巡礼しちゃってごめん。メッカ巡礼後記

思わぬ形で、メッカへの小巡礼が叶ってしまったわけだが、同時に後ろめたい気持ちにさいなまれていた。

メッカ巡礼は、ムスリム誰もが行けるものではない。

ムスリムたちが一度は夢見るメッカ

政治的な事情でサウジへの入国が許されない人も入れば、多額の金がかかる巡礼を経済的事情であきらめなければいけない人もいる。

けれども、ムスリムであれば、一度は誰もがメッカへ行くことを夢見るのである。とりわけ大巡礼とも呼ばれるハッジは、イスラム教徒の義務でもある。一方のウムラと呼ばれる小巡礼は、義務ではない。

そう、ムスリムにとっては憧れの地でありながら、それを叶えるのは簡単なことではない。

私よりももっと敬虔で、メッカへ行くべき人はたくさんいるというのに・・・

メッカにいる人々の顔を見ていると、それが痛いぐらいにわかった。みな、このメッカ小巡礼のためにお金をためて、遠い母国からやっとこさやってきたのだ。気合の入りようと、顔に満ち溢れる感慨深さが違う。

そしてそれ以上に、メッカ巡礼を心待ちにする人が、世界中にいるのだ。

メッカという場所で突きつけられたのは、そうしたリアルだった。

行けそうで行けない人々

ドバイに帰った後。ムスリム同僚たちに、ウムラに行ってきたんだよ〜と何気なく報告したつもりだったが、軽々しくいうべきではなかったな、と反省した。

来月にウムラに行くという、エジプト人同僚。私と同じく30歳以下の女性であるが、旅行代理店に問い合わせたところ父親や男兄弟と一緒でなければ、ビザが下りないという。彼女はエジプトから兄を召喚し、サウジへ行くのだという。

さらには、兄弟がサウジアラビアに住んでいるというパキスタン人同僚。男である。経済的にも余裕がありそうだ。兄弟がサウジにいるなら、いつでもメッカに案内してもらえるじゃないか、というと返ってきたのは意外な答え。

いや、案内してもらいたくてもできないんだ。向こうは、ここんところ休みなしで働きづめだから。

ブラック感漂う発言だが、それ以上深くはツッコまないことにした。

さらにはシリア生まれのパレスチナ人同僚。なんでも昨年からサウジ政府により、特定の国に住むパレスチナ難民たちにはビザが発行されないことになったという。

同じムスリムなのに、この仕打ちさ・・・と彼はぼやいた。

聖水を買わなかった罪

しかもメッカに行っておきながら、とんでもない失態を犯してしまったのである。なんとあろうことか。巡礼者の必須土産「ザムザムの水」を買わなかったのである。

これは、ハワイに行ったのに職場にお土産を買ってこなかった、という軽犯罪程度の話ではないのだ。メッカに行ったにもかかわらず、ザムザムの水を買わなかった罪の重さ。それをドバイに帰ってから思い知った。

メッカに行ったのに「ザムザムの水」のお土産ないの・・・?という同僚ムスリムたちの失望した顔が今でも忘れられない。

その時、私はまさしく文化コードをひどく読み間違えていた。

あ、これ文化的にNG出してるな、と。

単なるハワイ土産を買い忘れたというレベルではないのだ。

ある同僚は、祖母にも私がメッカに行ったことを伝えたようで、ザムザムの水がないとわかるとひどくがっかりしたようである。

大事な土産を買わなかったことをこれほど、後悔したことはない。あの時の自分の判断を悔やむばかりである。

巡礼で人は変わるのか

正直にいって、これまではムスリムといってもそんなに熱心な方ではなかった。

てへぺろみたいなムスリムだったが、世界中から集まった真剣な眼差しのパイセンムスリムたちに囲まれ、これまでの姿勢を大きく見直した。やはりパイセンというのは偉大である。

そして、はからずしもメッカ巡礼が実現してしまったという事実。メッカ巡礼が、これほど個人に影響を与えるものだとは思いもよらなかった。

20代後半から海外で生活。ドバイで5年暮らした後、イスラーム圏を2年に渡り旅する。その後マレーシアで生活。大学では社会科学を専攻。イスラエル・パレスチナの大学に留学し、ジャーナリズム、国際政治を学ぶ。読売新聞ニューヨーク支局でインターンを行った後、10年以上に渡りWPPやHavasなどの外資系広告代理店を通じて、マーケティング業界に携わる。

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