美しきオアシス都市アルウラの見どころと行き方

マダイン・サーレハ最寄りの町がアルウラ。マダイン・サーレハへ行くには、まずこのアルウラの空港なり、バスステーションを利用することになる。

世界遺産であるマダイン・サーレハの影に隠れてしまっているが、ここもまた歴史あふれる豊かな町である。

アラビアの古代都市があった場所

その歴史は約3,000年前にもさかのぼることができる。紀元前6世紀頃にはリヒヤン王国、紀元前4世紀頃には、デダン王国といった古代北アラビアの王国が、この地を支配した。

町の中心地から車で40分ほど行った場所に、イクマ山と呼ばれる場所がある。そこには、当時の人々が岩に書き残した古代文字が今でも残っている。

そこに書かれているのは、リヒヤンやデダンの人々によるものだけではなく、この場所を巡礼や交易のために通った旅人によるものもある。彼らは、旅の安全を神に祈って、ここに記したのである。

イクマ山
イクマ山。岩山のいたるところに古代文字を見つけることができる


大きな岩山に残された膨大な文字の数は圧巻だ

マダイン・サーレハと並んで、ここは立ち寄る価値があるだろう。

こちらも、「タントラの冬」祭りで限定公開されている。訪れるには、公式サイトでチケットの購入が必要。チケットの価格は55リヤル(約1,700円)。

そして、マダイン・サーレハの遺跡で知られるナバテア王国の支配下に入るのが、紀元前2世紀頃。106年にローマ帝国に併合されて以降、町は次第に衰退していく。

香料交易で栄えた町

現在からすると、何もないしけた田舎町に見えるが、過去の繁栄は一体どこからやってきたのか。

アルウラは地中海からインド、アフリカを結ぶ広大な香料貿易ネットワークの交易地点であった。

乳香や没薬といった香料だけでなく、シルクやスパイスといったものも、ここを通じて運ばれていたのである。

乳香や没薬といっても、現代の我々にはピンとこないかもしれない。

見た目も、石ころのようなものである。が、古代世界では誰もが喉から手が出るほど、欲しがる貴重なものだったのである。

乳香
乳香の産地と言われるオマーンのサラーラで売られている乳香

没薬は、古代では薬やミイラ作りの防腐剤として使われた。没薬はミルラとも呼ばれ、ミイラの語源になったとも言われている。

一方で、乳香は古代エジプトでは宗教儀式などで用いられた。古代エジプトの壁画なんかを見ると、乳香をたくお香台や煙が描かれている。現代の宗教儀式でもしばしば用いられている。

乳香は木の樹脂を固めたものであるが、火をつけて香りをくゆらせると、それはそれはまことに神聖な香りなのである。

よって、古代では「神の香り」とも呼ばれていた。その価値は、当時の金にも値するほどだった。

古代エジプト人も魅了した神秘の香り、「乳香」の秘密を探る

乳香は、オマーン南部のドファール地方、イエメンソコトラ島、ソマリアといった地方で主に採取される。

そうした場所で採れた乳香が、イエメンからサウジアラビアへ、そしてエジプト、イスラエルを経由して、地中海にまで運ばれたのである。

自然豊かなオアシス都市

現在のアルウラでは、交易地としての過去の評判を聞くばかりで、実際に目立った遺跡などがあるわけではない。

町に残る古めかしいものといえば、800年前に作られたヘリテージ・ヴィレッジがある。現地では”アド・ディーラ”とも呼ばれる。

アルウラの町
アルウラの町

1,000以上にもおよぶ泥レンガで作られた家が集まるヘリテージ・ヴィレッジ。外観を見ることができるが、家の中には入れない。

この他にも、町の中心地にはアルウラ博物館がある。こじんまりとしているが、アルウラという町を知るには、貴重な場所だ。ただし、週末である金、土は休み。

歴史的な遺跡は少ないが、アルウラで驚かされるのは、その自然の豊かさである。

アルウラは、砂や岩山に囲まれている場所なのだが、オアシス都市でもある。

岩山の間には、ナツメヤシの木が生い茂り、みかんやレモン畑もある。砂漠と化した砂地にでさえも、カラフルな植物が生えているのである。


岩山の間には、ナツメヤシの木々が生い茂る

アルウラのオアシスみかん、レモン、マンゴー、デーツなどがなるファーム


みかんやレモン、マンゴーなどがとれる

アルウラの植物
アルウラで見つけた植物たち

14世紀に活躍したモロッコの大旅行家イブン・バトゥータも、マダイン・サーレハとアルウラを訪れ、その様子を描いている。

ちなみにイブン・バトゥータは30年に渡り世界中を旅したことで、知られる。現代のバックパッカーたちも、ビビる猛者であろう。

アル・ヒジュル(マダイン・サーレフ)の井戸についた。水はたんとあるけども、どのように乾いていようと、誰一人飲もうとはしない。

 

それは預言者ムハンマドが、タブークに来られた時、ラクダをはやめ、誰もこの井戸の水を飲むなと命じられた故事にならうからである。

 

古代の神罰によって滅びたサムード族の住居は、赤い岩山を刻んだもので、真新しいように見え、彼らの遺骨がいまだ散らばっている。

 

ここからアルウラまでは半日足らずである。立派な大部落でなつめやしの園や泉水がある。

 

巡礼団は、4日間ここに滞在し、食料を仕入れ、洗濯をし、また多きにすぎる携帯品を始末してほんの必需品のみにしたりするのである。

 

『三大陸周遊記』より引用

アルウラは岩山に囲まれながら、その見た目とは裏腹に水に不自由しない場所なのだ。むしろ、度々起こる洪水に悩まされていたという話もあるぐらいだ。

アルウラへの行き方と滞在

アルウラへ行くにはバスや飛行機があるが、飛行機の方がおすすめ。

バスの場合、リヤドからは10時間、ジェッダからはマディーナで乗り継ぎをして15時間、ジュッバの岩絵が郊外にあるハーイルまでは7時間といずれの都市へ行くにしても、長時間の移動となる。これが、結構しんどい。


アルウラのバスステーション。町中にあるので、アクセスは便利。

一方で飛行機の場合だと、リヤドやジェッダからは2時間ほどで行ける。週末に観光客が一斉に押しかけるせいか、フライト予約が取れないこともあるので、早めに取るのがベター。

アルウラの空港にはタクシーもウーバーもない。レンタカーを借りるか、タントラの冬パッケージを購入して、送迎に来てもらうかである。

空港からアルウラ市内までは、車で30分ほど。歩いて行ける環境ではない。


アルウラの空港。最近作ったようで、真新しい。イベント期間中はジモティーの盛大なる歓待を受けることができる。

アルウラ市内の移動手段も限られている。市内を走るバスなどはなく、ウーバーやカリームがかろうじて使える。カリームは中東版のウーバーである(ウーバーに買収されたけども)。

ウーバーなどにしても、数台限定という状態で、時間によってはいなかったり、遠すぎるとスルーされる、といった悲劇に見舞われることもしばしばである。

よって、オススメはウーバーとカリームの両刀使いで行くべし。ウーバーではつかまらなくとも、カリームだとつかまるというケースも結構あるからだ。これはサウジ国内全体で言える。

ホテル予約も鬼ムズである。観光客に対して、ホテルが圧倒的に不足しているのだ。

いや、ホテルはあるのだが、祭りのパッケージや他の旅行代理店などが押さえているせいか、町で数少ない真っ当なホテルはすでに満室だったりする。

ちなみにこうしたホテルは、リゾート型のタイプで、近くに飲食店やスーパーもない。

アルウラのサハリリゾート
アルウラのサハリリゾート(Sahary Resort)。市内に数カ所ある高級リゾートの1つ

町中のホテルでも1泊1万、2万というのがザラ。クオリティを考えると、2~3倍の値段になっている。真っ当なホテルにしても、値段の割にそれほど高級感があるわけでもない。

アルウラ滞在は、今のところとにかく高くつくのが現状だ。