一度見たら忘れられない。アラビア湾に浮かぶソコトラ島は、そんな魔力を持っている。
ドラゴンボールに出てくるナメック星のごとく、不思議な形をした木や植物が、そこかしこにはえている。
ソコトラ島でしか見られない固有種も多く存在することから、島は「インド洋のガラパゴス」とも言われている。
インド洋の忘れられた島
ソコトラ島はイエメン本土から300キロ以上離れた場所にある。イエメンは、アラブ諸国の中でも、もっとも貧しい国の1つ。
同じアラビア半島でも石油収入で潤うサウジ、UAE、オマーンといった湾岸諸国とは、まるで別世界だ。
そうした地政的な要因に加え、1990年まで、外国人が容易に立ち入ることはできなかった。南イエメンの一部だったからである。
南イエメンの正式名称は、イエメン人民民主共和国。社会主義の国だった。ソコトラ島では、今でも古びた南イエメンの国旗を見かける。
現在でもそうだが、南イエメン時代から、この地に足を踏み入れることは、簡単ではなかった。
1990年に南北のイエメンが統一。ようやく足を踏み入れることができる、かと思いきや、半世紀もしないうちに始まったのが、イエメン内戦である。
ふたたび、島は外部と隔離されることになった。
本土のイエメンでは、未だ情勢は安定しない。一方で、2019年から異国の人間が少しずつ、足を踏み入れるようになったソコトラ島。
そんな島への行き方や魅力をまとめた。
ソコトラ島はどこにある?
イエメンとソマリアの間にぽつねんと島は存在する。アラビア湾とインド洋が交差する場所にある。ソマリア沖とも言えなくない。
天気がいい日には、アフリカの角にあるプントランドからも、目視できるという。
島の面積は、3,700キロ平方メートルで、沖縄本島の3倍はある。人口は約6万人。島の人間が多いが、昨今のイエメン内戦で本土の人々が、移り住んでいるケースも見られた。
ソコトラ島への行き方
もっとも一般的なのが、空路。というか、一番簡単に行けるのがこの方法。
内戦状態のイエメンに、飛行機を飛ばしている航空会社はほぼなく、フライトがあるのはイエメンの航空会社、イエメニアだけである。
ネットで探しても、ここのフライトは出てこない。公式サイトもない。よって、後述するようにツアー会社にチケットをとってもらう方がよいだろう。
カイロからイエメン南部のセイユーンに行き、セイユーンからソコトラ島へ向かう(セイユーンでは下車しない。機内で待機するだけ)。セイユーンとソコトラ島間は、週に1度しかフライトがない。
イエメンの航空会社、イエメニア。現地のイエメン人曰く遅延やフライトのキャンセルがよくあるらしい
そのため、少なくとも1週間はソコトラ島に滞在することになる。カイロからソコトラ島までは、片道400ドル程度。イエメニアのオンボロな機体とサービスから考えると、かなり高い。
現在、イエメンの空域はサウジ連合軍が管理している。よって、飛行機を飛ばすのにも、いちいち使用料を支払わなければいけない。その使用料が、高い航空券代に反映されているのだ。
イエメンの空なのに、他国に使用料を払わなければいけない。それが、イエメンが置かれている現状である。
昔は、UAEのドバイから直行便が出ていたようだが、イエメン内戦が激化して以降は、運行していない。
陸路で行く方法も一応ある。しかし、サウジとの国境は、退避勧告が出ているためかなり危険。ピラニアがうようよいるアマゾン川で泳ぐようなもんである。イエメン側からサウジ南部の町に、ミサイルが飛んできたこともある。
オマーン側の国境は、さほど危険ではないものの、オマーンポリスの管理が厳しい。日本外務省からの推薦書がないと、オマーン出国を許されないのである。
他にも同様の条件を課されている国があり、私も含めて、陸路での入国失敗している人の話はちらほらきく。確実ではないのだ。
この点、カイロからなら、ビザチェックも手薄らしく、比較的かんたんに入れるとのこと。
行くならツアーで行くべし
現地の旅行代理店に頼めば、ビザ申請から、フライトの手続きまですべてやってくれる。
観光業を売りにしている島ということもあって、島にはいくつか旅行代理店が存在する。私がコンタクトをとったのは、Socotra Toursという会社。地元のイエメン人旅ブロガーがオススメしていたのだが、これが良かった。
ソコトラには似たような名前の旅行代理店が多いので、要注意。
若干、「え?」と思う部分はあったが、ホスピタリティにあふれ、ガイドもしっかりしているし、なかなか信用できる人々であった。
数人でいけば、もっと安くなるだろうが、私の場合は、1人だったので諸費用を込めて、1週間ほどで20万円ほどだった。
現地での物価を考えると、お高めなような気がしてならない。ただ、他の旅行者に聞いても、だいたいパッケージの価格は、それぐらいだという。
ソコトラ島という場所柄なのか、クレジットカードでの支払いができない。
よってツアー代金もウェスタンユニオンという送金会社を使って前金を払ったり、残りは現金支払いという形になった。
場所が場所なだけに、それなりに柔軟に対応する必要性はあるだろう。
もしくは確実にしっかりとしたルートで行きたい、という場合は欧米の代理店にコンタクトする方がよいだろう。私が世話になっているイギリスのUntamed Bordersも、最近になってソコトラツアーを取り扱い始めたらしい。
ソコトラの気候とベストシーズン
ソコトラ旅行へ行くなら、11月から3月が良いだろう。特に2、3月は花が咲き乱れ、最も美しい季節と言われている。
モンスーンシーズンの6~8月は避けた方が良い。この季節になると、波は高くなり、風も強い。島へのアクセスも難しくなる。
異世界感を演出する植物たち
異国の人々を惹きつけてやまないのが、ソコトラ独特の植物である。島には、植物、爬虫類、鳥類などを含めた1142種類(参考文献によって数がやや違う)もの固有種が存在すると言われている。
世界でワーキャー言われている、ポケモンですら900種ほどしかいないのだ。それを考えると、ソコトラ島はポケモンに匹敵する独特な世界観を作り出していると言えよう。
実際に、1995年にこの島を訪れたベルギー人の生物学者は「歩くだけで新種に出会う」などと言い、学者にとってはもはや宝箱のような場所なのだろう。
中でも有名なのが「竜血樹」と「砂漠のバラ」と言われるアデニウム。
幹の部分がえぐり取られた竜血樹。島のヤギが食い散らかしたり、気候変動などにより竜血樹は絶滅の危機に瀕している
砂漠のバラとも呼ばれるアデニム。幹が極端に肥大化しているのが特徴
竜血樹は、名前の通り樹液が血のように赤い。古代ローマの時代には、鎮痛剤や止血剤といった薬品として使われた。
中世期になると染料の他に、錬金術や魔術の用材としても用いられたという。固まった樹脂は、古代では「赤い金」とも呼ばれ、高額で取引されていた。
竜血樹から取れる樹脂が固まったもの。確かに赤い
しかし、今やその面影はなく、島のちびっこがささやかなお土産として、数百円程度で売っているだけである。
竜血樹は、イエメンが誇るシンボルであるらしく、その形はイエメンの硬貨や島のナンバープレートにも使われていた。
イエメンのお金。イエメンリヤルは価値が下落しているため、ドルから両替をすると大量のお札が返ってくる。ソマリランド状態だ。コインに描かれているのが、竜血樹。手前のお札に書かれているのは、港湾都市ムカッラ
ソコトラ島のナンバープレート。一方で島にはナンバープレートがないまま走る車も多く見られた
世界で唯一のウリ科の木。キュウリの葉に似た形の葉っぱをつけることから、キュウリの木とも呼ばれている。こちらも絶滅の危機に瀕している
絶滅の危機に瀕しているソコトラアロエ。アロエは、古くから薬品として使われ、貴重品であった。古代ギリシャの哲学者アリストテレスは、アレクサンダー大王に、ソコトラ島を占領して、アロエを独り占めすることを助言したのだとか
不思議の島ソコトラといえども、こうした植物がどこにでもある訳ではない。島のシンボルである竜血樹を見るにも、奥深い高山地帯に行かねばならない。
キュウリの木やソコトラアロエだって、1週間島を巡って、数回発見できたかできないかであった。
ソコトラのハト的存在、エジプトハゲワシ。絶滅危惧種。レアキャラに見えるが、野外でご飯を食べていると必ず現れて、おこぼれをちょうだいしようとする。絶滅危惧種から、近づいてきてくれるという稀有な体験ができる
流れてきた巨大なクラゲをつかみ取りする地元の漁師。ソコトラ島で出会う生物はなんでも特別に見えてくる。ドラクエ的な色彩
ソコトラ島といえば、乳香(フラキンセンス)の産地としても知られる。現在はオマーンのサラーラにその座を奪われてしまったが。
ソコトラ島に自生する乳香の木
古代では「神の香り」とも称された乳香、そして竜血樹から取れた樹脂は「赤い金」とも呼ばれ、ともに高額で取引されていた。当時は、一攫千金を狙ってこの島を目指すものもいたという。
ソコトラ島観光はいかほど?
ソコトラ島観光のハイライトといえば、奇妙な植物たちに囲まれ異世界感を味わったり、美しい海でダイビング、大いなる自然を感じるキャンプ、トレッキングなどだろう。
1週間というと、長く思えるが、それでもまわりきれないほど、ソコトラの島は大きい。
インドア派な私は、島の中心地ハディボにあるホテルを拠点としていた。一方で、欧米のツアー団体客たちは、キャンプをしながら島を転々とめぐっていたらしい。
最終日には、キャンプファイアーをしながら音楽に合わせてダンスなんぞをしており、たまたま近くを通りがかった私は、それに巻き込まれてしまった。
島の中心地ハディボ。規模は小さい。300メートル四方のエリアにレストラン、ショップ、両替屋などが数軒ずつ立ち並ぶ。朝には市場がたち、にぎわいを見せる
ハディボに次いで大きな街と言われるカランシア。しかし、実際は街というよりも、民家が数軒連なる村落というレベルであった
ホック洞窟。全長3.2キロにおよぶ島最大の洞窟。紀元前から人が住んでいた形跡があり、岩絵などが発見されている。何も言わないと、ガイドとともに1キロ以上におよぶ漆黒の洞窟探検に駆り出される
ホムヒルにある天然の空中プール。竜血樹やボトルツリーに囲まれ、アラビア湾を一望する絶景プール
写真では砂漠みたいになってしまったが、実際は真っ白い砂丘が続く
カランシアに隣接するデトワ・ラグーン。自然保護区に指定されている。美しい海ではイルカ・ウォッチングもできる。何気にアラビア湾では、イルカはよく見かける動物なのだ
ソ連の戦車。南北イエメンが統一する1990年までは、社会主義国の一部であったため、ソ連の航空機や武器が持ち込まれたのだと思われる
ソコトラ島の現在と治安
2015年のイエメン内戦が始まって以来、島は外界からほぼ閉ざされていた。地図上にはあるけども、容易にはいけない。
そんな意味を込めて「透明な島」だとか、「隠れ島」などとも、言われていた。
しかし、2019年からは再び観光客が、ポツポツと戻るようになった。私がソコトラ島で実際にあったのは、アメリカ、カナダ、ブルガリア、ポーランドといった欧米からの観光客であった。
島には似つかわしくない立派なヨットがあるなあ、と思っていたらヨットで世界一周中のポーランド人たちのものだった・・・
時期が時期なだけに、やってくる観光客はどこにでもいる旅行者というより、ひとくせありそうな風変わりなオーラを醸し出していた。
イエメン北部は、内戦や空爆で未だ忙しない状況が続く。一方で、ソコトラ島では直接的な被害を目にすることはない。
イエメン本土から島に避難している人はいるが、ソコトラ島を観光したり、街中を歩く上では、さほど問題はない。
島民たちも「本土が内戦で忙しい中でも、俺たちの島はずっと安全なんだぜ」と誇らしげに語っていた。
【2019年版】イエメンは本当に危険?現地で感じたリアルな治安
ただ、孤島なので、若干タイムスリップをせざる得ない。あまりインフラは整っていないようで、特にネットがほとんどないのは困った。
普段であればネットはなくてもよいが、私は事情により帰りの航空券を取っていなかったので、四苦八苦したのである。
ハディボのホテル。一見すると綺麗だが、永遠の敵Gの出現により、戦々恐々とした日々を送ることとなった
一応、ネットはあるにはあるのだが、簡単なテキストメッセージが送れるぐらいの、か弱いWiFiしかない。5Gの時代だというのに、1Gぐらいの感覚である。ネットサーフィンや動画閲覧は、絶望的である。
ハディボだと人が多いから、ネットが繋がりにくいだの、朝と深夜は使っている人が少ないから、ネットが速いかも・・・とかいう悲しいレベルなのだ。
なぜか何もない島の裏へ行くと、先進国にいるのと変わらないぐらいめちゃくちゃ高速でネットが使えたりもした。
意外と厳格なイスラーム
ソコトラ島を歩いていて気になったのが、女性の少なさである。
特に、ハディボのレストランなどでは、毎晩レストランで外食していたにも関わらず、現地の女性が食事をする姿を見かけることがなかった。
保守的なイスラーム圏では、ままあることなのだが。
メンズだけの朝食会。イスラーム圏では、見知らぬ男女が公共の空間で一緒にいることが好まれない。よって、レストランには女性が入れるファミリーセクションなどがあるが、ソコトラ島では確認できなかった
その辺の草むらで、礼拝をし始める島民。ソコトラ島民の多くはイスラーム教徒である。清潔な場所であれば、礼拝はどこで行ってもOKなのだが・・・
島の中心部で見かけたソコトラの女性は皆、サウジの女性のごとく目だけを出すニカーブをつけていた。顔を出している女性がいる!と思って聞いてみると、イエメン本土から来た女性だという。
一方で、人気のない寂れた場所を走っていると、カラフルな衣装を身につけた女性たちを見かけた。オマーンあたりの伝統衣装を思わせる、カラフルな色合いだ。
どうやらここ数十年で島のイスラームは厳格化したようで、それに伴い人々もカラフルな服を捨て、漆黒のアバヤとニカブに身を包むようになったのだろう。
ブルカ、ニカブどう違う?イスラム教徒の女性の服装を徹底解剖!
島なので、イスラーム教もゆるいのかと思いきや、けっこう厳格(保守的というべきか・・・)だったので、ちょっと驚いた。
ペルシャ湾にあるイランの離島、ゲシュム島を訪れた時は、現地の人に「島だから、別にスカーフをかぶっていようが、誰も気にしてないよ〜」とゆるゆるなのであった。
謎の仮面女、奇景スポット満載。ホルムズ海峡、魅惑の「ゲシュム島」
ちなみに外国人女性は、ソコトラ島でアバヤを着たり、スカーフで髪を隠す必要はない。しかし、社会の目を考えると、女性一人の場合、ナメられやすいので、それなりに隠したり、警戒する必要はあるだろう。
魚がおいしいソコトラ飯
ソコトラ島に来る前、私は戦々恐々としていた。
イエメンの有名な食べ物代表格といえば、マンディである。マンディとは、ほかほかご飯の上に、チキンなり羊なりがボンっとのっかった料理である。
病みつきになる人続出。背徳感ハンパないイエメン料理「マンディ」
うまいことはうまいのだが、けっこう腹にくる。あっさりとした日本食になれた胃袋にとっては、月に1回が限度。いや年に1回食べればOKという代物である。
イエメンに行くということは、毎日マンディ。すなわちマンディ地獄に陥るのでは、と心配していた。
しかし、ソコトラ島にいる間、マンディにお目にかかることは一度もなかった。むしろ毎日の食卓に登場したのは、魚であった。
焼き魚に黒ゴマパンが定番。焼き魚は、新鮮な生野菜で彩られている。日本人としては、ご飯と食べたらさらに美味いだろうなあ、と常々思ってしまう
やたらとピクニック好きなソコトラ島民。大きな皿にご飯や焼き魚をもり、みんなでつつきあいながら食べるのがソコトラ流
ビリヤニ風の炊き込みご飯に、野菜の煮込みをぶっかけたもの
ハディボの魚市場。魚を注文し、その場でさばいてくれるシステム
島において、肉類の筆頭格はヤギだが、何せ四方八方を海に囲まれているのだ。新鮮な魚介類を食べずして、何を食べるのか、である。
というわけで、ほぼ毎晩、魚の丸焼きを平らげていた。同じく島国に住む人間には、嬉しい食卓であった。
独自に進化した島
国としてはイエメンに属しているが、どうもソコトラ島は、イエメンのようであってイエメンではない。
古代から、古今東西の人々がこの場所を行き来していたようで、人々の顔ぶれも様々。
アフリカ風の顔立ちをした人もいれば、インド風、そして目が青い島民もいた。大航海時代に到来したポルトガル人の遺伝を受けついでいるため、と巷では言われている。
島民たちを見ていても、イエメン人というよりかは、ソコトラ島民としてのアイデンティティの方が強い、という印象を受けた。
そうした人々を見ながら、この島が古代より帝国や予期せぬ侵略者、隣国などによって常に影響を受けてきたことがうかがえる。