぶ権利がなく、そしてファミリー席は往々にして薄暗いのである。
礼拝所であるモスクであっても、そもそも女性のお祈りセクションはないだとか、女性は家で祈りもんやなどと言われる。女性用のトイレなどもあったが、鍵が閉まっていて使えない状態である。
モスクに行っても、礼拝する場所がない。そんな礼拝難民を見かねてか、「特別に場所を作ってやるから、ここで祈りな」と与えられた場所がこれである。
敷地内の隅っこにスペースを与えられる。空の水ボトルで、とりあえず男女の仕切りを作っている。
何コレいじめ・・・?
別の時には、「ああ、それならこの絨毯で祈りな」と言われ、建物のモスクがあるというのに、地面にしいた小汚い絨毯の上で、一人虚しく礼拝することを余儀なくされたこともあった。
ちょっとぐらい、建物の中に入れてくれたっていいのに・・・と思うのだが、人々は男女スペースを徹底的に分離したいのである。
ドバイのモスクだと、だいたい男女専用の礼拝スペースがちゃんとあったんだがな・・・
もはや、そもそもこんな場所で祈ろうという自分の行動がおかしいのかもしれない、と思い始める。
なぜだろう。いつもと同じように行動しているはずなのに。いく先々で、「何これ・・・?」という状況に遭遇する。
女一人でウロウロしているからと言って、決して人々が攻撃を仕掛けてきたりするわけではない。ただ、他の国では当たり前にできることが、見えない壁によって制限されたり、気まずい思いをするのである。
この違和感こそが欧米がいう、”女性が制限されている状態”だったり”保守的”だったりするのかもしれない。