本当にアバヤ着なくてOK?サウジ観光での女性服装ガイド

外国人観光客はアバヤを着なくてOK!という通達が出たが、服装に関しては結構迷うところであった。

そんなわけで、実際に現地で感じた空気感をもとに、本当にアバヤを着なくてもいいの?どんな服装を着るべき?といった疑問にお答え。

アバヤを着ない人はまだ少数

現地点でいうと、アバヤを着てない人は、猛者と言えよう。

国が「アバヤ着なくてもええで!」と言っているにも関わらず、観光客でもアバヤを着ている人は多かった。女性観光客の内訳でいえば、2割ほどだろうか。

それに現地の多くの女性たちも相変わらず、目だけを出すニカーブをつけ、動く黒い物体と化している状態だった。

現地女性も含めた女性全体で見ると、アバヤを着ていない人は、おそらく1%以下だろう。

こんな状態で、アバヤを着ないというのは、相当な猛者である。

いや、別にアバヤを着なくてもいいのだ。アバヤを着ていないからと言って、誰かにとがめられる訳でもない。

ルールは変わっても・・・

一方で考えておきたいのが、取り巻く環境である。政府のお達しにより、アバヤ着用は必須ではなくなったが、サウジに暮らす人々はまだその変化に対応しきれていない。

現地で働くフィリピーノたちも、いまだアバヤを着用していた。果たして、通達の知らないのか、クセでそうなっているのか。

サウジで女性といえば、数年前までは黒い布にすっぽりと覆われていた。それがいきなり、アバヤを着た女体が現れてみい。人々は奇異の目で見るだろう。

日本では当たり前の格好だとしても、サウジ社会では相当な過激行為なのである。

そもそも、なぜアバヤを着たり、顔を隠すのか。女性の美しい部分は社会の秩序を乱すから、隠してまえ!という発想である。

「ムスリムの女性だったら、いやらしい目では見れんけど、まあムスリムじゃない女性ならOKなところもあるっていうか・・・」。イスラーム教徒である同僚の言葉だ。

このように、自分は普通の格好でも、それが普通ではない社会からすれば、ちょっかい出してOKだとか、遊び人と言った風に捉えられることもあるのだ。

イスラム教徒は異教徒をどうみているのか?イスラム教徒と付き合うためのヒント

よって、「自分は軽々しい人間やないで」というメッセージを込めるためにも、アバヤを着る意味はあるだろう。

制度はすぐに変わっても、人々の価値観や考え方は、なかなか変わらない。

変化の過渡期にある人々の眼差しを、しなやかにかわすことができなかった私は、終始アバヤを着ていた。いや、日本人らしくその場の空気を読んだ結果だろうか。

お国柄が出るアバヤ対応

一方で、自分を貫く人々もいる。アル・ウラで行われたイベントに参加したときのこと。

イベント参加者の4割近くがフランスをはじめとするヨーロッパ圏からの観光客であった。

フランス人の割合が多いためか、まるでパリコレのごとくオシャンティな人々であふれかえっていた。アバヤを着ようという意気込みは、みじんも感じられない。

さらに、コレ。リヤドのレストランで発見した有名人訪問の記念写真。

写真にうつっているのは、IMFの専務理事をつとめたフランスのクリスティーヌ・ラガルド氏である。写真のいたみ具合からみて、ずいぶんと前なのだろう。おそらくアバヤだけでなく、ヒジャーブの着用も必須だった頃のはず。

だのに!

なんだこのオシャレな出で立ちは。さすがラガちゃんではあるが、アバヤを着て相手の文化を尊重とかいうゴマすり発想が全くない。猛者中の猛者である。

フランスといえば、ブルカの着用が禁止された国である。かつてフランスに住んでいたという同僚のイスラーム教徒は、「あそこにいたらスカーフをはぎとられるからね。戦々恐々だよ」などと語っていたのを思い出した。

ヨーロッパの国々からすれば、アバヤなんぞけしからん!女性を抑圧している!という風に考えているのだろう。それはそれで、爽快だ。

というわけで、どの方針をとるかは、人次第である。

ちなみに、アバヤを着ないにしても、基本的なルールはある。体の線がはっきりと出るようなレギンスや、肌が露出する半袖やタンクトップ、短パンはNGである。

あまりにも過度な露出をした場合には、逮捕、拘留ということもあるので、油断はできない。

20代後半から海外で生活。ドバイで5年暮らした後、イスラーム圏を2年に渡り旅する。その後マレーシアで生活。大学では社会科学を専攻。イスラエル・パレスチナの大学に留学し、ジャーナリズム、国際政治を学ぶ。読売新聞ニューヨーク支局でインターンを行った後、10年以上に渡りWPPやHavasなどの外資系広告代理店を通じて、マーケティング業界に携わる。

管理人をフォローする
サウジアラビア
シェアする
進め!中東探検隊