異次元空間!イスラーム教の聖地メッカへの巡礼記録

サウジアラビアには、メッカとマディナと呼ばれるイスラームの2大聖地がある。いずれも異教徒が入ることはできない。

とりわけメッカは、世界中のムスリムたちあこがれの聖地である。ムスリムは毎日5回、このメッカに向かってお祈りをする。ゆえにムスリムにとって、メッカは「世界の中心」でもあるのだ。

イスラーム教徒でもハードルが高い、メッカへの道

しかし、いくらイスラーム教徒といえども、メッカに気軽に行くことは簡単ではない。

30歳未満の女性であれば、必ず父親や男兄弟などの男性の同伴が必要になる。結婚していれば、夫と行くことができる。しかし、そんな予定もない独身女にとっては、メッカは夢のまた夢。幻のような存在でもあった。

しかし、それが現実になってしまうのだから人生というのはわからない。

イスラーム教徒がメッカを訪れるのは、日本人が鎌倉の大仏を見物して、「すごいねえ」というがごとく、聖地を見物するためではない。巡礼という確固たる目的のためである。

メッカの巡礼という時、大半の人は「ハッジ」を思い浮かべるだろう。ハッジは、イスラム教徒の義務の1つでもあり、イスラーム暦の特定の月に行われる。しかし、それ以外の月でも、随時世界中からムスリムたちがメッカに訪れる。

それは、「ウムラ」と呼ばれる。「ハッジ」が「大巡礼」なのに対し、「ウムラ」は「小巡礼」といった位置づけである。巡礼の規模にしても、ハッジが5日ほどかかるのに対し、ウムラは数時間で終えることができる。

巡礼はメッカに入る前から始まる

私が今回メッカで行ったのは、小巡礼である。そんなメッカへの小巡礼へ、右も左もわからない新人ムスリムに、同伴してくれたのが、サウジの母である。ドバイのモスクで偶然出会ってから1年ぶりの再会だ。

詳しくはこちらの記事を参照
喜べ!おまえに友達が出来たぞ、と紹介されたのは・・・

アラビア語&コーランの勉強を開始【イスラム教徒はつらいよ】

当日は、サウジの母宅に集合し、一緒にメッカへ出発することになっていた。すでにこの時点で、巡礼は始まっていたらしい。

出発前、サウジの母はしきりに「ウドゥー(体を清めること)した?」と聞く。

イスラム教徒の礼拝前には、必ずこのウドゥーをする。両手足、顔、口、頭を水で洗うのだ。とにかく祈る時は、清潔でなければいけないのである。聖地に入る時も、清潔ボディで臨まなければいけないらしい。

そう、巡礼はメッカにいく前から始まっていたのである。

しかもウムラ前には、「私め!ウムラに行かせていただきます!」と心の中で宣誓しなければならない。

ジェッダからメッカへ向かう、車の途中。サウジの母は、しきりにドゥアー(祈願)を唱えろ、という。巡礼の一連の流れとして、メッカに出発する前、メッカにいく途中など、それぞれのポイントで、「巡礼が成功しますように」と、祈りを捧げるのである。

メッカに突入だぜ〜と余裕をかましている暇はなく、カタコトのアラビア語で、必死にドゥアーを唱える。

そんなこんなをしているうちに、検問所を抜けメッカに入っていた。


メッカにあったサムスンの広告。「神はあなたの祈りを受け入れるだろう」というキャッチコピーが添えられている。


コーランをモチーフにしたメッカ・ゲート

しばらく何もない平地を抜けると、メッカの街に入った。思ったほど大きくはないが、それでも何か巨大な力渦巻いている。そんな威力を放つ場所だった。

聖地でまさかの大失態

車を降りて、とりあえずサウジの母について歩く。ちょうどメッカについたのは、金曜礼拝の時間だったので、信者たちが「マスジド・ハラーム」と呼ばれる聖なるモスクに集結していた。

金曜礼拝は、とにかく多くの人がモスクにやってくるので、モスクの外にまで人があふれ出るのはよくある光景だ。

しかし、やはり聖なるモスクは違った。あふれている度合いが違うのである。モスクから300メートルほど離れた場所にまで、びっちりと人々が詰め寄っているのだ。


コンサート会場で歌手の登場を待っている人々ではない


中央に見えるモスクまで続く、ムスリムたちの列。間をあけぬように座るのがルール。みなマイ絨毯を持参している。

顔つきや肌の色、年齢もいろいろ。世界中から集まったムスリムたちが、きれいに1列に整列し、祈りの時間を待つ。こんな行儀の良い群衆を見たのは、学生時代の体育祭以来である。

荘厳な聖地かと思いきや、モスクの周りには近未来的な建物。圧倒的な今昔が交わる場所。


世界で3番目に高いクロック・タワー。ホテルやショップなどが入っている。

我々は時間ギリギリにやってきたので、列の場所にちょこんと座る。

そして事件は起きた。

夢にまでみた聖地にやってきたのだ。普通ならば、目の前の光景に圧倒され、感動のあまり涙を流してもおかしくない。

実際に、私も眼前の信じられない光景に驚くあまり、泣きそうになったのだが、涙は出なかった。これぐらいなら、まあよい。

けれども、いざ礼拝を始まると、隣に座っていたサウジの母が驚くべき行動に出た。

自分が手に持っていた手のひらサイズのお祈り集を、目の前にある車椅子のポケットにねじりこみ始めたのである。

!!!!

床におけばいいじゃん!と思ったが、敬虔深いサウジの母。大事なお祈り集を地面に置くことが、はばかられたのだろう。隣に座る、車椅子に座っている女性の娘と思しき、若い女性がこちらをいぶかしげに見やった。

そりゃそうだ。なにやら見知らぬ女が、後ろでゴソゴソやっているのだから。サウジの母は、ひょうひょうと「いやいや違うのよ、ちょっとお宅のポッケをお借りしているだけなんです」と女性に弁解する。


被害にあった車椅子

なぜおばさんはこうなのだ。ある年齢を越えると、本人にとっては素の行動なのだが、どれもボケをかましているのか、と思ってしまう滑稽な動きが多い。

ここにきて、また私の悪いクセが発動した。通常、人が笑うはずのない場面で笑ってしまうのである。

聖地での厳かな礼拝だというのに、この車椅子の一件で、礼拝に集中できなくなったのである。もはや吹き出さないように必死である。

しかも追い討ちをかけるように、はじめは車椅子のポケットから半身を乗り出していたお祈り集が、礼拝途中にちらっとみやると、姿を消している。どうやら全身、車椅子のポケットに入り込んでしまったらしい。

ああ、神よ。なんでこんな仕打ちをするのですか。

聖地に感動を覚えつつの礼拝になるはずだったのに、笑いをこらえながらの礼拝。今世紀最大の失態である。

礼拝を終えると、見知らぬ女性が私の隣にやってきた。なにやら挨拶のような言葉をこちらに投げかけると、「スーダン」と女は述べた。そして、私とサウジの母に握手を求めてきたのである。

ははあ。どうやら聖地にあるものや、人を何でもありがたがる人らしい。

あまり知られていないが、スーダンはイスラーム教の国である。行く時期を間違えて、「もうこんな国二度と来てたまるか!」と思ったスーダン。5年ほど前のことだ。

もう絶対行きたくない国、スーダン旅行の悲劇

なにせ気温は50度にもなり、ドバイのようにクーラーがガンガンに効いている場所がそこかしこにあるわけでもない。タクシーにエアコンはないし、ホテルのエアコンもつけたらめちゃくちゃうるさい。もろに50度を体感する絶好の場所なのだ。

尋常ではない状況に、スーダンに到着してすぐ帰りのフライトを予約するほどだった。それでも彼らが異常に優しかったのは覚えている。

イスラム教徒にとっての「世界の中心」、カアバ神殿へ

礼拝終わりの人波に逆らいながら、聖モスクを抜けカアバ神殿へと向かう。

ここには、世界中のムスリムたちが集結しているわけだ。顔ぶれを見る限り、欧米や中南米系は見かけない。アジア、アフリカ、中東、中央アジアなど。アラブ人は意外にも少ない。

イスラーム教徒というと、アラブ人が多いかと思われるが、人口でいえばインドネシア、マレーシア、パキスタンなどアジア人のムスリムが圧倒的に多いのである。

私が通っているドバイのモスクでは、アラブ人が圧倒的に多く、私のようなアジア人は少数派である。しかし、メッカに限っては多数派に属してしまうという不思議。安心感すらある。


縦横無尽に人が行き交うマスジド・ハラーム。横浜駅のよう。

カアバ神殿にやってきたが、ただ眺めるだけではない。ウムラでは、この神殿の周りを7週するのである。これを「タワーフ」と呼ぶ。カアバ神殿には、ムスリムの聖宝ともいわれる黒石がはめ込まれている。そこをスタート地点として、ぐるぐると周るのである。


カアバ神殿の周りを歩く人。

事前の予習によれば、この黒石にタッチしてからスタートするとのことだったが、なにせカアバ神殿のまわりは、信者がひしめき合っており、近づくことは容易ではない。

どれぐらいの難易度かといえば、朝の満員電車で車両の中央部に入り込むぐらいの難しさである。

「あ〜、混んでるから、黒石のタッチはいいよ。代わりにあの緑のライトがスータトの目印だから」


カアバ神殿の黒石が人で埋もれているため、黒石の位置を示す緑のランプ(写真中央)を頼りにする。神殿周りは、拡張工事の真っ最中。

黒石タッチは省略され、とにかくも我々はカアバ神殿のまわりをくるくると回りだした。この時も、ただ歩くだけではなく、祈りを唱える必要がある。

アラビア語がおぼつかない私は、ひたすらサウジの母がいうことを復唱する。これ以外に、サウジの母は、「ちゃんと祈りごとをするのよ。家族の健康とか自分の願望とか」と念を押してくる。

聖地でそんなに思いっきり神頼みしていいのか?

日本の神社でも絵馬に「受験に受かりますように」だとか「家族が幸せに過ごせますように」とがっつり神頼みをするわけだから、その辺はどうやらイスラームも同じなのかもしれない。

ムスリムは、ひたすら神に祈りを捧げているものかと思いきや、ちょいちょい神頼みもしているのである。


荷物を頭に乗せながら歩く人。ティッシュの箱を持ちながら歩く人。車椅子の人など、もうとにかくいろんな人がぐるぐると歩いている

我々は同じものを見ているのだろうか

カアバ神殿の横には、アブラハムの足跡がついた石が保管されている。旧約、新約聖書にも出てくるあのアブラハムである。キリスト教、ユダヤ教、イスラム教の3大宗教の始祖であり、「信仰の父」とも言われている。宗教界のカリスマともいうべき人物。


カアバ神殿横にあるアブラハムの足跡。この中に、足跡が残った石が保管されている。

コーランによるとカアバ神殿を作ったのは、アブラハムとその子、イシュマエルだと言われている。今では、イスラームの聖地となっているが、建設当初は必ずしもイスラームの神殿ではなかった。

そんな宗教界のカリスマの足跡であるから、もうムスリムたちは、異常に興奮しっぱなしである。足跡をおおうカバーに、キッスをかましたり、顔をうずめたりと興奮度合いがハンパない。どうやら、こうした神々しいものも彼らは神格化しているようだった。

それは、日本人がアイドルやアニメキャラクターたちを神格化する行為に似ている。

一方で、崇拝するのは神だけで、それ以外のものを崇めるのは違う!と考えるサウジの母は、そうした信徒たちに対し「ダメよ!何でもかんでも神格化して崇めるのは違うわ!」と必死で呼びかけたが、興奮している信徒には届かなかったようだ。

何なんだ、これは。

ただ歩いて7週するにしても、簡単なことではない。金曜礼拝の後ということもあってか、とにかく人が多いのだ。そして昼間ということもあって、日差しが強い。

まるで己が串刺しになった回転ローストチキンになったかのようである。

新人ムスリムにカアバ神殿を触らせてあげたい、というサウジ母の好意により、我々はカアバ神殿に近づいてみたのだが、これがなんとも恐ろしい。満員電車を愛と暴力で50倍濃くしたような感じである。

信徒たちが、押し合いへし合いしながらカアバ神殿に触れ、猛烈なキッスをしたり、頭をなすりつけて、祈っているのである。確かに目の前にあるのは、カアバ神殿だが、周りにいる信者にはそれ以上のものに見えるらしい。

エルサレムにあるユダヤ教の聖地、嘆きの壁でも同じようなことをやっている人はいるが、ここまで興奮して押し入ってくる人はいない。もはや、好戦的なバーゲンセール状態である。なんとか我々も前にたどり着けたが、そうこうしているうちにも、後ろからさらなる信徒が攻めてくるので、こちとら圧死寸前である。

2015年にメッカで巡礼中に、ムスリムたちが押し倒されて多くの人が圧死で亡くなる事件が起きた。今では、なぜあんな事件が起きたのかよくわかるような気がする。

特にカアバ神殿の入り口あたりは、半分野人化したような人々が、蜜を吸うありのごとく、文字通りへばりついているのである。その奇妙な光景には、畏れすら抱いた。

アトラクションと化した巡礼

カアバ神殿を7周した我々は、ようやくローストチキン状態から解放される。近くにあった、水飲み場で人休憩。しかし、ここは聖地。水飲み場といっても単なる水ではないのだ。

そう、聖なる水「ザムザムの水」が無料で飲み放題なのだ。見た目や味は、ほぼ普通の水と変わらないが、聖地から湧き出る水ということで、信徒たちは聖水としてありがたく飲んでいる。巡礼者たちの定番土産ともなっているのだ。

聖水で体を整えた後は、別の場所へ移動。


とにかくいろんな場所で人があちこち座っている。巡礼にも体力がいるのだ

事前の予習によれば、マルワとサファーと呼ばれる聖山の間をこれまた7周するとのことであったが・・・

山と聞いていたので、てっきり野外かと思いきや、まったくの室内であった。しかもクーラーや扇風機が全開で、快適じゃないか。

なんか思ったのと違う。

さらに岩も、アクリル板で厳重に隔離されており、なんだか違和感がある。悪意のある人間がやってきて、岩を削って売りさばいたり、持ち帰ったりするため、このような惨めな形になったという。

もう一方の岩にいたっては、ロウのようなもので固められ、聖なる山というよりも、うさんくさい岩に成り果てていた。しかし、それでも信者たちにとっては聖なる山なので、猿山のように信徒たちが山にたかっていた。


完全なる室内にある、ロウで表面を固めたマルワ山。休憩中の人々が、思い思いに過ごす

50メートルほどあるこの岩の間を、7回いったりきたりするのである。これは、宗教界のカリスマ、アブラハムの妻であるハガールが、息子のイスマイルのために水をもとめてこの岩山の間を駆け回ったということに由来している。

先のザムザムの泉は、そんな最中にイスマイルが発見したものといわれている。

科学的にツッコミたくなるが、ここは我慢しよう。

途中には緑のゾーンがあり、上を見やると緑の蛍光灯がついている。このゾーンでは、小走りしなければならないという謎の決まりがある。このゾーンに差し掛かると、信徒たちは一斉にダッシュをはじめるのである。

巡礼者の中には、車椅子のお年寄りも多くいた。そんなお年寄りのために専用のレーンも儲けられるなど、聖地はかなりバリアフリーであった。


男性巡礼者は、「イフラーム」と呼ばれる衣装を身につけている

う〜ん。野外だともう少し雰囲気があるのだが、これじゃあもうディズニーランドのアトラクションじゃないか。

岩山の途中では、スマホを見つめている人を見かけた。一体何をしているのかと覗き込むと、そのほとんどが、ネット通話だった。巡礼に参加できなかった家族や親戚に、「今メッカで巡礼をしているんだよ!」と話しているのだろう。なんともほほえましい。

一方で私の家族といえば・・・

後日、メッカに巡礼に行ったんだよ、と伝えると、「あら、あんた10年前はセンター試験で失敗したって大泣きしてたのに(伝えた当日は日本ではセンター試験が行われていた)。いまじゃあメッカで巡礼かい」といった具合である。

メッカ巡礼の喜びを分かち合うことは難しそうだ。

最後は散髪して終わる

今何周したっけ?とサウジの母が突然言い出す。おいおい、肝心の巡礼なのに忘れたらあかんやろ。おばさんという生き物はどこかぬけている。

巡礼の終わりは、マルワとサファーの間を7回行き来して終わりではない。巡礼らしく、最後の儀式がまっている。

それは・・・

散髪である。

ゴール地点のマルワ岩の付近では、なにやらハサミを持った男たちが、待ち構えていた。そう、散髪をもってこのウムラは終了するのである。

ちなみに岩の付近でなくとも、メッカ市内で行えばどこでもよい。男性は坊主に、女性は髪の毛の一部を切る必要がある。

しかも、散髪する人間は、ウムラを終えた人間でなければならないのだ。よって、同行しているサウジの母が私の髪を切っても意味はない。

サウジの母は、その辺でウムラを終了した人を捕まえて、髪の毛を切ってもらい、晴れてウムラを終了した。そして、サウジの母に髪の毛の一部をハサミで切ってもらい、私のウムラも幕を閉じたのである。

圧倒的な差異の中の共通点

時間にして4~5時間ほどだっただろうか。最後は巡礼おつかれさん、ということでアイスで労をねぎらった。サウジの母がメッカに巡礼にくる度に、食べるのだという。

サウジの母に、お金をもらい買いにいったのだが、なんとお金が足りないことに気づく。「アイス1個で30円ぐらいだから・・・」といっていたが、いざ買いに行くと1個150円からじゃないか。

仕方がなく、「すんません!後払いします」といって店を後にした。もちろん、その後ちゃんとお金を払った。

今回、私が何より驚いたのは、カアバ神殿や聖モスクなどではない。

肌の色も、顔つきも年齢もまったく異なる人々がメッカを行き交うという空間。普通の生活を送っていれば、決して彼らと交わることはないだろう。けれども、我々はたった1つの共通点により、このメッカに集結している。

それが、イスラーム教徒であることだ。

圧倒的な差異の中の唯一の共通点。

その共通点で紡がれた街、メッカ。

これほど不思議な場所があるだろうか。同じ国民同士という連帯よりも、そこにはさらに強い絆が存在する。それは、地元や出身大学が同じだとかいう共通点とは、比にならないものである。

世界にいる16億人との共通点を持つということは、こういうことなのか。

かつて体感したことのない、巨大な共同体が醸し出す安心感に包まれた。

20代後半から海外で生活。ドバイで5年暮らした後、イスラーム圏を2年に渡り旅する。その後マレーシアで生活。大学では社会科学を専攻。イスラエル・パレスチナの大学に留学し、ジャーナリズム、国際政治を学ぶ。読売新聞ニューヨーク支局でインターンを行った後、10年以上に渡りWPPやHavasなどの外資系広告代理店を通じて、マーケティング業界に携わる。

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